高田派専修寺蔵正応三年顕智上人書写本は、 現存するのが ¬浄土和讃¼ と ¬正像末和讃¼ のみで ¬高僧和讃¼ を欠くが、 この本の包紙には 「浄土和讃二冊 正像末法和讃一冊 右顕智上人御筆」 とあるので、 もとは三帖一具として伝えられたことが窺える。
 ¬浄土和讃¼ は、 奥書に 「草本云/建長七年 四月廿六日 之/正応三年 九月十六日令書写之畢」 とあるので、 顕智上人による正応三 (1290) 年の書写であることが分かり、 またその底本は建長七 (1255) 年のものであることが分かる。 但しこの 「草本云」 以下は宗祖の常の筆格と異なるので、 宗祖の真筆ではなく、 この顕智本の底本の書写奥書と見られる。 顕智本は国宝本から構成が変化しており、 ¬浄土和讃¼ では 「現世利益讃」 と 「勢至讃」 との位置が入れ替わり、 冠頭に三首、 巻尾に五首の別和讃が置かれ、 「大経讃」 が一首増え、 弥陀の徳号は二つ増えており、 総計百十七首である。 字句にもかなりの異同が見られる。
 ¬正像末和讃¼ は、 「誡疑讃」 「聖徳奉讃」 の各一首、 「悲嘆述懐讃」 「善光寺産」 の各五首、 「自然法爾章」 およびその後の二首を欠き、 総計九十二首である。 解説で触れられている 「正嘉二歳」 の奥書に続いて 「正応三年 九月廿五日令書写之畢」 とあることから、 顕智上人が ¬浄土和讃¼ に引き続いて写したものと見られる。 国宝本から構成が改まっており、 巻頭に ¬般舟讃¼ の文を置き、 康元二歳の 「夢告讃」 、 「三時讃」 五十八首がある。 次いで 「愚禿述懐」 二十二首、 「愚禿悲嘆述懐」 十一首があり 「已上三十三首 愚禿悲嘆述懐」 と結んでいる。 また奥書の後に ¬涅槃経¼ と ¬観念法門¼ の文を抄出している。 なお現存しない ¬高僧和讃¼ については、 三重県中山寺蔵真慧上人書写の 「源空讃」 の 「源空ひじりとしめしつゝ」 の部分に 「コレハケンチシヤウニンノコホンニハヒシリトアリ」 との註記があり、 この頃にはまだ存在が確認できるが、 天文十八 (1549) 年書写の愛知県満性寺蔵本が、 ¬浄土和讃¼ ¬正像末和讃¼ が顕智本系であるのに、 ¬高僧和讃¼ が国宝本より成っていることから、 この頃には失われていたと考えられる。