◗560: 2 禅勝房にしめす御詞 第十九
◗560: 3 阿弥陀仏は、一念となふるに一度の往生にあてがひておこし給へる本願也。かるがゆへに十念は十度むまるゝ功徳也。一向専修の念仏者になる日よりして、臨終の時にいたるまで申たる一期の念仏をとりあつめて、一度の往生はかならずする事也。
◗560: 7 又云、念仏申す機は、むまれつきのまゝにて申す也。さきの世のしわざによりて、今生の身をばうけたる事なれば、この世にてはえなをしあらためぬ事也。たとへば女人の男子にならばやとおおへども、今生のうちには男子にならざるがごとし。智者は智者にて申し、愚者は愚者にて申し、慈悲者は慈悲ありて申し、邪見者は邪見ながら申す、一切の人みなかくのごとし。さればこそ阿弥陀ほとけは十方衆生とて、ひろく願をばおこしてましませ。
◗560:13 又云、一念・十念にて往生すといへばとて、念仏を疎相に申せば、信力が行をさまたぐる也。念念不捨といへばとて、一念・十念を不定におもへば、行が信をさまたぐる也。かるがゆへに信をば一念にむまるととり、行をば一形はげむべし。
◗561: 2 又云、一念を不定におもふものは、念念の念仏ごとに不信の念仏になる也。そのゆへは、阿弥陀仏は一念に一度の往生をあておき給へる願なれば、念念ごとに往生の業となる也。