→太子讃について
皇太子聖徳奉讃 解説
 本和讃の内容を窺うと、 六角堂及び四天王寺の縁起や太子の前生譚にはじまり、 百済の使者から捧げられた太子礼讃の文、 そして、 太子による憲法十七条の制定、 磯長の太子廟の伝説等が讃じられている。 また、 和讃の終わり近くに至っては、 排仏に動いた物部守屋について繰り返し述べられ、 最後は憲法十七条の一節を詠じて和讃は終えられている。 これらの内容については ¬御手印縁起¼、 ¬聖徳太子伝暦¼、 ¬文松子伝¼ 等の史伝に典拠が置かれている。 なかには出典の記述をほぼそのまま和讃調にしたものもあり、 典拠となる史伝に非常に忠実な様子が窺われる。 その一方で、 憲法十七条の一節でやや唐突に終わる点などから、 本和讃を数編の未定稿が集められたものとする指摘もあるが、 宗祖真筆の断簡には首番号も見え、 また宗祖に先立って示寂した真仏上人が本和讃を書写していることから、 宗祖がこの内容と構成をもって書写を許可されたと考えられる。