本書は、 存覚上人の撰述である。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 浄土真宗の立場から本地垂迹説に基づく神祇思想を述べている。 当時の本地垂迹説は神祇と仏・菩薩との関係を説いたものであったが、 本書は、 神祇とは本地である仏・菩薩が仮に様々なすがたを示現したものであるとする仏教の神祇観に即しながら、 存覚上人独自の視点を示している。
本書は、 権社の霊神、 実社の邪神、 諸神の本懐を示す三段に分けて構成されている。 その中で、 実社の邪神を否定し、 権社の神は認めているものの、 最終的には弥陀本地の立場から、 諸神の本懐は、 衆生を念仏の道に誘因することにあると示している。
第一段では、 様々な権社の霊神について、 神と仏・菩薩との本迹関係を詳説している。 権社とは、 仏・菩薩が衆生救済のために仮に神のすがたをもって現れることをいう。 熊野権現をはじめとした様々な権社の霊神を挙げて、 これらの霊神は究極的には阿弥陀仏一仏の智慧におさまることが示されている。 このことから、 阿弥陀仏を唯一の根本的な本地に位置づける存覚上人の意図が窺える。
第二段では、 実社の霊神を明かし、 これらの神が邪神であることを説く。 実社とは、 たたりをなす悪霊・死霊などである。 それらに帰依すれば、 永く悪道に沈むことが述べられる一方で、 阿弥陀仏に帰依することにより、 権社の霊神が常に擁護し、 実社の神のたたりが近づかないことが示されている。 また、 たたりをもたらすような邪神だけでなく、 先祖神までもが実社の中に含まれるとすることに特色がある。
第三段では、 第一段で示される本地垂迹説を承けつつ、 諸神の本懐は衆生に念仏を勧めることにあることを明かす。 そして、 本地垂迹説に基づいて諸神と諸仏・菩薩との本迹関係を語り、 さらにその諸仏・菩薩は阿弥陀仏の分身であることを示し、 諸神をあがめることが、 そのまま阿弥陀仏一仏に帰することになると、 諸神と阿弥陀仏との関係を示している。
本書の成立について、 真宗法要所収本の奥書に 「元亨四歳 甲子 正月十二日依↢釈了源託↡染/↠筆訖此書雖↠有日来流布之本↡文言以↠令↢/相違↡義理非↠無↢不審↡之間大略加↢添削↡畢/是則依↠為↢願主之命↡也定招↢諸人之嘲↡歟」 とあることから、 元亨四 (1324) 年、 存覚上人三十五歳の時に、 仏光寺了源聖人の所望によって著されたことがわかる。 所望者が了源上人であることは大阪府真宗寺所蔵の ¬浄典目録¼ に 「已上依空性了源望草之」 とあることからも窺える。 また、 先の奥書から、 本書は当時ひろく読まれていた書物の不審な点に存覚上人が添削を加えたものであることも知られる。
本書の元になったその書物とは、 これまで 「源空」 の撰号をもつ漢文体の ¬諸神本懐集¼ であると目されてきた。 しかし、 この書は本書の内容とほとんど差異がなく、 後生、 存覚上人の ¬諸神本懐集¼ を源空 (法然) 聖人に仮託して改編されたものといわれている。 今日では、 長野県向源寺所蔵の ¬神本地之事¼ が本書の元となっているとする説が有力である。 ¬神本地之事¼ は本書と同様に権社の霊神、 実社の邪神、 諸神の本懐を示す三段に分けられており、 文章の構造のみならず、 文言の一致する箇所も多い。 また文章が本書より拙劣であるといわれていることから、 存覚上人が 「添削」 したという本書の奥書の趣旨にも符合する。 また、 本書には ¬神本地之事¼ に見られない内容があり、 それが、 信端の ¬広疑瑞決集¼ と一致することから、 存覚上人は ¬広疑瑞決集¼ を参照しつつ ¬神本地之事¼ を添削し、 本書を制作されたものと考えられている。
存覚上人は、 元亨四年一月に本書を著した後、 三月に ¬持名鈔¼、 八月には ¬破邪顕正抄¼ を制作している。 この両書には本書同様、 上人自身の神祇思想が見られ、 この当時存覚上人がいかに神祇の問題解決に力を注いでいたかを窺い知ることができる。 その背景の一つに、 この当時まで続いていた律令仏教および日蓮宗から浄土門への非難がある。 当時は本地垂迹説を基盤とする神祇思想が一般的であり、 この観点より浄土門に対して神祇不拝との非難が加えられた。 このような中において、 本書が本地垂迹説を積極的に受容し、 「弥陀の垂迹である諸神の本懐は念仏を勧めることにある」 という点から、 その非難に応えようとした意図を見ることができる。 特に存覚上人の時代が本願寺教団の創世記であることを考慮すれば、 時代の風潮との調和を図り、 対外的に浄土真宗の正当性を高めるために果たした本書の役割は大きかったといえる。