蓮淳 (1464-1550) 蓮如れんにょ上人の第十三子 (第六男)。 蓮如上人の吉崎よしざき下向にともない、 親鸞しんらんしょうにん影像えいぞうを安置するおお近松ちかまつけんしょうを守り、 大津近松殿と呼ばれた。 また、 えいしょう年間 (1504-1521) 年間に伊勢いせ長島ながしまがんしょうを開創し、 近畿・東海地方の教線の伸長につとめた。 一時、 本願寺を離れたが、 下間しもつま頼秀よりひで頼盛よりもり兄弟の追放と前後して復帰し、 河内かわちの顯証寺 (もと西さいしょうと称した) に入った。 近松顯証寺・かたしょうとくを兼住。 実如じつにょ上人を助け教団の護持に尽し、 晩年は光応こうおうと称してしょうにょ上人時代の本願寺で勢威をもち、 指導者的な役割を担われた。 著書に ¬蓮如れんにょしょうにん若年じゃくねんの砌事みぎりのこと¼ がある。