高野山寶壽院蔵鎌倉時代刊本は上巻のみ、 龍谷大学蔵寛元三年刊本は下巻のみ存している。 上巻には刊記がないが、 字体、 版型等を検討すると、 同版である可能性が高い。 以下両者を同版とみなして述べると、 下巻の巻尾に 「斯集一部 就現行本 開雕刻印 唯為通浄教沾蒼生也 但虎唐之謬 魚魯難詳 正本流伝 後是刪定 庶使乃至一聞之類 同結九品之縁而已 漢和三年 乙巳 仲秋日 願主比丘住成」 とある。 漢和三 (1245) 年八月の開版であり、 現存するものとしては本書最初の刊行である。 願主の住成が、 いかなる人物であったか明確ではないが、 この後、 宝治二 (1248) 年に ¬往生拾因¼ を、 建長二 (1250) 年には ¬群疑論¼ 六巻を印行したことが知られている。 なお龍谷大学蔵本は、 「写字台文庫」 に旧蔵されていたものである。
体裁は粘葉装、 半葉六行、 一行十七字であり、 上巻六十九丁、 下巻五十四丁である。