顕誓について
 ¬光闡百首¼ ¬今古独語¼ ¬反故裏書¼ の著者は、 蓮如上人の大四男蓮誓の第九子にあたる顕誓である。 明応八 (1499) 年に誕生した顕誓は、 長兄蓮能が早世したことにより、 六歳で加賀の山田光教寺の法嗣となる。 しかし、 後に光教寺は加賀一向一揆の内部抗争である享禄の錯乱において、 波佐谷松岡寺、 二俣本泉寺とともに動乱に身を投じる。 これによって顕誓自身も第十代証如上人から勘気を蒙り、 以来約二十年間の流浪生活をおくることになる。 天文十九 (1550) 年には赦免され、 姉の嫁ぎ先であった播磨の本徳寺に奇遇した。 その後は越前での講和交渉や大坂本願寺の鎰役に任ぜられるも、 永禄十 (1567) 年には法義上の嫌疑によって本徳寺での蟄居を命じられる (これに対して顕誓が自身の領解を述べたものが ¬顕誓領解之訴状¼ といわれる)。 この蟄居の間に制作されたのが、 本聖典収録の ¬光闡百首¼ ¬今古独語¼ ¬反故裏書¼ である。 これら三部は、 蓮如上人以降の本願寺などに関する状況を知る上で注目すべき貴重な史料であり、 顕誓が遺した功績は極めて大きい。