本鈔は、 存覚上人の撰述である。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 題号にある 「法華」 とは、 本書の冒頭において 「天台一家の宗義のほかに、 また近代 ¬法華¼ 等を信ずるともがらあり。 みづから称して法花宗と号す」 と述べて、 天台宗のほかに ¬法華経¼ を信奉する集団のいたことを伝えており、 存覚上人当時の日蓮宗を指していると思われる。 本書は、 存覚上人と日蓮宗徒との間におこったと伝えられる教義論争の内容をまとめたもので、 浄土教の立場から法華に対して念仏が勝れていることを、 十二の問答をもって明らかにしたものである。
本書は本末二巻の構成であるが、 内容は三段に分けて見ることができる。 すなわち、 第一問答から第四問答までは法華爾前教 (法華以前に説かれた教え) における得益の有無をはじめとした論難に答える段、 第五問答から第九問答までは ¬観経¼ と ¬法華経¼ の説時について論じる段、 第十問答から第十二問答までは法華と浄土教のどちらが釈尊の出世本懐であるかを論じる段である。
第一段は、 はじめに日蓮宗徒からの三つの論難を挙げ、 問答を展開する。 その論難とは、 一つ目は ¬法華経¼ の 「如我昔所願、 今者已満足、 化一切衆生、 皆令入仏道」 の文と、 ¬無量義経¼ の 「四十余年いまだ真実をあらはさず」 の文を根拠として、 法華而前教である ¬観経¼ は方便の説であり、 得益がないとする難である。 二つ目は ¬観経¼ は中三品の機は極楽浄土に生じて四諦の法を聞いて小果を証することを説いているから、 極楽浄土は方便の土であり大乗ではないとする難である。 三つ目は ¬法華経¼ をもって浄土宗義と比較して、 念仏を無間地獄の業とする難である。 これらの批判に対して存覚上人は、 いずれも文と理とに背くものであると返難する。 返難をうけた日蓮宗徒は、 念仏自体が無間地獄の業なのではなく、 念仏の行者が法華を毀謗するから無間地獄の業であると主張する。 そして、 ¬法華経¼ と ¬涅槃経¼ とを文証として、 法華を信じないものは謗法・闡提という二つの罪業があるとし、 法華不信という点から念仏が無間地獄の業であると再難する。 存覚上人はこの論難についても、 ¬法華経¼ と ¬涅槃経¼ の文意を解釈し、 さらに一々の疑難を釈明することで、 念仏の行者は謗法罪を犯すものではなく、 念仏自体もまた無間地獄の業ではないことを明らかにしている。 これを受けて、 善導大師と源空 (法然) 聖人が ¬法華経¼ を麁悪、 法華の行者を悪と名づけたのは謗法であるとの難についても、 所修の法華の行体を悪と名づけているのではないから、 謗法とはいえないと退けている。
第二段は、 浄土宗において念仏と法華とを同時の説とすることに対する問答である。 日蓮宗徒は、 法華の同聞衆である阿闍世が、 法華の教説を聞法した後に逆罪を犯すことはあり得ないという道理や、 ¬観経¼ は阿闍世を 「太子」 と説くが、 ¬法華経¼ は 「王」 と説いていることなどを理由に、 ¬観経¼ は法華爾前教であると論難する。 この難に対して存覚上人は、 ¬観経¼ が法華以前の教説だとすれば、 ¬涅槃経¼ には阿闍世が逆罪以後初めて仏所を訪ねて滅罪得益した旨が記されているから、 法華の会座では滅罪得益しなかったこととなり、 このような ¬法華経¼ の 「皆令入仏道」 の教説に背く主張こそ謗法罪であると返難する。 その上で、 阿闍世は法華の序分では同聞衆として列なるも、 正説を聞かなかったために逆罪を犯したとの見解を述べる。 すなわち、 ¬涅槃経¼ に仏が三ヶ月後に涅槃する旨が記されているが、 法華の結経である ¬普賢経¼ にも同様の説時があることから、 法華の会座は ¬涅槃経¼ が説かれる直前まで行われていたと窺える。 さらに、 ¬善見論¼ には阿闍世が頻婆娑羅王を幽閉して政治を行った時点から王と名乗り、 その八年後に仏が涅槃したと記されていることなども根拠として、 阿闍世の逆罪を説く ¬観経¼ の説時が法華の序分の末になると考えられるため、 その法華と同時の説になると、 疑難を破している。
第三段は、 釈尊の出世本懐についての問答である。 日蓮宗徒は、 法華経には 「一大事の因縁のゆへに世に出現す」 とあるが、 「浄土三部経」 に同様の文言はないのに、 どうして出世本懐というのかと難じる。 これに対して存覚上人は、 ¬小経¼・¬法事讃¼ 下巻・元暁の ¬小経義疏¼・¬大経¼ 下巻の文を列挙し、 浄土教を出世本懐とする文が分明であることを明かして論破している。 続いて日蓮宗徒から、 法華爾前教はすべて法華一乗の方便であり、 ¬法華経¼ こそが出世本懐である。 浄土教は薄福一機のための教えであるから、 出世本懐とはいえないという論難が出される。 この難勢に対して存覚上人は、 ¬華厳経¼・¬涅槃経¼・¬荘厳経論¼ を文証として、 諸仏の出世は重苦の衆生の救済を先とすることを示し、 釈尊の出世本懐も浄土教にあることを明かしている。
本書の所望者については所説ある。 大阪府真宗寺に所蔵される ¬浄典目録¼ には、 ¬決智鈔¼ と同様に明光上人の所望と伝えられ、 一方で、 本派本願寺に所蔵される ¬浄典目録¼ には、 慶空の所望と伝えられる。 また、 寂慧の ¬鑑古録¼ には、 願空の所望と記されており、 一定ではない。 しかし、 撰述年については、 ¬存覚一期記¼ 四十九歳の条に日蓮宗徒と対論した旨が記されることから、 本書は暦応元 (1338) 年、 存覚上人四十九歳の時に撰述されたものと考えられている。
なお、 一雄の ¬信州正依典籍集¼ などには三巻本と記載されており、 三巻で流布した系統のあったことが知られる。 今日その系統は伝わらないが、 大谷大学蔵本の巻尾から ¬決智鈔¼ の下巻を本著の中巻として挿入して成立したもんであったと考えられている。 また、 新潟県浄興寺蔵本など、 漢文体のものも伝えられている。