本書は、 存覚上人の撰述である。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 題号の 「破邪」 とは、 謗難・邪偽などを破斥するという意味であり、 「顕正」 とは正理を顯彰することを表す。 すなわち、 「破邪顕正」 とは専修念仏に対する誤った見解を破して正しい道理を顕すという意である。 また、 ¬浄典目録¼ では題号に 「申状三巻」 と添えられており、 これは本抄が訴願状の形態を有していることに起因したものと考えられている。
 本抄は上中下の三巻から成り、 その内容は訴願文が記される序説、 十七条の謗難とそれに対する破邪顕正が記される本論、 そして結釈という三段で構成されている。
 序説では、 冒頭に 「専修念仏の行人某等謹んで言上」 から始まる訴願文が述べられる。 すなはち、 専修念仏に対して聖道諸宗の僧侶や山伏・巫女・陰陽師等の発する悪言・乱暴を停止して、 念仏者の待遇を見直し、 以前のように念仏が勤行できるよう、 朝廷に対して言上する旨が記されている。 続いて、 訴願文の内容が具体的に述べられている。 すなわち、 専修念仏が往生の勝業であることを示し、 専修念仏の行者は弥陀・釈迦二尊をはじめとして、 諸仏・菩薩及び神明に護念されることを明かしている。 そして、 別解・異学・偏執・邪見の者達が、 専修念仏の行者の振る舞いに対して訴えるところの一端を挙げ、 それが事実無根であることを主張して恩裁を求めている。
 本論では、 当時の宗教界における専修念仏に対する謗難や非難、 及びそれぞれの弁明と正しい見解を十七条にわたって詳述している。 すなわち、 第一条では一向専修念仏は外道の法とする誤った非難に対する反論、 第二条では法華・真言等の教えを雑行とする非難への弁明、 第三条では八宗の外に浄土宗という一宗を立てることに問題がないという主張、 第四条では念仏は小乗の法であり真実出離の行ではないとする誤った非難に対する主張、 第五条では念仏は不吉の法であるとする誤った非難に対する主張、 第六条は戒律を守ることが不要と吹聴しているとする非難は、 あたらないという主張、 第七条は ¬小経¼・¬礼讃¼ を地獄の業、 宗祖の 「和讃」 を往生の業としているという誤った非難に対する主張、 第八条は神明を軽んじているとの誤った非難に対する反駁、 代九条は穢に触れることを憚らず、 日の吉凶を選ばないのは不法の極みであるとする非難への反論、 第十条は仏法を破滅し王法を軽んじるという誤った非難に対する主張、 第十一条は念仏の行者が亡者を浄土に導かないという非難に対する主張、 第十二条は仏前に不浄の肉を供えるという誤った非難に対する反論、 第十三条は魚鳥に別名をつけ念仏の勤行中にこれを食すという誤った非難に対する反論、 第十四条は念仏勤行中に仏前にして淫事に耽るという誤った非難に対する反論、 第十五条は一向専修の行者が灯明料と称して銭貨を師範に貢ぐことは道理に背くという非難に対する反駁、 第十六条は念仏の行者は善知識を仰いで師資相承を立てる必要がないとする誤った非難に対する主張、 第十七条は無智の身である念仏者が他を教化すべきでないとする誤った非難に対する主張である。
 結釈では、 念仏者が上述の十七条にわたる謗難のいずれにも当てはまらないことを結んで 「以前条々、 風聞の説について子細を勒して言上することかくのごとし」 としている。 また、 謗難を論破する中で示した浄土真宗の立場をまとめ、 末法における在家の者が救われる道は、 専修念仏以外にないことを示している。 そして、 仏道修行のあり方を示し、 謗難が如何に事実無根で道理に外れたものであるかを訴えている。
 本抄は、 常楽寺蔵本の 「元亨四年八月日/本云 元亨四歳 甲子 八月廿二日仮惑材辨/記此綱要蓋是為防謗家為立/真門所選集也努力努力不可外見/而已/釈了源」 との奥書から、 元亨四 (1324) 年、 存覚上人三十五歳の時に著されたことが知られる。 また ¬浄典目録¼ には ¬持名鈔¼・¬浄土真要鈔¼・¬弁述名体鈔¼・¬女人往生聞書¼ と共に、 本抄について ¬破邪顕正申状三巻¼ と記され、 さらに 「已上依空性 了源 望草之」 とあることから、 了源上人の請いに応じて著されたものとされる。
 本抄の先述理由としては、 朝廷から念仏停廃の沙汰のあった旨が ¬存覚一期記¼ の少年期に記されており、 これに起因して、 再び謗難が起こることを想定し、 真宗の正意を示すために本抄を制作したものと考えられている。 また、 本抄に記されたような風聞の謗難が撰述当初実際にあり、 念仏者の正当な立場を明らかにするため、 本抄を著したものとも考えられている。