室町時代初期書写本は、 五巻五冊の寄本である。 第一巻・第二巻は、 本鈔における最古の書写奥書を有す。 第一巻には、 「本云/嘉慶三年 己巳 □月六日書写了」 「応永廿二年五月廿九日以或本書之先老/御草随尋得令悦之忝謹以写之/一交了/伝領光覚(花押)/記之」 とあり、 第二巻には 「本云/康暦元年 己巳 七月十一日早朝書写之了」 「此本以賢意本写之故存覚聖人御/草にて仍悦尋出感得此本間加書写了/応永廿二年六月七日写功了/松下隠士 光覚(花押)/一交了」 と記される。 第一巻・第二巻で示される書写原本の年時は、 嘉慶三 (1389) 年と康応元年とであるが、 二月に改元されるため、 同年である。 第一巻・第二巻は、 その書写本を元にして応永二十二 (1415) 年に転写されたものである。 その記述に従えば、 第一巻・第二巻は、 存覚上人の示寂から約四十年後の書写ということになる。 また、 常楽寺代三世光覚の署名が見られる。 第三巻は、 奥書がないものの、 旧表紙右下には 「釈顕恵」 とあり、 常楽寺第九世顕恵の所持本とみられている。 第四巻・第五巻は、 同筆とみられ、 第五巻に 「此一部五帖当寺開山存覚上人/御述作也雖為一流之秘本懇望/之間書与釈賢意処也/寛正四歳 癸未 八月晦日記之/釈明覚(花押)」 との奥書がある。 なお、 第四巻・第五巻の巻尾にはそれぞれ 「乱世已後いそしま教太郎寄↢進之↡す」 とある。 この 「いそしま」 とは、 一説には河内国河内郡牧野村の 「磯島」 を指すとも言われるが、 詳細は明らかではない。