石川県西光寺蔵蓮崇書写本 (蓮崇本) は、 蓮如上人の門弟である下間蓮崇によって書写されたものである。 旧表紙左上には 「諸文集 自文明第五至文明第三間也」、 右下には 「釈蓮崇」 とあり、 これらはいずれも蓮如上人の自筆である。 この表紙の文字については、 蓮崇が本文の書写を終えて蓮如上人に端書の執筆を願い出た際に、 蓮如上人が端書とともに記されたものとされる。 また、 蓮如上人の端書には 「右斯文どもは、 文明第三之比より同き第五之秋の時分まで、 天性こゝろにうかむまゝに、 何の分別もなく連々に筆をそめおきつる文どもなり…」 とあり、 先ほどの表紙にも記されているように、 本書写本は文明三年から文明五年に著された 「御文章」 を書写したものであることがわかる。 続いて先の端書には 「さだめて文体のおかしきこともありぬべし、 またことばなんどのつゞかぬこともあるべし。 かたがたしかるべからざるあひだ、 その斟酌をなすといへども、 すでにこの一帖の料紙をこしらへて書写せしむるあひだ、 ちからなくまづゆるしおくものなり」 とあり、 本書写本に収録されている 「御文章」 の中には文体の整わぬところもあるとしながらも、 本書写本が制作されたことに認可を与えている。 また、 端書には 「于時文明第五 九月廿三日に藤嶋郷の内林之郷超勝寺において、 この端書を蓮崇所望のあひだ、 同廿七日申の刻にいたりて筆をそめおはりぬ」 とあることから、 本端書は文明五年九月二十三日に蓮崇が蓮如上人に執筆を所望し、 同月二十七日に至って記されたものと分かる。 その際、 蓮如上人は端書や表紙の文字に加えて、 本文についても数箇所に訂正を施し、 さらに新たな 「御文章」 も書き加えている。 このように、 本書写本は蓮如上人在世中に書写された上、 蓮如上人の実見を経て加筆もなられていることから、 その史料的価値についても、 自筆 「御文章」 に準ずるものであるといえる。 また、 本書写本は 「御文章」 の十数通が書写されて冊子状になっているが、 ここに蓮如上人が端書等を記しているということは、 蓮如上人自身も 「御文章」 がこのような冊子の形態で引き継がれていくことを認めているといえる。 つまり、 本書写本は 「御文章」 が聖教化された最初期の例として認められるものである。
本書写本には全十八通が収められ、 体裁は半葉六行、 一行二十字内外である。