本書は、 蓮如上人の第四男蓮誓の第九子にあたる顕誓の著作であり、 浄土真宗の通史を著したものである。 顕誓の生涯は、 加賀一向一揆の内部抗争である享禄の錯乱に巻き込まれたことや、 その後二十年間の流浪生活、 晩年における法義上の嫌疑による播磨本徳寺への蟄居といった厳しい境遇の連続であったことが伝えられている。 その晩年の蟄居中という状況下で著されたのが本書である。 本書制作の顕誓の心情を窺えば、 本文に 「蓮如・実如・円如等の御書、 蓮誓・蓮淳・蓮悟の書札、 残とゞまる水茎のあとしるたびに、 むかしをしたい朝夕恋慕の涙袖にあまり侍るまゝ、 せめてのなぐさみにをもい出る心を種として、 とてもやりすつるふるき文をうらをかへして筆にまかせてしるし侍る」 とあり、 顕誓自身が蓮如上人などの御書を拝見し、 父である蓮誓などの書き残した文を見たことにより、 追慕の念が募ったことが、 本書制作の動機にあったことがわかる。
本書の内容については、 源空 (法然) 上人及び親鸞聖人から第十一代顕如上人に至るまでの事跡や、 本願寺関係関係寺院の由緒などが記されており、 浄土真宗の沿革を概括するものである。 本書に記されている内容の典拠は、 ¬拾遺古徳伝¼ ¬存覚上人袖日記¼ ¬慕帰絵詞¼ などの文献から、 論語などの外典にまで及んでおり、 顕誓が幅広い学識を有していたことと共に、 長い年月にわたって文献を収集していたことが想像される。 しかし、 本書の多くは顕誓が自身の生涯を通して見聞したものに基づいており、 蟄居中の苦しい状況の中で記録した、 いわば回顧録としての性格が強い。 このことは特に蓮如上人以降に関することが本書の大半を占めることからも知られる。 また、 自身の見聞したことに限らず、 それぞれの事柄に対して顕誓が自身の心情・感慨を交えつつ情緒的に語る場面も散見される。
本書の成立時期については、 大阪府真宗寺蔵本の奥書に 「于時永禄十一年六月十八日/当津蟄居徒然之余染↢愚筆↡記↠之、 漸独吟一乱、 今日終↢其功↡訖。 不図、 存如上人御正忌相当侍。 尤以叶↢本心↡者也/極月十三日書之/去永禄十年早写之本、 去年加↢添削↡、 今年三月十二日重而所↢書写↡也」 とあることから、 永禄十一 (1568) 年六月十八日が成立年時とされていた。 しかし、 今日では、 「極月十三日」 を本書の成立年時とする説が有力である。 それは、 龍谷大学蔵本では、 先に示した 「于時永禄十一年六月十八日」 から 「尤以叶↢本心↡者也」 までの箇所が、 本文の本宗寺実円・証専に関する記述の冒頭に書かれており、 真宗寺の奥書が分断された形で構成されていることによる。 すなわち、 龍谷大学本によれば、 先の本宗寺に関する記述までが永禄十一年六月十八日に書かれたものであり、 残りの北陸の情勢に関する三事項は、 それ以降に書き加えられたと考えられる。 その三事項は奥書に 「極月十三日書之」 との記述があることから、 永禄十一年十二月十三日までに著されたとされる。 これらのことから、 顕誓は永禄十一年六月十八日までに一旦筆を置き、 その後、 再び起筆し十二月十三日まで添削を加えていたことがわかり、 本書は制作中に一定期間の中断を挟んで書かれたものであることが窺われる。
また、 永禄十一年十二月十三日を成立年時とすることは、 「書之」 の記述箇所から判断できるとの指摘もある。 顕誓の他の著作である ¬光闡百首¼ や ¬今古独語¼ の奥書には、 擱筆した年紀を記した後に 「書之」 と書かれている。 それにならって本書を見ると、 「書之」 と記されているのが、 「永禄十一年十二月十三日」 の年紀であり、 それが成立年時を示すとされている。
本書の呼称については、 当初からの書名かどうかは不明であるが、 本文題号にこの名が付されていないことから、 後世につけられたものである可能性が高いといえる。 一般には、 先に示した 「とてもやりすつるふるき文をうらかへして」 の文などに基づき、 その意を示す 「反故」 「反古」 などを題号にあてたものが多く見られる。 そのため、 従来より本書の題号の他、 「反古裏書」 「反古裏」 「変古裏」 といったさまざまな呼称が用いられていた。 しかし、 明和二 (1811) 年に刊行された ¬真宗仮名聖教¼ が 「反古裏」 としたことを機に、 本派本願寺派では 「反故裏書」、 真宗大谷派では 「反古裏」 という呼称が多く用いられている。 なお、 ¬今古独語¼ と合わせて 「顕誓記」 とも呼ばれている。
本書は、 先述の通り、 浄土真宗の通史を記した書物として位置づけられているが、 顕誓の蟄居中の厳しい状況下で著されたため、 主観的な面を含むものであるとの観点から、 一部には本書の史書としての評価を低くみる見解もある。 しかし、 本書が江戸時代以降、 浄土真宗の通史の模範として後世に及ぼした影響を考えると、 重要な史書であることには変わりはない。 その意味において、 顕誓の遺した功績は多大であり、 顕誓は実悟とともに浄土真宗の歴史を明かした両雄として称されている。