本鈔は、 存覚上人の撰述とされている。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 本鈔の内容は、 「父母の菩提のために仏事を修する功徳のすぐれたる事」 と 「道場をかまへて念仏を勤行すべきこと」 という、 二段から構成される。
第一段では、 不孝の罪による苦果の相を示し、 父母の恩が重大であることを述べる。 具体的には、 ¬大経¼ 巻下の五悪段には不孝という悪因により苦果を受けることを示し、 ¬観経¼ には三世諸仏の浄業の正因である三福の一つに孝養父母を勧められていることを明かす。 そして、 ¬梵網経¼・¬華厳経¼・¬阿含経¼・¬心地観経¼ を文証として孝養を勧める。 さらに孝・不孝の得失について、 利天での事象を例に挙げて述べる。 すなわち、 帝釈天による善悪二趣の判定や、 波利質多羅樹の花開と萎縮による天人の諸相である。 これらの経文と例証によって、 父母に孝養すれば諸天善神も納受し、 諸仏菩薩も随喜して延命来福する旨が示され、 父母への孝養の道が大切であることを明らかにしている。 続けて、 玄奘の ¬抖擻の記¼ に見られる、 目の見えない王の治療薬として太子が両目を提供し、 後に阿弥陀仏のはたらきにより天眼を得たという因縁譚を挙げる。 伝説ではこの王が浄飯王、 太子が釈尊であったとされ、 釈尊の因行も孝養を専らにしており、 阿弥陀仏の施しも太子の孝養の志に感応されたものである旨を述べている。 また、 聖徳太子の逸話も示されている。 すなわち、 父である用明天皇が病床に伏した際、 聖徳太子は昼夜看病に尽くされ、 阿弥陀仏の名号を勧めたところ、 用明天皇は正念に住し称名することにより往生したという。 これらの伝説や逸話は、 大聖も大権も親子の縁が深いことなどを表している。 次に、 「父は能生の本として提撕教訓の恩をほどこし、 母は所生の源として乳哺生養の徳をあたふ。 恩のおもきことは、 そのあたひ千顆万顆のたまにもまさり、 こゝろざしのふかきことは、 そのいろ一入再入のくれなゐにもすぎたり」 と、 父母の恩徳の重いことを示している。 そして、 ¬心地観経¼ の説として、 親は子のために罪を造り悪道に趣いてしまう面があることを挙げ、 仏法を信じる心のない親は子を思う愛執から逃れ難いことを述べ、 そうした親への不孝をつぐなうために、 子は偏に滅後の孝養をして報謝にそなえるべきことを記している。 最後に、 人は死後中有にあって、 七七日および一周忌・三回忌の間に次第して十王の裁断に遇うことを示している。 そして、 ¬梵網経¼ の説示として、 父母等の命日には法師を請来して追福を修すべき旨を述べ、 中有にある亡き人のために追善の仏事を営めば、 その功徳によって悪趣から救うことができることを明かしている。 このように追善を示しているが、 「念仏の行者は、 信心をうるとき横に四流を超断し、 この穢身をすつるときまさしく法性の常楽を証すれば」 と、 念仏の行者は信心を獲た時に四暴流を断ずることを明かしている。 そして 「恩をいたゞき恩を報ぜざれば、 わが冥加もなく、 徳をになひて徳を謝すれば、 わが福分ともなるゆへに、 たとひ真実念仏の行者なりとも報恩のつとめをろそかにすることはあるまじきことなり」 と述べて、 真実の念仏の行者であっても、 心構えとして報恩のつとめを疎かにすることを戒めている。
第二段では、 道場を構えて念仏を行ずることについて述べている。 まず、 「念仏の行者、 うちに信心をたくはへて心を浄土の如来にかくといふとも、 道場をかまへて功を安置の本尊につむべし」 と述べ、 善導の ¬法事讃¼ や ¬観念法門¼ 等の文によって、 穢土を浄土に準じ、 私宅を道場に擬えて本尊を安置し、 念仏の会座とすることを説いている。 そして、 道場について種々の視点から定義を示した後、 「また道場といふは、 或は浄土をさし、 或は仏果にかたどれる名なり」 との理解も示されている。
本鈔は、 ¬存覚一期記¼ 四十九歳の条に 「¬至道鈔¼」 とその名がみえることから、 存覚上人四十九歳の撰述と考えられる。 しかし、 ¬浄典目録¼ にはその名が見えないことから古くよりその撰述に疑義が呈されている。 本鈔は、 僧樸の ¬真宗法要蔵外諸書管窺録¼ に、 「此亦真撰ニ非ズ。 始末文詞ハツタナカラズ、 モシヤ真撰ニモヤト眩セラルヽヤウナレドモ、 熟読スレバ偽造ナルコト明ケシ。 波利質多樹……十王裁断ノ長談義、 イヨイヨ合点ユカズ。 其上始終追修ヲモハラニスヽムルノミニテ、 弥陀願力ノ強縁ヲ談ズルコトハナハダスクナシ。 通浄土門ノ談義坊ナドノ編録セルニヤ。 決シテ真撰ニハアラズ」 とあり、 存覚上人の真撰ではないと評している。 また、 泰巌の ¬蔵外法要菽麦私記¼ では、 「存覚上人ノ撰ナルベシ。 追福・孝養・道場・仏閣等ノコトヲ明セリ。 一宗安心ノ書ニアラズ。 然レドモ存覚上人ノ御筆格ナリ。 別ニ世板ニ至道鈔トイフアリ。 初ヨリ九丁迄ハ報恩記ヲ妄リニヌキ出セシモノナリ。 九丁已下、 寂意等ノ化益アル文ハ報恩ノ記ニ非ズ。 然レバ後人ノ妄作ト云フベシ」 と、 存覚上人の真撰としながらも、 世間に同名で流布しているものがあることを指摘し、 両書を別本と見ている。 このように疑義はあるが、 本鈔は大谷大学蔵江戸時代書写本の題号の旁註に 「存覚上人造」、 巻尾に 「此抄者存覚上人御造也」 とあることや、 ¬報恩記¼ などに類似する内容がある点、 念仏行を強く勧められる点をもって、 今日では存覚上人の撰述と考えられている。