京都府青蓮院蔵本は、 奥書に 「延久二年四月十日平等院南泉房多本取集読相給ヒケルニ其中以善本日野点畢 其衆皇后宮大夫殿為張発 樺尾阿闍梨以為講師云々」 とあり、 これによると延久二 (1070) 年、 宇治平等院内の南泉房において皇后宮大夫 (源隆国) を張発とし、 を講師として、 ¬往生要集¼ 諸本の収集・校合が行われ、 そのうち善本を選定し、 日野という者が校点を施したという。 この記述から、 当本は平等院で校訂された延久二年本を原本として、 承安元 (1171) 年に沙門弘恵によって書写されたことが知られる。
 本文は端正な書体で清書され、 左右に詳密な訓が施されている。 その付訓は一部にぺっぴつも認められるが、 ほとんどは本文と同同筆と考えられる。 特に右訓は、 最明寺本のオコト点と共通するものが多い。 返点は上巻の一部にのみ付されている。
 体裁は粘葉装三帖、 半葉七行、 一行十八字内外である。 上巻の大文第一厭離穢土の畜生道の後半 「三熱苦」 より人道の初頭 「有三百六」 までの一丁は失欠している。