本派本願寺蔵版 ¬校点浄土三部経¼ は、 京都府慶証寺玄智 (1734-1794) が安永元 (1772) 年に校刻した ¬大谷校点浄土三部経¼ を、 文化八 (1811) 年に本願寺の蔵版として再刻したものであって、 定型勤式用型、 折本仕立の大経上下二巻、 観経・小経各一巻よりなる四帖本である。
 ¬大谷校点浄土三部経¼ について、 玄智は ¬浄土真宗経典志¼ に、 「与↢鎮西本↡、有↢数字異↡。享保十二年丁未三月、講主離塵汝岱校刻、分↢句読↡、間付↢濁圏↡。未↠幾而廃。安永元年壬辰正月、慶証寺玄智景耀、再興↢久廃↡、校↢刻新本↡。分↢句読↡、点↢濁半濁新濁↡、決↢四声有↠疑者↡、称曰↢大谷校点浄土三部経↡。」 と述べている。 享保十二年 (1727) に第三代能化離塵汝岱 (若霖 1675-1735) が校刻したとされる三部経が未だ完備したものでなくて、 まもなく廃されていたのを、 玄智が検討して、 句読点や清濁点を正確に示されたものである。 従来は鎮西派の義山本に傚っていたものが、 ここに初めて本派依用の三部経として整備されたわけである。