◗699: 1 唯信鈔文意
◗699: 5 【1】唯信抄といふは、
◗699: 5 唯はただこのことひとつといふ、ふたつならぶことをきらふことばなり。また唯はひとりといふこころなり。
◗699: 6 信はうたがひなきこころなり、すなはちこれ真実の信心なり、虚仮はなれたるこころなり。虚はむなしといふ、仮はかりなるといふことなり。虚は実ならぬをいふ、仮は真ならぬをいふなり。本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを唯信といふ。
◗699:10 鈔はすぐれたることをぬきいだしあつむることばなり。このゆゑに唯信鈔といふなり。
◗699:11 また唯信は、これこの他力の信心のほかに余のことならはずとなり。すなはち本弘誓願なるがゆゑなればなり。
◗699:13 【2】如来尊号甚分明 十方世界普流行
但有称名皆得往 観音勢至自来迎
◗699:15 如来尊号甚分明、このこころは、
◗699:15 如来と申すは無礙光如来なり。
◗699:15 尊号と申すは南無阿弥陀仏なり。尊はたふとくすぐれたりとなり。号は仏に成りたまうてのちの御なを申す、名はいまだ仏に成りたまはぬときの御なを申すなり。この如来の尊号は、不可称不可説不可思議にましまして、一切衆生をして無上大般涅槃にいたらしめたまふ大慈大悲のちかひの御ななり。この仏の御なは、よろづの如来の名号にすぐれたまへり。これすなはち誓願なるがゆゑなり。
◗700: 6 甚分明といふは、甚ははなはだといふ、すぐれたりといふこころなり。分はわかつといふ、よろづの衆生ごとにとわかつこころなり。明はあきらかなりといふ。十方一切衆生をことごとくたすけみちびきたまふこと、あきらかにわかちすぐれたまへりとなり。
◗700:10 十方世界普流行といふは、普はあまねく、ひろく、きはなしといふ。流行は十方微塵世界にあまねくひろまりて、すすめ行ぜしめたまふなり。しかれば、大小の聖人・善悪の凡夫、みなともに自力の智慧をもつては大涅槃にいたることなければ、無礙光仏の御かたちは、智慧のひかりにてましますゆゑに、この仏の智願海にすすめ入れたまふなり。一切諸仏の智慧をあつめたまへる御かたちなり。光明は智慧なりとしるべしとなり。
◗701: 1 但有称名皆得往といふは、但有はひとへに御なをとなふる人のみ、みな往生すとのたまへるなり。かるがゆゑに称名皆得往といふなり。
◗701: 3 観音勢至自来迎といふは、南無阿弥陀仏は智慧の名号なれば、この不可思議光仏の御なを信受して憶念すれば、観音・勢至はかならずかげのかたちにそへるがごとくなり。この無礙光仏は観音とあらはれ、勢至としめす。ある経には、観音を宝応声菩薩となづけて日天子としめす。これは無明の黒闇をはらはしむ。勢至を宝吉祥菩薩となづけて月天子とあらはる。生死の長夜を照らして智慧をひらかしめんとなり。
◗701: 8 自来迎といふは、自はみづからといふなり。弥陀無数の化仏・無数の化観音・化大勢至等の無量無数の聖衆みづからつねに、ときをきらはず、ところをへだてず、真実信心をえたるひとにそひたまひてまもりたまふゆゑに、みづからと申すなり。
◗701:11 また自はおのづからといふ。おのづからといふは自然といふ。自然といふはしからしむといふ。しからしむといふは、行者のはじめてともかくもはからはざるに、過去・今生・未来の一切の罪を転ず。転ずといふは、善とかへなすをいふなり。もとめざるに一切の功徳善根を仏のちかひを信ずる人に得しむるがゆゑに、しからしむといふ。はじめてはからはざれば自然といふなり。
◗702: 1 誓願真実の信心をえたるひとは、摂取不捨の御ちかひにをさめとりてまもらせたまふによりて行人のはからひにあらず、金剛の信心をうるゆゑに憶念自然なるなり。この信心のおこることも、釈迦の慈父・弥陀の悲母の方便によりておこるなり。これ自然の利益なりとしるべしとなり。
◗702: 5 来迎といふは、来は浄土へきたらしむといふ、これすなはち若不生者のちかひをあらはす御のりなり。穢土をすてて真実報土にきたらしむとなり、すなはち他力をあらはす御ことなり。
◗702: 7 また来はかへるといふ。かへるといふは、願海に入りぬるによりてかならず大涅槃にいたるを、法性のみやこへかへると申すなり。法性のみやこといふは、法身と申す如来のさとりを自然にひらくときを、みやこへかへるといふなり。これを、真如実相を証すとも申す、無為法身ともいふ、滅度に至るともいふ、法性の常楽を証すとも申すなり。このさとりをうれば、すなはち大慈大悲きはまりて生死海にかへり入りてよろづの有情をたすくるを、普賢の徳に帰せしむと申す。この利益におもむくを来といふ、これを法性のみやこへかへると申すなり。
◗702:15 迎といふはむかへたまふといふ。まつといふこころなり。
◗702:15 選択不思議の本願、無上智慧の尊号をききて、一念も疑ふこころなきを真実信心といふなり。金剛心ともなづく。この信楽をうるときかならず摂取して捨てたまはざれば、すなはち正定聚の位に定まるなり。このゆゑに信心やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと金剛のごとくなるがゆゑに、金剛の信心とは申すなり。これを迎といふなり。
◗703: 5 大経には、願生彼国 即得往生 住不退転とのたまへり。願生彼国は、かのくににうまれんとねがへとなり。即得往生は、信心をうればすなはち往生すといふ。すなはち往生すといふは不退転に住するをいふ。不退転に住すといふはすなはち正定聚の位に定まるとのたまふ御のりなり。これを即得往生とは申すなり。即はすなはちといふ。すなはちといふは、ときをへず、日をへだてぬをいふなり。
◗703:11 おほよそ十方世界にあまねくひろまることは、法蔵菩薩の四十八大願のなかに、第十七の願に、十方無量の諸仏にわがなをほめられん、となへられんと誓ひたまへる、一乗大智海の誓願成就したまへるによりてなり。阿弥陀経の証誠護念のありさまにてあきらかなり。証誠護念の御こころは、大経にもあらはれたり。また称名の本願は選択の正因たること、この悲願にあらはれたり。
◗704: 1 この文のこころはおもふほどは申さず。これにておしはからせたまふべし。
◗704: 2 この文は、後善導法照禅師と申す聖人の御釈なり。この和尚をば法道和尚と、慈覚大師はのたまへり。また伝には廬山の弥陀和尚とも申す、浄業和尚とも申す。唐朝の光明寺の善導和尚の化身なり、このゆゑに後善導と申すなり。
◗704: 6 【3】彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来
不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才
不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深
但使回心多念仏 能令瓦礫変成金
◗704:10 彼仏因中立弘誓、このこころは、彼はかのといふ。仏は阿弥陀仏なり。因中は法蔵菩薩と申ししときなり。立弘誓は、立はたつといふ、なるといふ。弘はひろしといふ、ひろまるといふ。誓はちかひといふなり。法蔵比丘、超世無上のちかひをおこして、ひろくひろめたまふと申すなり。超世は余の仏の御ちかひにすぐれたまへりとなり。超はこえたりといふは、うへなしと申すなり。如来の弘誓をおこしたまへるやうは、この唯信鈔にくはしくあらはれたり。
◗705: 2 聞名念我といふは、聞はきくといふ、信心をあらはす御のりなり。名は御なと申すなり、如来のちかひの名号なり。念我と申すは、ちかひの御なを憶念せよとなり。諸仏称名の悲願にあらはせり。憶念は、信心をえたるひとは疑なきゆゑに本願をつねにおもひいづるこころのたえぬをいふなり。
◗705: 6 総迎来といふは、総はふさねてといふ、すべてみなといふこころなり。迎はむかふるといふ、まつといふ、他力をあらはすこころなり。来はかへるといふ、きたらしむといふ、法性のみやこへむかへ率てきたらしめかへらしむといふ。法性のみやこより、衆生利益のためにこの娑婆界にきたるゆゑに、来をきたるといふなり。法性のさとりをひらくゆゑに、来をかへるといふなり。
◗705:12 不簡貧窮将富貴といふは、不簡はえらばず、きらはずといふ。貧窮はまづしく、たしなきものなり。将はまさにといふ、もつてといふ、ゐてゆくといふ。富貴はとめるひと、よきひとといふ。これらをまさにもつてえらばず、きらはず、浄土へゐてゆくとなり。
◗706: 1 不簡下智与高才といふは、下智は智慧あさく、せばく、すくなきものとなり。高才は才学ひろきもの。これらをえらばず、きらはずとなり。
◗706: 3 不簡多聞持浄戒といふは、多聞は聖教をひろくおほくきき、信ずるなり。持はたもつといふ。たもつといふは、ならひまなぶこころをうしなはず、ちらさぬなり。浄戒は大小乗のもろもろの戒行、五戒、八戒、十善戒、小乗の具足衆戒、三千の威儀、六万の斎行、梵網の五十八戒、大乗一心金剛法戒、三聚浄戒、大乗の具足戒等、すべて道俗の戒品、これらをたもつを持といふ。
◗706: 8 かやうのさまざまの戒品をたもてるいみじきひとびとも、他力真実の信心をえてのちに真実報土には往生をとぐるなり。みづからの、おのおのの戒善、おのおのの自力の信、自力の善にては実報土には生れずとなり。
◗706:12 不簡破戒罪根深といふは、破戒は上にあらはすところのよろづの道俗の戒品をうけてやぶりすてたるもの、これらをきらはずとなり。罪根深といふは、十悪・五逆の悪人、謗法・闡提の罪人、おほよそ善根すくなきもの、悪業おほきもの、善心あさきもの、悪心ふかきもの、かやうのあさましきさまざまの罪ふかきひとを深といふ、ふかしといふことばなり。すべてよきひとあしきひと、たふときひといやしきひとを、無礙光仏の御ちかひにはきらはずえらばれず、これをみちびきたまふをさきとしむねとするなり。真実信心をうれば実報土に生るとをしへたまへるを、浄土真宗の正意とすとしるべしとなり。
◗707: 5 総迎来は、すべてみな浄土へむかへ率てかへらしむといへるなり。
◗707: 6 但使回心多念仏といふは、但使回心はひとへに回心せしめよといふことばなり。回心といふは自力の心をひるがへし、すつるをいふなり。実報土に生るるひとはかならず金剛の信心のおこるを、多念仏と申すなり。多は大のこころなり、勝のこころなり、増上のこころなり。大はおほきなり。勝はすぐれたり、よろづの善にまされるとなり。増上はよろづのことにすぐれたるなり。これすなはち他力本願無上のゆゑなり。
◗707:11 自力のこころをすつといふは、やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず、ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無礙光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。具縛はよろづの煩悩にしばられたるわれらなり、煩は身をわづらはす、悩はこころをなやますといふ。屠はよろづのいきたるものをころし、ほふるものなり、これはれふしといふものなり。沽はよろづのものをうりかふものなり、これはあき人なり。これらを下類といふなり。
◗708: 5 能令瓦礫変成金といふは、能はよくといふ。令はせしむといふ。瓦はかはらといふ。礫はつぶてといふ。変成金は、変成はかへなすといふ。金はこがねといふ。かはら・つぶてをこがねにかへなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。れふし・あき人、さまざまのものはみな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。如来の御ちかひをふたごころなく信楽すれば、摂取のひかりのなかにをさめとられまゐらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、すなはちれふし・あき人などは、いし・かはら・つぶてなんどをよくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。摂取のひかりと申すは、阿弥陀仏の御こころにをさめとりたまふゆゑなり。
◗708:14 文のこころはおもふほどは申しあらはし候はねども、あらあら申すなり。ふかきことはこれにておしはからせたまふべし。
◗708:15 この文は、慈愍三蔵と申す聖人の御釈なり。震旦には恵日三蔵と申すなり。
◗709: 2 【4】極楽無為涅槃界 随縁雑善恐難生
故使如来選要法 教念弥陀専復専
◗709: 4 極楽無為涅槃界といふは、極楽と申すはかの安楽浄土なり、よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。かのくにをば安養といへり。曇鸞和尚は、ほめたてまつりて安養と申すとこそのたまへり。また論には蓮華蔵世界ともいへり、無為ともいへり。涅槃界といふは無明のまどひをひるがへして、無上涅槃のさとりをひらくなり。界はさかひといふ、さとりをひらくさかひなり。
◗709: 9 大涅槃と申すに、その名無量なり、くはしく申すにあたはず、おろおろその名をあらはすべし。涅槃をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ。仏性すなはち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちたまへり、すなはち一切群生海の心なり。
◗709:14 この心に誓願を信楽するがゆゑに、この信心すなはち仏性なり、仏性すなはち法性なり、法性すなはち法身なり。法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、世親菩薩は尽十方無礙光如来となづけたてまつりたまへり。この如来を報身と申す。誓願の業因に報ひたまへるゆゑに報身如来と申すなり。
◗710: 5 報と申すは、たねにむくひたるなり。この報身より応・化等の無量無数の身をあらはして、微塵世界に無礙の智慧光を放たしめたまふゆゑに尽十方無礙光仏と申すひかりにて、かたちもましまさず、いろもましまさず、無明の闇をはらひ悪業にさへられず、このゆゑに無礙光と申すなり。無礙はさはりなしと申す。しかれば、阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし。
◗710:11 随縁雑善恐難生といふは、随縁は衆生のおのおのの縁にしたがひて、おのおののこころにまかせて、もろもろの善を修するを極楽に回向するなり、すなはち八万四千の法門なり。これはみな自力の善根なるゆゑに実報土には生れずと、きらはるるゆゑに恐難生といへり。恐はおそるといふ、真の報土に雑善・自力の善生るといふことをおそるるなり。難生は生れがたしとなり。
◗711: 2 故使如来選要法といふは、釈迦如来、よろづの善のなかより名号をえらびとりて、五濁悪時・悪世界・悪衆生・邪見無信のものにあたへたまへるなりとしるべしとなり。これを選といふ、ひろくえらぶといふなり。要はもつぱらといふ、もとむといふ、ちぎるといふなり。法は名号なり。
◗711: 6 教念弥陀専復専といふは、教はをしふといふ、のりといふ、釈尊の教勅なり。念は心におもひさだめて、ともかくもはたらかぬこころなり。すなはち選択本願の名号を一向専修なれとをしへたまふ御ことなり。
◗711: 8 専復専といふは、はじめの専は一行を修すべしとなり。復はまたといふ、かさぬといふ。しかれば、また専といふは一心なれとなり、一行一心をもつぱらなれとなり。専は一つといふことばなり。もつぱらといふはふたごころなかれとなり。ともかくもうつるこころなきを専といふなり。この一行一心なるひとを摂取して捨てたまはざれば阿弥陀となづけたてまつると、光明寺の和尚はのたまへり。
◗711:14 この一心は横超の信心なり。横はよこさまといふ、超はこえてといふ。よろづの法にすぐれて、すみやかに疾く生死海をこえて仏果にいたるがゆゑに超と申すなり。これすなはち大悲誓願力なるがゆゑなり。
◗712: 2 この信心は摂取のゆゑに金剛心となれり。これは大経の本願の三信心なり。この真実信心を、世親菩薩は願作仏心とのたまへり。この信楽は仏にならんとねがふと申すこころなり。この願作仏心はすなはち度衆生心なり。この度衆生心と申すは、すなはち衆生をして生死の大海をわたすこころなり。この信楽は衆生をして無上涅槃にいたらしむる心なり。この心すなはち大菩提心なり、大慈大悲心なり。この信心すなはち仏性なり、すなはち如来なり。この信心をうるを慶喜といふなり。慶喜するひとは諸仏とひとしきひととなづく。
◗712: 9 慶はよろこぶといふ、信心をえてのちによろこぶなり。喜はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ。うべきことをえてのちに、身にもこころにもよろこぶこころなり。信心をえたるひとをば、分陀利華とのたまへり。
◗712:12 この信心をえがたきことを、経には極難信法とのたまへり。しかれば、大経には、若聞斯経 信楽受持 難中之難 無過此難とをしへたまへり。この文のこころは、もしこの経を聞きて信ずること、難きがなかに難し、これにすぎて難きことなしとのたまへる御のりなり。釈迦牟尼如来は、五濁悪世に出でてこの難信の法を行じて無上涅槃にいたると説きたまふ。
◗713: 3 さてこの智慧の名号を濁悪の衆生にあたへたまふとのたまへり。十方諸仏の証誠、恒沙如来の護念、ひとへに真実信心のひとのためなり。釈迦は慈父、弥陀は悲母なり。われらがちち・はは、種々の方便をして無上の信心をひらきおこしたまへるなりとしるべしとなり。おほよそ過去久遠に、三恒河沙の諸仏の世に出でたまひしみもとにして、自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、いま願力にまうあふことを得たり。他力の三信心をえたらんひとは、ゆめゆめ余の善根をそしり、余の仏聖をいやしうすることなかれとなり。
◗713:11 【5】具三心者必生彼国といふは、三心を具すればかならずかの国に生るとなり。
◗713:12 しかれば善導は、具此三心 必得往生也 若少一心 即不得生とのたまへり。
◗713:13 具此三心といふは、三つの心を具すべしとなり。
◗713:14 必得往生といふは、必はかならずといふ。得はうるといふ、うるといふは往生をうるとなり。
◗713:15 若少一心といふは、若はもしといふ、ごとしといふ。少はかくるといふ、すくなしといふ。一心かけぬれば生れずといふなり。一心かくるといふは信心のかくるなり、信心かくといふは本願真実の三信心のかくるなり。観経の三心をえてのちに大経の三信心をうるを、一心をうるとは申すなり。このゆゑに大経の三信心をえざるをば、一心かくると申すなり。この一心かけぬれば、真の報土に生れずといふなり。観経の三心は定散二機の心なり。定散二善を回して、大経の三信をえんとねがふ方便の深心と至誠心としるべし。
◗714: 7 真実の三信心をえざれば、即不得生といふなり。即はすなはちといふ、不得生といふは生るることをえずといふなり。三信かけぬるゆゑにすなはち報土に生れずとなり。雑行雑修して定機・散機の人、他力の信心かけたるゆゑに、多生曠劫をへて他力の一心をえてのちに真実報土に生るべきゆゑに、すなはち生れずといふなり。もし胎生辺地に生れても五百歳をへ、あるいは億千万衆のなかに、ときにまれに一人、真の報土にはすすむとみえたり。三信をえんことをよくよくこころえねがふべきなり。
◗714:15 【6】不得外現賢善精進之相といふは、あらはに、かしこきすがた、善人のかたちをあらはすことなかれ、精進なるすがたをしめすことなかれとなり。そのゆゑは内懐虚仮なればなり。内はうちといふ。こころのうちに煩悩を具せるゆゑに虚なり、仮なり。虚はむなしくして実ならぬなり。仮はかりにして真ならぬなり。このこころは上にあらはせり。この信心はまことの浄土のたねとなり、みとなるべしと。いつはらず、へつらはず、実報土のたねとなる信心なり。
◗715: 6 しかれば、われらは善人にもあらず、賢人にもあらず。賢人といふは、かしこくよきひとなり。精進なるこころもなし、懈怠のこころのみにして、うちはむなしく、いつはり、かざり、へつらふこころのみつねにして、まことなるこころなき身なりとしるべしとなり。
◗715: 9 斟酌すべしといふは、ことのありさまにしたがうて、はからふべしといふことばなり。
◗715:12 【7】不簡破戒罪根深といふは、もろもろの戒をやぶり、罪ふかきひとをきらはずとなり。このやうは、はじめにあらはせり。よくよくみるべし。
◗715:15 【8】乃至十念 若不生者 不取正覚といふは、選択本願の文なり。この文のこころは、乃至十念の御なをとなへんもの、もしわがくにに生れずは、仏に成らじとちかひたまへる本願なり。乃至は、かみしもと、おほきすくなき、ちかきとほきひさしきをも、みなをさむることばなり。多念にとどまるこころをやめ、一念にとどまるこころをとどめんがために、法蔵菩薩の願じまします御ちかひなり。
◗716: 6 【9】非権非実といふは、法華宗のをしへなり。浄土真宗のこころにあらず、聖道家のこころなり。かの宗のひとにたづぬべし。
◗716: 8 【10】汝若不能念といふは、五逆・十悪の罪人、不浄説法のもの、やまふのくるしみにとぢられて、こころに弥陀を念じたてまつらずは、ただ口に南無阿弥陀仏ととなへよとすすめたまへる御のりなり。これは称名を本願と誓ひたまへることをあらはさんとなり。応称無量寿仏とのべたまへるは、このこころなり。応称はとなふべしとなり。
◗716:13 【11】具足十念 称南無無量寿仏 称仏名故 於念々中 除八十億劫 生死之罪といふは、五逆の罪人はその身に罪をもてること、十八十億劫の罪をもてるゆゑに、十念南無阿弥陀仏ととなふべしとすすめたまへる御のりなり。一念に十八十億劫の罪を消すまじきにはあらねども、五逆の罪のおもきほどをしらせんがためなり。十念といふは、ただ口に十返をとなふべしとなり。
◗717: 3 しかれば選択本願には、若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚と申すは、弥陀の本願は、とこゑまでの衆生みな往生すとしらせんとおぼして十声とのたまへるなり。念と声とはひとつこころなりとしるべしとなり。念をはなれたる声なし、声をはなれたる念なしとなり。
◗717: 8 この文どものこころは、おもふほどは申さず、よからんひとにたづぬべし。ふかきことは、これにてもおしはかりたまふべし。
◗717:10 南無阿弥陀仏
◗717:11 ゐなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きはまりなきゆゑに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、たびたびとりかへしとりかへし書きつけたり。こころあらんひとは、をかしくおもふべし、あざけりをなすべし。しかれども、おほかたのそしりをかへりみず、ひとすぢに愚かなるものを、こころえやすからんとてしるせるなり。
◗718: 2 康元二歳正月二十七日 愚禿親鸞八十五歳これを書写す。