明代には、 洪武五 (1372) 年に南京の蔣山寺で開版された洪武南蔵、 永楽十七 (1419) 年に南京の大報恩寺で完成した永楽南蔵、 正統五 (1440) 年頃に北京で完成した洪武北蔵などがある。 これらは勅版であるが、 ほとんど日本には伝えられず、 主に万暦版が将来された。 明版 (万暦版) 大蔵経は、 万暦十七 (1589) 年頃に山西省の五台山で達観真可や密蔵道開などが開版に着手し、 のちに江南などに分出して事業が進められた。 明勅版のうちの北蔵を底本とし、 宋版・元版と明勅版のうちの南蔵とで対校されている。 正蔵が万暦年間中までに雕造されたことにより万暦版と呼ばれ、 嘉興 (浙江省) にある径山の楞厳寺で装丁・頒布されたことにより嘉興蔵とも楞厳寺蔵とも径山蔵とも呼ばれる。 正蔵の後に、 嘉興続蔵や嘉興又続蔵が追加して開版され、 康熙十五 (1676) 年に明版大蔵経が完成した。 その体裁は、 これまでの大蔵経と大きく異なり、 袋綴冊子本、 半葉十行、 一行二十字で、 その文字様式は明朝体である。 日本の鉄眼道光が、 延宝六 (1678) 年に開版した黄檗版大蔵経の主たる底本は、 この万暦版である。 日本においては、 鎌倉光明寺・称名寺・長谷寺・西蓮社・東京大学・龍谷大学などに所蔵されている。 影印本として、 ¬明版嘉興大蔵経¼ (新文豊出版公司)、 ¬嘉興蔵¼ (民族出版社) がある。