善導大師五部九巻 (親鸞聖人加点) 解説
 本書は、 善導大師の著作五部九巻の刊本に、 宗祖が加点したものとされる。 大師の現存する著作は、 古来より 「五部九巻」 と総称されている。 すなわち ¬観経疏¼ 四巻・¬法事讃¼ 二巻・¬観念法門¼ 一巻・¬往生礼讃¼ 一巻・¬般舟讃¼ 一巻である。
 宗祖が加点した高田派専修寺蔵鎌倉時代刊本は、 全巻を通じて刊記、 奥書等の開版の事績や年時を知らせる記述がないが、 本文の書体や版型、 料紙、 装丁などから判断して、 鎌倉時代の典型的な刊本の特色を備えていることが明らかである。 しかしながら、 外寸や版面の寸法および版下の書体等においては各巻に相異があり、 すべてが同じ規格であるとはいえない。 このことから、 三種類の原版による寄せ本であると考えられている。 第一類は ¬観経疏¼ の四巻であり、 版木の摩滅が著しいことから字間が詰まった印象を与え、 三種類の中では最も古型であろうと推定されている。 第二類は ¬法事讃¼ の二巻であり、 第一類・第三類のいずれとも異なる書体である。 第三類は ¬観念法門¼・¬往生礼讃¼・¬般舟讃¼ の三巻であり、 初摺本かと思われるほどに書体、 摺写ともに鮮明かつ美麗である。 これら諸版の成立年代については、 まず、 第三類の ¬般舟讃¼ をもってその上限を推定することができる。 ¬般舟讃¼ 改版の嚆矢は貞永元 (1232) 年であり、 その巻尾には刊記がある。 しかし、 専修寺蔵刊本の ¬般舟讃¼ にはその刊記がなく、 また刊記のみの脱落とも考えにくいことから、 貞永元年版と同版とはできない。 よって、 専修寺蔵刊本の版刻は貞永元年以降と考えられる。 次に、 下限について注目されるのは、 ¬往生礼讃¼ で脱落していた日中讃文結讃の初句である 「弥陀国能所感」 の一句を、 正安四 (1302) 年の改版時に仁和寺蔵の唐本をもって補訂したことが知真の付記により知られる点である。 専修寺蔵刊本ではこの一句が脱落しており、 板刻が正安四年以前であることを示している。 さらに、 第一類と第二類とには判断する材料がないが、 今日、 専修寺蔵刊本の表紙外題は宗祖の真筆とされており、 成立年時は全体を通して、 弘長二 (1262) 年の宗祖示寂以前にまで遡ると考えられる。 以上のことから、 専修寺蔵刊本は貞永元年から弘長二年までに開版されたものと推定され、 寄せ本ではあるが五部九巻としての形態を整えた現存最古の貴重な遺冊であるといえる。 その体裁は九巻ともに半葉六行、 一行十七字、 巻頭にはそれぞれ 「高田専修寺」 の黒印がある。
 本書は、 この刊本に宗祖が全面的に返点・送り仮名などの訓点、 さらに本文の訂正、 異本との校異などを記したとされるものである。 本書の訓点のなかには、 宗祖独自の訓みを看取できる。 たとえば、 「散善義」 至誠心釈では 「オボ↠明↣一切衆生身口意業シユスル行、必モチヰムコトヲ↢真実心シ下シヲ」 と訓じることで、 願生行者は真実心を持ち得ることはなく、 阿弥陀仏の真実をもちいるしかないという意が示されている。 また、 「↣外ズルコトヲ↢賢善精進↡、ウチイダケレバナリ虚仮コケ」 との訓みから、 願生行者の内心は虚仮でしかなく、 賢善精進のすがたを現じてはならないという意味が明かされている。 これらは ¬教行信証¼ や ¬愚禿鈔¼ に伝えられる宗祖の訓読と一致する。
 また、 これらの加点は基本的に墨書であるが、 なかには朱書で加えられたものもあり、 五部九巻のなかでも、 ¬往生礼讃¼ には殊に多く見られる。 さらに五部九巻全体を通じて、 複数の返点・送り仮名が付されている部分があり、 種々に訓読できる点を有することも本書の特徴といえる。
 なお、 本書の加点は高田派専修寺に蔵される存覚上人書写の ¬観阿弥陀経集註¼ に付される訓点とほぼ一致していることから、 両書間の密接な関係が指摘されている。 このように、 存覚上人が ¬観阿弥陀経集註¼ を書写するにあたって、 加点の根拠を本書に求めたという事実から、 本書が存覚上人当時には、 すでに ¬宗祖加点本¼ として尊重されていたと考えられている。
 一方、 これらの加点の筆跡については、 以下の指摘がなされている。 すなわち、 宗祖の他の聖教に見られる筆致と異なると見受けられることや、 宗祖真筆の ¬教行信証¼ などに見られる送り仮名と比較すると、 「云フ」 や 「玉フ」 といった、 宗祖が他書では全く用いていない、 あるいは使用例が極めて少ない送り仮名が随所に用いられていることなどである。 上述の点は宗祖の真筆に用例が少なく、 むしろ顕智上人書写の ¬愚禿鈔¼ に記される送り仮名に類似することから、 本書の加点者は主として青年期の顕智上人であろうと推定されている。 すなわち、 顕智上人は宗祖から親しく手ほどきを受けた訓読法に従って、 自用のために五部九巻前文に詳細な訓点を施し、 一通り完了したところで宗祖に校閲を仰いだ。 宗祖はこれに応じて全文を閲覧して、 顕智上人の加点における誤読や誤点を一々訂正しながら、 適宜、 墨書あるいは朱書で加筆・加点されて不十分な点を補った後、 顕智上人より依頼を受けて、 各巻表紙に真筆をもって外題を記されたものであると考えられている。 このように、 加点者は主として顕智上人と推定されるが、 宗祖が校閲したものであるとの観点から、 今日では 「宗祖加点本」 として高く評価されている。
 なお、 表紙外題の筆跡は宗祖壮年期の筆との指摘もあるが、 一般には宗祖晩年の筆と推定されている。 それは、 藍紙という特殊な紙へ記したことや、 貴重な木版本の表紙に書き記した影響によって、 宗祖晩年の筆跡の特徴があまり表出していないとする見解もあるが、 「散善義」 の 「善」 の字体が 「菩」 に似た形をしている点や、 「義」 の字体の大きな斜棒が折れ曲がって記されている点などから、 晩年期の特徴がよく現れていると見ることができるからである。
 また、 宗祖が表紙に外題を書き記す場合、 年齢も併記するのが常態であるといわれているが、 本書にはそのような書き入れは見当たらない。 この点より、 本書が特定の一個人の所有物ではなく、 複数人の共有物であったとも考えられている。 具体的には、 当時は木版本が大変高価であり、 関東の高田門徒が共同で閲覧できるよう、 外題だけを書き付けて送り届けたものであると考えられている。
 なお、 外題をめぐっては、 近年、 別人の筆跡であるとの見解も提示されており、 今後の研究が待たれる。