本鈔は、 存覚上人の撰述である。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 題号にある 「歩船」 とは、 龍樹菩薩の ¬十住毘婆娑論¼ 巻五 「易行品」 に、 「仏法有無量法門。 如世間道有難有易、 陸道歩行則苦、 水道乗船則楽。 菩薩道亦如是」 とある、 「歩行」 と 「乗船」 の喩に因んで名付けられたものである。
本鈔の内容は、 まずその序文に 「一代の諸経区に分れて、 諸宗の所談各別なり。 雖↠別帰する所の極理は一致なり」 とあり、 釈尊一代の教えが様々に分かれ、 諸宗の所説は各別であるが、 帰するところの極理は一致することを明かしている。 続けて、 日本に伝えられた法相宗・三論宗・華厳宗・天台宗・真言宗・律宗・倶舎宗・成実宗・仏心 (禅) 宗・浄土宗の十宗を挙げ、 「是等の諸宗皆一仏の所説より出て、 悉く無上菩提に可↠至門なり」 と述べる。 そして、 十宗のいずれにおいても解脱を得ることができるという理解を示した後、 各宗の概要を解説している。
このように、 本鈔は十宗それぞれの教義を概説するものであるが、 基本的な論法は、 聖道諸宗の修行は難行であり、 成就することが困難であることを述べ、 その宗の高祖も浄土に関する書を制作して、 易往の行である念仏によって安養浄土への往生を勧めていることを示すものである。 それは、 たとへば最初の法相宗の項で、 「縦ひ一分の経文を学して唯識の観解を成とも、 資糧の位にも叶はんこと不↠輒、 況や、 加行通達等の位に難↠登。 されば彼宗の高祖天親菩薩、 慈恩大師、 西方を以て所期とし、 各念仏を勧め給へり。 所謂天親は ¬浄土論¼ を製して、 一宗の元祖なり。 慈恩は ¬西方要決¼ を記して、 安養の往生を願へり。 是本宗の意、 難行にして歴劫の修行叵↠成故に、 易往の行を選て自利利他の要とし給へり。 まして末代無智の道俗、 解行叵↠及、 道位難↠進ければ、 偏に弥陀の本願に帰して念仏往生を期せんは、 慥なる出離の可↠道」 と示される通りである。 ただし、 倶舎宗および成実宗の項においては、 一宗の綱要を述べるのみで念仏を勧める文はない。
最後の浄土宗の項では、 易行道にして出離の要道であり、 凡夫の機根に相応した仏出世本懐の教法であることを示している。 よって、 末代の劣機は諸行をさしおいて阿弥陀仏の本願に乗じ、 称名して浄土を願求すべきことを勧め、 これこそが一切凡聖の往生浄土の大道であり、 「浄土三部経」 の所説であると示している。
これらを総じていえば、 本鈔は各宗の要義をまとめた仏教の解説書という性格を持ちながら、 前九宗は聖道門にして難行道であることを明かし、 浄土宗は浄土門にして易行道であることを示して、 念仏往生の法義を勧めたものと見ることができる。
本鈔は、 大阪府真宗寺蔵本の ¬浄典目録¼ では明光上人の所望で著されたものかと伝えられ、 本派本願寺蔵本の ¬浄典目録¼ では慶空の所望によって撰述されたと記されていて、 所望者に相違が見られる。 しかし、 寂慧の ¬鑑古録¼ には、 「暦応元 戊寅 年、 存師四十九歳三月。 備後国ニシテソノ国ノ守護某ノ亭ニテ、 日蓮派ノ僧輩ト法問アリ……コノトキ、 同国山南ノ慶空所望ニヨリテ、 決智鈔、 歩船鈔ヲ述作シ…」 とあることから、 暦応元 (1338) 年、 存覚上人四十九歳の時、 備後国において日蓮宗徒と対論した後に、 同国山南の慶空の所望に応えて著されたものと考えられている。
また、 存覚上人の時代は、 凝然の ¬八宗綱要¼ や円爾弁円の ¬十宗要道記¼、 頼瑜の ¬諸宗教理同異釈¼ など、 八宗および十宗の枠組みを用いて自宗の位置付けを明らかにする文献が多く撰述されている。 本鈔はそれらに比して、 理論的側面よりは実践的側面を論じることに比重が置かれている点に特徴があるといわれるが、 構成は十宗の枠組みを用いている。 たとえば ¬選択注解解¼ 第一巻に 「花厳・天臺等の諸宗に相並て浄土門を宗と号すべからずと云なり」 とあるように、 浄土門を華厳・天台と同じように浄土宗と名乗ってはならないと述べている。 しかし、 存覚上人の ¬破邪顕正抄¼ 巻上には、 「この八宗のほかに宗なきにはあらず。 すなはちかの仏心宗もそのときわが朝にわたらざるゆへに八宗にいらず。 これまた朝用にあらざる宗なれども、 請来ののちひとこれをよびくはふるときは九宗と称す。 浄土宗をくはねんとき十宗と号せんこと、 またなにのさまたげかあらん」 と記し、 浄土宗を加えて十宗とすることに問題なしとしている。 このことから、 本鈔の撰述によって浄土宗を公に一宗として認知させようとする存覚上人の意図が窺える。