龍谷大学蔵正平二年書写本は、 下巻の奥書に本文と同筆で 「本云」 として寛元元年の刊記と康安三年の刊記、 ついで 「右以正平 仲呂之天如印板之奉書写之 執筆隠林正情/柳渓釈浄教」 とあることから、 正平二 (1347) 年に正情によって書写されたことがわかる。 この刊記から、 当本は寛元三年版をもとにして悟阿なる人物によって刊行された康安三 (1280) 年版を書写したものであることが知られる。 これによって現存が知られていない弘安版の内容を准知することができるが、 寛元版との間に大きな相違点はない。 それぞれの表紙中央には 「安楽集上」、 「安楽集下」 とあり、 左下には 「釈円智」 との袖書をもつが、 執筆者の正情やこれを伝持した円智についての詳細は明らかではない。 なお、 本文には墨書による返点・送り仮名が付され、 上巻のみには朱書による註記がみられるが、 この朱註は、 江戸時代中期の伝持者と考えられる柳渓浄教によるものである。 このように、 当本は朱墨を用いた複数の筆が混在しており、 このため当本を校合するにあたっては、 本文に関する訂記や挿入文字などの墨書と、 本文に上書された朱書をも校異の対象とした。 また墨書による異本に関する註記のみ校註に示した。
 体裁は半葉六行、 一行十七字であり、 上巻は五十八丁、 下巻は五十四丁である。 なお、 上巻ではおよそ十二丁がまとまって落丁している。