愛知県満性寺蔵室町時代書写本は表紙を欠き、 奥書もないため、 書写年代や書写者については不明であるが、 紙質や墨色等からして、 室町時代中期頃の書写とされる。 本文には 「一百一十四首」 の語に続いて、 ¬日本書紀¼ や ¬日本霊異記¼ 等の書名が列挙され、 続いて他の写本には見られない 「三宝流布讃略云」 にはじまる一文が置かれている。 書名の列挙については、 宗祖がこれらの書物を渉猟したことを示すものではなく、 本和讃の典拠である ¬三宝絵詞¼ からの転載である。 また、 満性寺本は百十四首和讃と七十五首和讃とが一連に書写されている。 両和讃を併せて書写することは、 覚如上人や従覚上人にもみられ、 そもそも宗祖が両和讃を二帖一具として門弟に与えられたのではないかとの指摘もある。 かつて本和讃の内容については明和元 (1764) 年に刊行された大谷派先啓の ¬真宗遺文纂要¼ 所収のただ一本のみが世に知られており、 その奥書によると 「八代願永寺」 に真筆が蔵せられるとされたが、 願永寺の所在については不明であった。 しかし、 後に発見された古写本の奥書や研究の進展により、 願永寺とは青森県十一日町の願栄寺であり、 同寺に伝わる真筆とは第八代蓮如上人による書写本であることが明らかとなった。 しかし、 蓮如上人書写本については既に焼失したという。