高麗版 ¬大蔵経¼ 再雕本は、 高麗版初雕本の版木が消失したために再度作成されたものである。 高麗版初雕本の版木は、 都の開城にある符仁寺に所蔵されていたが、 高宗二十三 (1236) 年にモンゴル軍が侵入した際の兵火によって消失した。 これを承けて同年、 高宗が相国李奎報らに命じて、 その雕印を指示し、 十五年後の高宗三十八 (1251) 年に完了した。 現在、 慶尚南道の海印寺にその版木が所蔵されている。 版木の枚数が八万枚に達することから八万大蔵経とも呼ばれている。 この高麗版再雕本は沙門守其らによって校勘がなされていることから、 現在一部批判が提出されるものの、 ¬大正新脩大蔵経¼ の底本に用いられるなど、 高い評価を与えられてきている。 日本においては、 大谷大学・建仁寺・増上寺・相国寺・法然寺・金剛峯寺などにまとまって所蔵されている。 影印本として、 ¬高麗大蔵経¼ (東国大学校)・¬高麗大蔵経¼ (東洋仏典研究会)・¬高麗大蔵経¼ (線装書局) などがある。
 体裁は巻子装、 一紙二十三行、 一行十四字である。