本書の著者は善導大師である。 本書は上巻の首題には 「転経行道願往生浄土法事讃」、 尾題には 「西方浄土法事讃」 とあり、 下巻は首尾題ともに 「安楽行道転経願生浄土法事讃」 とある。 本書は一般に、 「法事讃」 と略称される。 題目にみられる 「転経」 の 「転」 には、 転詠、 転読などの義があるとされるが、 ここでは転詠の義が中心であり、 経文に節をつけて読誦讃嘆することをいう。 「行道」 とは仏の周囲を遶道することで、 本書には阿弥陀仏の周囲を三匝または七匝する行法が示されている。 すなわち本書は、 ¬阿弥陀経¼ を読誦讃嘆し、 仏座の周囲を遶道して浄土を願生するという法会の規式が明かされたものであり、 浄土教における法会の別時の行義が示されたものとして注目される。
本書はその内容から、 前行法分、 転経分、 後行法分の三段に分けられる。 まず前行法分はその内容がさらに、 請護会衆、 法事大綱、 略請三宝、 広請三宝、 前行道、 前懺悔の六に分けられ、 ¬阿弥陀経¼ 読誦に先立つ行法として三宝の召請や懺悔の次第などが説かれている。 特にその懺悔には深刻な内省が示されていることは注目される。
次に転経分は本書の本論ともいうべきもので、 ¬阿弥陀経¼ の本文が十七段に分けられ、 格段ごとに讃文が付されて浄土の依正二報が讃じられており、 衆僧や大衆がこれを読誦唱和する作法の次第が示されている。 本段はその行義の内容とともに、 善導大師の ¬阿弥陀経¼ に対する解釈が窺えるものとしても重要な意義をもっている。
最後の後行法分は、 懺悔、 行道、 歎仏呪願、 七唱礼、 随意より成り、 経の読誦後の儀礼が示されている。
中国における本書の流伝については、 善導大師よりおよそ百年後に出た法照が ¬浄土五会念仏略法事儀讃¼ に本書の讃文を多く引用しているが、 宋代になると本書の引用はほとんど見られなくなる。
本書の日本への将来については、 「正倉院文書」 の天平十五 (743) 年二月二十九日の写経所解に 「西方法事讃文一巻用紙十三枚」 という記述が見え、 これが本書の上巻の尾題 「西方浄土法事讃」 と類似していることから、 これを本書に同定する説がある。 しかしこの ¬西方法事讃¼ という書は一巻本であり、 紙数もわずか十三枚で、 本書の体裁と大きく異なることから、 これを直ちに本書の書写記録とするには問題がある。 これ以外に本書の将来を確認にんできるものとしては、 承和六 (839) 年の円行の ¬霊巌寺和尚請来法門道具等目録¼ 並びに承和十四 (847) 年の円仁の ¬入唐新求聖教目録¼ がある。 本書は日本に将来された後、 鎌倉時代に刊行され広く流布している。 源空 (法然) 聖人の ¬選択集¼ にも引用され、 また宗祖も ¬阿弥陀経註¼ において、 本書によって ¬阿弥陀経¼ を分科し、 行巻や上下欄及び紙背に引用して註釈していることから、 源空聖人とその門下において本書が盛んに依用されたことが窺える。 また鎌倉時代以降、 本書は仏事法会にも依用されるようになる。 元久三 (1206) 年三月、 後白河法皇の十三回忌に際して源空聖人が大和入道見仏に浄土三部経の書写の法式を示したものとされる ¬浄土三部経如法経次第¼ には、 本書の文を伽陀として用いる旨が記されている。 また兼好法師の ¬徒然草¼ にも、 善観房という僧が本書に節博士を定めて声明となしたとの記事が見える。 だらに時代は少し下がるが、 ¬最須敬重絵詞▽¼ には、 覚如上人が父存覚上人の十三回忌に当たり、 本書の行法を勤修されたことが記され、 また存覚上人も覚恵上人の三十三回忌に際して本書を行じた旨が ¬存覚一期記¼ に見える。
また本書には幾種類かの抄出本が現存していることから、 当時の浄土教徒の間に広く受容されていたことが知られる。
なお、 本書の成立および五部九巻に関する撰述の前後関係については ¬観経疏¼ の解説を参照されたい。
また本書には、 大谷探検隊によって西域より将来された写本が存在し、 現在、 北京図書館に所蔵されている。 当本は巻首を欠損し、 上巻のみが残存している。 尾題には 「浄土法事讃巻上」 とあり、 続いて 「願往生僧善導集記」 との識語がある。 ¬二楽叢書¼ 第一号には現行本と当本とを対照した録文が掲載されている。 あるいは、 ¬修学院論叢¼ 三十二号所収の 「善導撰述研究文献目録」 には、 西夏の古都である黒城から発掘されたものとして 「法事讃二巻」 と記されているが、 これについては関連する記述が他の文献に見当たらないことから、 実在を確認し得ない。