親鸞聖人御消息集 解説
本集所収の通数は、 本派本願寺蔵室町時代末期書写本、 京都府永福寺蔵室町時代末期書写本などによって十八通とするのが一般的である。 現存最古の愛知県妙源寺蔵本 (残欠本) によれば、 現行の冒頭からの四通を二通とみることによって、 十六通であったともいわれる。 その内容は、 造悪無礙をはじめ、 念仏者弾圧のこと、 如来等同、 自力他力、 一念多念、 十二光のことなど多岐にわたっており、 宛名には、 常陸や下野という慈信房の事件による影響を受けた地域の門弟が多くみられる。
編者とその事情については未だ不明であるが、 その内容から常陸在住の門弟が慈信房の事件を中心にして、 関連して惹起された諸問題を収録したものといわれている。 また、 性信が慈信房の影響による念仏停止の訴訟にそなえて、 宗祖の教えの本旨を明らかにするために御消息を集め、 それに数通を加えたのが本集とする説もある。 成立年時は、 妙源寺蔵本が鎌倉末期の書写本であることから、 それ以前の宗祖の晩年か示寂されて間もない頃と考えられている。
本集には、 広略二つの形態が伝わっている。 広本がその原形であり、 略本とは広本から ¬末灯鈔¼ と重複する八通を除いたものである。 また、 そのことは略本最古の書写本である大谷大学蔵江戸時代中期恵空写伝本の裏表紙に 「この書一本に初に六通の御書をいるこの六通みな末灯鈔に出たり又中半に二通あり是も/末灯鈔に出たり合して八通加たる一本あり 今の写本にはかの八通を除たる本を以て写/畢ぬ私云八通は末灯鈔にあるゆへに略して写し来りたる歟云云」 とあることからも知られる。 略本は、 元禄二 (1689) 年には刊行されているので室町時代末期から江戸時代初期の成立であろうといわれ、 ¬真宗法要¼ や ¬仮名聖教¼ に収録されて広く流布した。