真仏上人書写消息の原本は、 ¬和語灯録¼ 所収の消息に付される註記から、 正治元 (1199) 年、 源空聖人六十七歳までには成立していたと考えられる。 そして、 本消息は、 「建長 乙卯 五月廿三日書之」 との奥書から、 建長七 (1255) 年に書写されたことが知られる。
本消息は、 「法然聖人御消息 上野大子女房御返事」 と題する一冊で、 二種類の表紙を有している。 旧表紙一は、 中央に 「法然聖人御消息」、 右下に 「上野大子女房御返事」 との外題が、 左下には 「釈慶信」 との袖書があり、 これらは宗祖の真筆とする説がある。 なお、 宗祖の真筆と見た場合、 題号の 「法」 を 「灋」 の字体で記している点は珍しく、 名号裏書など用例は限定されている。 旧表紙二は、 中央に 「法然聖人御消息」、 右下に 「上野大子女房/御返事」 との外題が、 左下には 「釈願行」 との袖書があり、 本文と同筆で記されている。
本消息の書写者について、 当初は旧表紙二の袖書にある 「願行」 なる人物と考えられていた。 しかし、 専修寺に蔵される国宝本 ¬浄土和讃¼・¬高僧和讃¼ の大部分、 あるいは ¬三部経大意¼ などと同筆であることから、 今日では真仏上人が願行なる人物へ欠き与えた後、 事情は定かでないが宗祖の手元に置かれ、 慶信へ譲渡したものと推定されている。
体裁は半葉五行、 一行十六字内外である。