本抄の古写本は十数部を数えるが、 通常、 巻尾にある流罪記録から大きく二系統に分類される。 それに従えば、 流罪記録を有する写本は蓮如上人書写本、 永正十六年本であり、 流罪記録のない写本は龍谷大学蔵本である。 また、 蓮如上人書写本に対して仮名遣いの統一を行ったのが永正十六年本であり、 仮名から漢字への転移が行われたものが龍谷大学蔵本とする説もある。
 本派本願寺蔵蓮如上人書写本は、 本抄の写本中、 最古のものである。 虫食いやシミの状況から、 半葉六行の袋綴冊子であったものを江戸時代中期に巻子本に改めたと推定され、 現在は第十三条までが一巻目、 第十四条以下が二巻目の巻子本となっている。 第八代蓮如上人の授与された聖教の多くが粘葉装であることから、 袋綴の本抄は門下へ授与した聖教とは性格が異なり、 急遽書写したものではないかとする見解もある。 また、 表紙の中央には 「歎異抄一通」 と墨書されており、 右下に 「蓮如之」 の袖書きがあることから、 蓮如上人自用のものであることがわかる。 もともと本文と流罪記録の間には二葉分の白紙が見られ、 古来から流罪記録を本抄の一部と認めていなかったと推測する説もある。 流罪記録の後には、 蓮如上人の識語と署名とが記されている。 書写年代については諸説あり、 六十五歳頃とする説、 本文と流罪記録の 「八人なりと 」 までが四十歳前後でそれ以下が六十五・六歳頃とする説、 本文が比較的若い頃で奥書以下が七十五歳頃とする説、 花押の形から文明年間後期 (六十四歳から七十三歳) とする説などが見られるが確定されていない。
 体裁は一行十七字内外で、 右仮名は序文以外に散見され、 左仮名は 「枯草」 のみに付されている。 また、 訂正や抹消、 併記が見られる。