建保四年刊本は、 完本が現存しないため、 専光寺蔵本と出口順得氏蔵本とを組み合わせて用いた。 専光寺蔵本の第六帖の巻末には 「建保四年歳次丙子初冬十月下旬八日 以諸人助成致三巻彫刻 是則先師蓮契上人発起弘願 雖企経始不遂素懐早期黄壊 仍任遺旨今終微功矣 遺弟最寂記之」 の刊記があり、 建保四 (1216) 年、 先師蓮契の遺志により最寂によって刊行されたことが知られる。 刊記の後に遣宋消息及び返報が墨書され、 続いて建保五 (1217) 年三月二十三日に印西が本書を摺写したと同筆で記されている。 この建保五年という墨書奥書により、 専光寺蔵本は建保四年巻本の初摺りに近いものと推定されるが、 上巻は補写や別版であるため、 出口順得氏蔵本を用いて対校した。 出口順得氏蔵本は、 建保四年刊本のどちらかといえばやや後摺りに当たるのではないかと判断される。 墨書による右仮名が全体にみられるが、 返点はほとんど付されず、 また数箇所の落丁が認められる。
 建保四年刊本の体裁は粘葉装六帖、 半葉六行、 一行十五字である。