磧砂版 (宋版) ¬大蔵経¼ は、 南宋の時代に磧砂 (江蘇省平江府) の延聖院で経坊を建て、 大蔵経の雕印が行われたことによる。 この大蔵経の刊行の順序には、 なんらの計画性も見られないが、 尾跋集からすると出版に際しての経費募財の都合によることが知られる。 最古の刊記は紹定四 (1231) 年三月で、 この頃から雕印が始まっている。 嘉熙・淳祐年間 (1237-1252) には刊行の最盛期を迎えたが、 宝祐六 (1258) 年、 大火によって延聖院が焼尽し、 刊行も途絶して未完成のまま南宋の滅亡となった。 その後、 元朝になって延聖院が再建されると、 1299年から雕印も再開し、 大徳十一 (1307) 年から延祐二 (1315) 年の頃、 完刻をみた。 完了は元版より後である。
磧砂版はながらく散逸したとみなされていたが、 近代に至って西安の臥龍寺と開元寺で発見され、 その全貌が明らかとなった。 本文の校正は正確で、 学術的な評価も高い。
その体裁は折本装、 一紙五折三十行、 一行十七字である。