底本は両書ともに高田派専修寺に蔵せられ、 真仏上人の書写によるものである。 内容は 「親鸞上人伝絵」 上巻第三段に、 六角堂救世観音の夢告の文として収録される。 いわゆる 「行者宿報偈」 であり、 ¬親鸞夢記云¼ には偈文の前後に詞書が付されている。 また、 両書の他に宗祖の夢告に関する ¬三夢記¼ と称せられるものが同寺に蔵せられるが、 これについては後世の作とされる。
宗祖の 「行者宿報偈」 感得の時期については今なお議論がある。 これは ¬恵信尼消息¼ に添付されていたといわれる、 宗祖の吉水入室の契機となった御示現の文が、 「行者宿報偈」 であるのか、 あるいは 「廟窟偈」 であるのかという問題と深く関わるものである。 宗祖の夢告については、 ¬恵信尼消息¼ の示す建仁元 (1201) 年、 「親鸞伝絵」 にみられる建仁三 (1203) 年、 ¬教行信証¼ 後序に 「またかの夢の告げによりて」 とある元久二 (1205) 年の三つの年時が挙げられる。 しかし、 「親鸞聖人伝絵」 では夢告の年時について諸本間に記述の相違があり、 これと ¬恵信尼消息¼ との記述を含めて、 夢告の回数についても議論がある。 「行者宿報偈」 の感得については今後の検討が待たれるところである。
「親鸞夢記云」 はもと真仏上人筆の ¬経釈文聞書¼ に収められていたが、 後に ¬経釈文聞書¼ より切り取られ、 軸装されている。 その裏書には 「元祖親鸞聖人真筆夢想之記 専修寺円猷(花押)」 とあり、 ¬経釈文聞書¼ には、 「聖人六角堂御夢想之記此所に于之一枚半也 依仰抜出し御掛物に被仰付也/享保十四 己酉 年五月廿四日」 と墨書されている。 この享保十四 (1729) 年とは、 下野高田の一光三尊仏が、 江戸及び伊勢専修寺で初めて出開帳され、 他の宝物類の展観が行われた年であることから、 当時、 本書を宗祖真筆と考え、 宝物展観に用いるために別表具したものと言われる。 後に本書は宗祖真筆ではなく真仏上人書写とされたが、 宗祖在世時に書写されていることから、 その資料的価値は非常に高いといえる。
なお、 本書の題号に 「親鸞夢記云」 とあるが、 この ¬親鸞夢記¼ については現存しておらず、 その内容や成立については明らかではないが、 「聖人」 等の尊称が用いられていないことから、 宗祖自身による記録であると思われる。 また、 「親鸞聖人伝絵」 に 「かの ¬記¼ に曰く」 として、 本書前半の詞書とほぼ同文が配されていることから、 「かの ¬記¼」 とは ¬親鸞夢記¼ を指しているものと思われる。
「六角堂夢想偈文」 は 「行者宿報偈」 が縦二行に墨書されたものであり、 返点の他に左右に仮名も付されているが、 後に両端が切断された際に訓点の一部が切り落とされてしまっている。 本書は宗祖真筆の 「浄肉文」 の末尾二行分の紙背に書かれていたものを、 江戸時代に紙背より剥がして別幅に仕立てたものである。 「浄肉文」 の末尾二行は紙の貼り継ぎ部分であり、 裏の夢想偈文が先に書かれて別紙に貼り継がれた後、 表に 「浄肉文」 が記されたものとみられる。
本書はかつて宗祖真筆とされていたように、 宗祖の筆跡にかなり近いものの、 筆跡研究の進展により、 現在では真仏上人による書写であるとされる。