4 教 教とは 「暁諭 (あきらかにさとす)」 の意で、 正しい道理を説いて人々をさとし、 みちびくことをいう。 天台大師智顗の ¬法華玄義¼ には 「教とは聖人、 下に被らしむる言なり」 とあり、 真実をさとった聖人が迷えるものをみちびく言葉を教というとしている。 すなわち、 大聖釈尊の一代の説法、 およびそれに準ずる菩薩諸聖の説などを指して教とよぶわけであるが、 それらは八万四千の法門といわれるように膨大なものであり、 説かれる内容も多岐にわたっている。 そのため、 それらを分類整理し価値を判断して、 仏教全体を統一的に把握していこうとする教相判釈 (教判) の営みが古くよりなされてきた。
浄土教の歴史のうえでは、 龍樹菩薩の 「易行品」 に示される難易二道説が教相判釈の礎をなすものとしてまず注目される。 難易二道説は不退の位に至る方法について、 難行道と易行道の二種の道があることを示し、 難行道の修行に堪えない劣弱の機に信方便易行の法を勧めたもので、 教相それ自体をただちに判釈したものではない。 だが、 機の現実を軸にすえる、 この説の分別法は、 浄土教理解の基本的な枠組みを示すものとして、 重要な意義を有していくことになるのである。
曇鸞大師はこの龍樹菩薩の難易二道説を ¬論註¼ (上) の冒頭に示し、 難行道について 「ただこれ自力にして他力の持つなし」 といい、 易行道について 「仏願力に乗じて、 すなはちかの清浄の土に往生を得、 仏力住持して、 すなはち大乗正定の聚に入る」 と述べている。 これを考えあわせていうと、 難行道は自力の法門、 易行道は 「他力の持つ (乗仏願力・仏力住持)」 法門ということになり、 曇鸞大師が難行道・易行道の内実を自力・他力という言葉であらわそうとされていたことが知られる。
道綽禅師は ¬安楽集¼ (上) 第三大門において、 龍樹菩薩のいう難行道・易行道を聖道・浄土の名目で示し、 その聖道について 「聖道の一種は、 今の時証しがたし。 一には大聖 (釈尊) を去ること遙遠なるによる。 二には理は深く解は微なるによる」 といい、 浄土について 「当今は末法にして、 現にこれ五濁悪世なり。 ただ浄土の一門のみありて、 通入すべき路なり」 と述べている。 この説示は、 ①大聖釈尊の時代から遠くはなれている (時)、 ②教理は深遠であるのに人間の理解能力は微弱である (機)、 という時と機の両面でもって、 聖道の難証性を指摘し、 浄土の一門を勧めたもので、 ¬安楽集¼ (上) の冒頭に示される 「時に約し機に被らしめて勧めて浄土に帰せしむ」 という約時被機の主題に順ずるものである。 道綽禅師は時代と人間の現実を直視し、 時と機の双方に相応する教えでなければ、 有効性をもたないと認識されていた。 教理の浅深ではなく、 時機相応という点に教の意義を見出されたのである。 禅師はその見地から、 時機に相応しない聖道の教えの無効性を指摘し、 時機に相応する浄土の一門のみを通入すべき道と定めて、 これを ¬安楽集¼ の要諦としてあらわし、 浄土の法門の顕揚につとめられたのである。
善導大師は 「玄義分」 や ¬般舟讃¼ において、 ¬観経¼ ¬小経¼ の説を菩薩蔵、 頓教と判じている。 菩薩蔵とは大乘教の意で、 小乗教を意味する声聞蔵に対するもの、 頓教とは速やかにさとりをひらくことのできる教えの意で、 長い時間をかけて漸次にさとりに到達する漸教に対するものである。 ¬観経¼ ¬小経¼ の説というのは、 浄土の教えを指すものであるから、 善導大師は浄土門を大乗の中のすぐれた頓教と位置づけ、 余他の教えに対する優位を主張しようとされたものとみることができる。
法然上人は ¬安楽集¼ に示される聖浄二門の釈を教相判釈としてとりあげ、 全仏教を聖道門、 浄土門の名目で価値判断された。 すなわち、 天台、 真言、 華厳、 禅、 法相、 三論、 成実、 倶舎等、 此土での入聖得果を説く既成の諸宗をすべて聖道門の判目のうちにおさめ、 その聖道門とは別個に、 阿弥陀仏の本願力による救済を説く浄土門の法義 (浄土宗) があることを明らかにされたのである。 しかもそれは 「たとひ先より聖道門を学する人といへども、 もし浄土門にその志あらば、 すべからく聖道門を棄てて浄土に帰すべし」 (選択集・二門章) というように、 聖道門を捨てて浄土門に帰入することを強く勧めるものであった。 行者の自力による得果を説く聖道門と他力の救済を説く浄土門とは、 その法門の構造が根本的に異なっており、 本願他力の救いにあずかろうとするものは、 自力による断惑証理を宗とする聖道門の思想信条を捨て、 これと完全に決別しなければ、 その安心を確立することができない。 法然上人の教相判釈が聖浄二門の違いを示すだけでなく、 捨聖帰浄を強く迫るものであったのはそのためである。