太子讃について
 六角堂における聖徳太子示現の文の感得が、 宗祖にとって大きな転換となったことはよく知られている。 宗祖は太子を 「和国の教主」 と尊称され、 敬慕の念を捧げられた。 そのような太子への深い思いから晩年まとめられたものが、 ¬皇太子聖徳奉讃¼ (75首) ならびに、 ¬大日本国粟散王聖徳太子奉讃¼ (114首) である。 このほか宗祖が太子について讃じられたものに、 文明本 ¬正像末和讃¼ にみえる 「皇太子聖徳奉讃」 (11首) があり、 こちらが一首ずつ内容が完結しているのに対し、 両和讃は史伝に基づき、 時に複数の和讃にまたがりつつ、 太子の行実を並べ讃じる形式をとっている。 また、 両和讃は 「三帖和讃」 に比べてかなり調子が異なるため、 未定稿であるとの指摘や、 宗祖の真撰とみなすかについての議論もあった。