本書は、 念仏往生に関する疑問を持った者が、 京都の東山に住む 「浄土宗の祖師」 のもとを訪ねて、 念仏往生の法義について教えを請い、 以下の九つの内容についての問答がなされたことを書き記したものである。 すなわち、 (1)悪人無知の者でも念仏によって往生できるのかどうか、 (2)能力の劣った者のための念仏であるならば、 念仏は劣った教えということになるのかどうか、 (3)念仏したとしても三心の内容を知らなければ往生できないのかどうか、 (4)念仏の際に妄念を起こさないよう努めても起きてしまうが、 それでも往生できるのかどうか、 (5)念仏しても心が柔軟にならずに三毒の煩悩が少しも消えないが、 それでも往生できるのかどうか、 (6)心から願って念仏したとしても、 清らかな念仏でなければ往生できないのかどうか、 (7)三心の要点とはどのようなものか、 (8)念仏すれば自然に三心が具わるのかどうか、 (9)念仏するたびに三心の内容を思う必要があるのかどうか、 との九つの問いについて述べられている。
 本書の作者については異説が多く、 聖覚法印とする説 (知空 ¬真宗録外聖教目録¼ 等) や、 源空 (法然) 聖人門下の法連坊信空とする説 (玄智 ¬浄土真宗経典志¼ 等) などがあるが、 今日では隆寛律師とするのが定説となっている。 隆寛律師とする代表的なものは、 了祥による考証である。 了祥は、 本書の構成が 「浄土宗の祖師」 の講説を書き取ったものであることから、 「浄土宗の祖師」 と、 書き取った人物とが誰であるのかを考察している。 「浄土宗の祖師」 については、 隆寛律師の講説を書き取ったとされる ¬捨子問答¼ と問答の内容が共通することや、 本文の 「洛陽ひんがしやまの辺にまします禅房」 が隆寛律師の住所と考えられること、 至誠心の理解が隆寛律師の解釈と共通することなど、 五つの根拠から隆寛律師と推定している。 また、 書き取った人物についても、 隆寛律師によって浄土宗に帰依した静遍であると推定している。
 なお、 宗祖は本書を ¬唯信鈔¼ などとともに、 関東の門弟達に書き与えて読むことを勧めておられる。 詳しくは、 ¬一念多念文意¼ や ¬唯信鈔文意¼ などの解説を参照されたい。
 本書には、 その成立年代を伝える書写本が現存しない。 また、 宗祖の真筆書写本も現存しないが、 高田専修寺に所蔵される、 慶長六 (1601) 年書写本には、 「本云 建長六年甲寅 九月十六日 書写之 愚禿親鸞」 との奥書があり、 宗祖が建長六 (1254) 年、 八十二歳の時に書写したとする本の存在を伝えている。 また、 ¬真宗法要¼ の校異にも、 同様の奥書を持つ書写本が紹介されている。 この奥書を根拠とするならば、 本書の成立は、 建長六年以前ということになる。