本書は、 法然上人の晩年の念仏の領解を述べられたもので、 内容は二段に分かれる。 第一段では、 自身の念仏は、 一般に行われている仏のお姿を観ずる念仏や、 学問をして念仏の意義を知って称える念仏ではなく、 ただ南無阿弥陀仏と申せば往生せしめられると信じて称えているほかにはないといい、 三心も四修もそこにこもっていると専修念仏の極意を述べ、 このほか、 奥深いことがらを知ろうとすれば本願の救いからもれると誡められる。 次に、 第二段では、 念仏を信ずるものは、 いかに学問をしたものであっても愚鈍の身にかえって念仏すべきであるといわれている。
奥書には、 法然上人自身の領解はこのほかに別になく、 滅後の邪義をふせぐために、 所存を記したのであるとその由来が示されている。