末灯鈔
 本鈔には、 多数の書写本が現存しており、 広く流布したことが知られる。 まず、 滋賀県慈敬寺蔵寛永三年乗専書写本 (本巻) と大阪府願得寺蔵康永元年乗専書写本 (末巻) は本末それぞれが欠本で書写年時も異なるが、 本鈔成立後間もない頃に書写された現存最古の書写本である。 次に、 大谷大学蔵文安四年蓮如上人書写本は御消息の多くに表題が付され、 最も流布した系統である。 龍谷大学蔵室町時代中期書写本は蓮如上人書写本以前の書写系統で再治の事情を記した奥書をもつ。 真宗法要所収本は蓮如上人書写本系統のものを底本とし、 龍大蔵本系統のもので校合している。 また、 他に本鈔を編集する際に素材となった書写本の系統とみられている愛知県浄光寺旧蔵版などがある。
 本鈔所収の通数は、 他の消息集と比較して最も多く、 第十九通・第二十通を一連のものとして全二十一通としている書写本もあるが、 全二十二通とするのが一般的である。 内容については、 本末二巻の構成で、 教学的な内容が多いことが特徴である。
 編者は、 覚如上人の次男である従覚上人で、 「本願寺親鸞大師御己証辺州所々御返事等類聚抄」 との内題は本鈔が 「御己証」 と 「御消息」 を集めたものであることを示しているが、 「御己証」 とは法語を指し、 具体的には(1)(2)(5)(21)(22)などがそれだといわれる。 成立年時と編集事情については、 龍大蔵本の奥書および ¬存覚一期記¼ の記述により知ることができる。 すなわち、 本鈔は正慶二 (1333) 年四月に従来より所持していた三、 四通の御消息に、 この頃見た一、 二帖の本を加え、 年号や日付の前後錯乱等を正して編集された。 こうして本鈔は成立したが、 建武三 (1336) 年に大谷本願寺が火災に遭った際、 この初稿本が消失したために、 建武五 (1338) 年七月三日に転写本を用いて再治したという。 従覚上人の手によるこの二本はいずれも現存しないが、 その編集意図について、 先の奥書では宗祖の御消息は念仏成仏の咽喉、 愚痴愚迷の眼目であるためとしている。
 本鈔の成立は、 消息集の中では最も遅いが、 広く流布したためか消息集としては最も早く承応三(1654)年に刊行されている。
 また、 「末灯鈔」 という書名は、 首題・尾題・奥書に見えないことから外題にあったと推測されるが、 乗専書写本は本来の表紙を失っているため当初からのものかは不明である。 その初見は、 蓮如上人本であり、 この頃から見られる書名であることが注意される。