本書は、 覚如上人の長男存覚上人の撰述である。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 本鈔は題号が示す通り、 浄土真宗の要義を述べたものである。
本鈔は、 総説と問答より成り立っている。 ¬浄土文類集¼ (撰者未詳) なる書をもとにして述作されており、 存覚上人当時の安心上の問題点を修正し、 浄土真宗の要義を詳論したものである。
冒頭の総論では、 ¬大経¼ にもとづき専修念仏が決定往生の肝心であるといい、 釈尊・善導大師・源空 (法然) 聖人・宗祖の法流の上に論じている。
続いて、 問答を設け浄土真宗の立場を明らかにしている。 第一・第二問答においては平生業成と不来迎について、 第十八願文及び第十八願成就文にもとづくことを明かしている。 次に第三問答では現生正定聚の義を論じ、 第四問答では ¬観経¼ 下下品の者が臨終往生をとげることは、 平生業成の義と相違しないことが明かされる。 第五・第六問答では本願文の十念及び本願成就文の一念について解釈し、 平生業成の義を詳論している。 第七・第八・第九・第十問答では、 臨終来迎が念仏の利益か諸行の利益かということについて論じ、 念仏と諸行の得益の相違を論じている。 第十一・第十二・第十三の三問答では化土胎生と報土化生との優劣について論じている。 そして第十四問答では総説に論じられるような善知識について説かれる。
本鈔の成立は、 大谷大学蔵本の奥書によると 「元亮四歳 甲子 正月六日これを書記て釈の/仏弟等に授与せしむるところ也」 との記述があり、 これによって元亮四 (1324) 年、 存覚上人三十五歳の時に制作されたことがわかる。 また ¬浄典目録¼ には、 仏光寺了源上人の所望によることが記されている。 ¬真宗法要¼ の校異によれば 「元亮四歳 甲子 正月六日これを書記て釈了源に授与しをはりぬ」 とある。
本鈔述作の由来については、 大谷大学蔵本に 「抑此文を/しるすおこりはひごろ ¬浄土文類集¼ と云書/ましますこれ当流の先達の御制作也」 との奥書があり、 「当流の先達」 の制作という ¬浄土文類集¼ なる書であることが知られる。 また、 ¬浄土文類集¼ の撰者をめぐっては、 一雄の ¬真宗正依典籍集¼ によると覚如上人の著とし、 慧琳の ¬浄土真宗書目¼ では存覚上人、 山田了道の ¬渋谷宝鑑¼ では真仏上人の撰述とする。 しかし、 僧樸の ¬真宗法要蔵外諸書管窺録¼ や泰巌の ¬蔵外法要菽麦私記¼ によると、 ¬真宗意得鈔¼・¬還相回向聞書¼・¬他力信心聞書¼ と同趣の文が存すると指摘されており、 これを根拠に 「当流の先達」 を ¬還相回向聞書¼・¬他力信心聞書¼ の撰者と目される了海上人とする説などもある。 しかしながら ¬浄土文類集¼ の撰者については、 依然として明瞭となっていない。
本鈔はその内容から、 本派本願寺蔵本のように、 総説並びに十四問答から成る広本系と、 大谷大学蔵本や専光寺蔵本のように複数の問答を欠く略本系の二系統があるとされる。 すなわち、 略本系では末巻の第三問答や第六問答及び第十四問答の善知識に関する記述が欠けている。
広略二系統が成立した事情を考えると、 元亮四年に成立したのは広本の系統であると推察される。 それは、 建武四 (1337) 年に覚如上人が ¬改邪鈔¼ の第十八条において、 「本願寺の聖人の御門弟と号するひとびとのなかに、 知識をあがむるをもて弥陀如来に議し、 知識所居の当体をもて別願真実の報土とすといふ、 いはれなき事」 と知識帰命を排した箇所が、 略本系統で欠けているからである。 すなわち、 本鈔の元となった ¬浄土文類集¼ は、 了祥の ¬異義集¼ で 「知識帰命計」 と評されているように、 知識帰命に関する記述が見られる。 その内容が広本に用いられていることから、 先の ¬改邪鈔¼ での知識帰命に対応する箇所が削除されたのが略本であると考えられる。 この考え方によれば、 広本は元亨四年の成立、 略本は覚如上人が ¬改邪鈔¼ を撰述された後の成立ということになる。