◗501: 9 要義問答 第十一
◗501:10 ま事にこの身には、道心のなき事と、やまひばかりや、なげきにて候らん。世をいとなむ事なければ、四方に馳走せず、衣食ともにかけたりといへども、身命をおしむ心切ならねば、あながちにうれへとするにおよばず。心をやすくせんためにも、すて候べき世にこそ候めれ。
◗501:13 いはんや、无常のかなしみは目のまえにみてり、いづれの月日をかおはりの時に期せん。さかへあるものもひさしからず、いのちあるものも又うれへあり。すべていとふべきは六道生死のさかひ、ねがふべきは浄土菩提也。
◗502: 1 天上にむまれてたのしみにほこるといへども、五衰退没のくるしみあり。人間にむまれて国王の身をうけて、一天下をしたがふといへども、生老病死・愛別離苦・怨憎会苦、一事もまぬかるゝ事なし。たとひこれらの苦なからんすら、三悪道に返るおそれあり。心あらん人、いかゞいとはざるべき。
◗502: 4 うけがたき人界の生をうけて、あひがたき仏教にあふ。このたび出離をもとめさせ給へ。
◗502: 7 問。おほかた、さこそおもふ事にて候へども、かやうにおほせらるゝことばにつきて、左右なく出家をしたりとも、心に名利をはなれたる事もなく、无道心にて人に謗をなされん事、いかゞとおぼへ候。在家にありておほくの輪廻の業をまさんよりは、よき事にてや候べき。
◗502:10 答。たわぶれにあまのころもをき、酒にゑひて出家をしたる人、みな仏道の因となりきと、旧き物にもかきつたへられて候。
◗502:12 往生十因と申す文には、勝如聖人の父母ともに出家せし時、おとこはとし四十一、妻は三十三なり。修行の僧をもて師としき。師ほめていはく、衰老にもいたらず、病患にものぞまず、いま出家をもとむ、これ最上の善根也とこそはいひけれ。
◗502:15 釈迦如来、当来導師の慈尊に付属し給ふにも、破戒・重悪のともがらなりといふとも、頭をそり、衣をそめ、袈裟をかけたらんものをば、みななんぢにつくとこそはおほせられて候へ。
◗503: 2 されば破戒なりといへども、三会得脱なをたのみあり。ある経の文には、在家の持戒には、出家の破戒はすぐれたりとこそは申て候へ。
◗503: 4 まことに仏法流布の世にむまれて、出離の道をしりて、解脱幢相の衣をかたにかけ、釈氏につらなりて、仏法修行せざらんは、まことにたからの山に入りて、手をむなしくして返るためし也。
◗503: 7 問。まことに出家なんどしては、さすがに生死をはなれ、菩提にいたらん事をこそは、いとなみ候へ。いかやうにかつとめ、いかやうにかねがひ候べき。
◗503: 8 答。安楽集にいはく、大乗聖教によるに、二種の勝法あり。一には聖道、二には往生浄土也。
◗503:10 穢土のなかにして、やがて仏果をもとむるは、みな聖道門也。諸法の実相を観じて証をえんとし、法華三昧を行じて六根清浄をもとめ、三密の行法をこらして即身に成仏せんとおもひ、あるいは四道果をもとめ、又三明六通をねがふ、これみな難行道也。
◗503:13 往生浄土門といふは、まづ浄土へむまれて、かしこにてさとりをもひらき、仏にもならんとおもう也、これは易行道といふ。生死をはなるゝみちおほし、いづれよりもいらせ給へ。
◗504: 1 問。これはわれらがごときのおろかなるものは、浄土の往生をねがひ候べきか、いかん。
◗504: 2 答。安楽集にいはく、聖道の一種は、いまの時には証しがたし。一には大聖をさる事はるかにとをきによる。二には理はふかくして、さとりはすくなきによる。このゆへに大集月蔵経にいはく、わが末法の時の中の億々の衆生、行をおこし道を修するに、いまだ一人もうる物はあらず。
◗504: 5 まさにいま末法五濁悪世也。たゞ浄土の一門のみありて通入すべきみち也。こゝをもて諸仏の大悲、浄土に帰せよとすゝめ給ふ。一形悪をつくれども、たゞよく心をかけて、ま事をもはらにして、つねによく念仏せよ。一切のもろもろのさはり、自然にのぞこりて、さだめて往生をう。なんぞ思ひはからずして、さる心なきやといへり。
◗504: 9 永観のいはく、真言・止観は、理ふかくしてさとりがたく、三論・法相は、道かすかにしてまどひやすしなんど候。
◗504:11 まことに観念にもたへず、行法にもいたらざらん人は、浄土の往生をとげて、一切の法門をもやすくさとらせ給はんは、よく候ひなんとおぼへ候。
◗504:14 十方に浄土おほし、いづれをかねがひ候べき。兜率の往生をねがふ人もおほく候、いかゞ思ひさだめ候べき。
◗504:15 答。天臺大師のゝ給はく、諸教所讃多在弥陀故、以西方而為一順と。又顕密の教法の中に、もはら極楽をすゝむる事、称計すべからず。恵心の往生要集に、十方に対して西方をすゝめ、兜率に対しておほくの勝劣をたて、難易相違の証拠どもをひけり、たづね御らんぜさせ給へ。
◗505: 4 極楽この土に縁ふかし、弥陀は有縁の教主也。宿因のゆへ、本願のゆへ、たゞ西方をねがはせ給ふべきとぞおぼえ候。
◗505: 6 まことにさては、ひとすぢに極楽をねがふべきにこそ候なれ、極楽をねがはんには、いづれの行かすぐれて候べき。
◗505: 7 答。善導釈しての給はく、行に二種あり。一には正行、二には雑行。正の中に五種あり。一には礼拝の正行、二には讃嘆供養の正行、三には読誦の正行、四には称名の正行、五には観察の正行也。
◗505: 9 一に礼拝の正行といは、礼せんには、すなはちかのほとけを礼して余礼をまじへざれ。
◗505:11 二に讃嘆供養の正行といは、讃嘆せんには、すなはちかのほとけを讃嘆供養して余の讃嘆をまじへざれ。
◗505:12 三に読誦の正行といは、読誦せんには、弥陀経等の三部経を読誦して余の読誦をまじへざれ。
◗505:13 四に称名の正行といは称せんには、すなはちかのほとけを称して余の称名をまじへざれ。
◗505:14 五に観察の正行といは、憶念観察せんには、かの土の二報荘厳等を観察して余の観察をまじへざれ。
◗505:15 この五種を往生の正行とす。この正行の中に又二あり。一には正、二には助也。称名をもては正とし、礼誦等をもては助業となづく。この正助二行をのぞきて、自余の修善はみな雑行となづく。
◗506: 3 又釈していはく、自余の衆善は、みな善となづくといへども、念仏にたくらぶれば、またく比挍にあらずとの給へり。
◗506: 5 浄土をねがはせ給はゞ、一向に念仏をこそは申させ給はめ。
◗506: 6 問。余行を修して往生せん事は、かなひ候まじや。されども法華経に即往安楽世界阿弥陀仏所といひ、密教の中にも、決定往生の真言あり。諸教の中に、浄土に往生すべき功力をとけり、又穢土の中にして仏果にいたるといふ。
◗506: 9 かたき徳をだに具せらん教を修行して、やすき往生極楽に廻向せば、仏果にかなふまでこそかたくとも、往生はやすく候べきとこそおぼへ候へ。又おのづから聴聞なんどにうけ給はるにも、法華・念仏ひとつ物と釈せられ候。ならべて修せんに、なにかくるしく候べき。
◗506:12 答。双巻経に三輩往生の業をときて、ともに一向専念无量壽仏との給へり。
◗506:13 観无量寿経に、もろもろの往生の行をあつめてとき給に、おはりに阿難に付属し給ふところには、なんぢこの語をたもて。このことばをたもてといふは、无量寿仏の名をたもつ也とゝき給ふ。
◗506:15 善導観経を釈しての給ふに、定散両門の益をとくといへども、仏の本願にのぞむれば、一向にもはら弥陀の名号を称せしむるにありといふ。
◗507: 2 おなじき経の文に、一々の光明は、十方世界の念仏の衆生をてらして、摂取してすて給はずとゝけり。
◗507: 4 善導釈しての給はく、余の雑業のものをてらし摂取すといふ事をば論ぜずと候。
◗507: 5 余行のものはふつとむまれずといふにあらず、善導も廻向してむまるべしといへども、もろもろの疎雑の行となづくとこそはおほせられたれ。
◗507: 7 往生要集の序にも、顕密の教法、その文ひとつにあらず。事理の業因、その行これおほし。利智精進の人は、いまだかたしとせず。豫がごときの頑魯の物、あにたやすからんや。このゆへに、念仏の一門によりて、経論の要文をあつむ。これをひらき、これを修するに、さとりやすく行じやすしといふ。
◗507:11 これらの証拠をあきらめつべし。教をえらぶにはあらず、機をはからふ也。わがちからにて生死をはなれん事、はげみがたくして、ひとへに他力の弥陀の本願をたのむ也。
◗507:13 先徳たちおもひはからひてこそは、道綽は聖道をすてゝ浄土の門にいり、善導は雑行をとゞめて一向に念仏して三昧をえ給ひき。浄土宗の祖師、次第にあひつげり、わづかに一両をあぐ。
◗507:15 この朝にも恵心・永観なんどいふ、自宗・他宗、ひとへに念仏の一門をすゝめ給へり。
◗508: 1 専雑二修の義、はじめて申におよばず。浄土宗の文おほし、こまかに御らんずべし。
◗508: 2 又即身得道の行、往生極楽におよばざらんやと候は、ま事にいはれたるやうに候へども、なにとも宗と申す事の候ぞかし。
◗508: 4 善導の観経の疏にいはく、般若経のごときは、空恵をもて宗とす。維摩経のごときは、不思議解脱をもて宗とす。いまこの観経は、観仏三昧をもて宗とし、念仏三昧をもて宗とすといふがごとき。
◗508: 6 法華は、真如実相平等の妙理を観じて証をとる、現身に五品・六根の位にもかなふ、これらをもて宗とす。又真言には、即身成仏をもて宗とす。
◗508: 8 法華にもおほくの功力をあげて経をほむるついでに、即往安楽ともいひ、又即往兜率天上ともいふ。これは便宜の説也、往生をむねとするにはあらず。真言又かくのごとし。
◗508:11 法華・念仏一つなりといひて、ならべて修せよといはば、善導和尚は法華・維摩等を誦しき。浄土の一門にいりにしよりこのかた、一向に念仏して、あえて世の行をまじふる事なかりき。
◗508:13 しかのみならず、浄土宗の祖師あひついで、みな一向に名号を称して余業をまじへざれとすゝむ。これらを案じて専修の一行にいらせ給へと申すなり。
◗509: 1 問。浄土の法門に、まづなになにをみて心つき候なん。
◗509: 1 答。経には双巻・観无量寿・小阿弥陀経等、これを浄土三部経となづく。文には善導の観経の疏・六時礼讃・観念法門、道綽の安楽集、慈恩の西方要決、懐感の群疑論、天臺の十疑論、わが朝の人師には恵心の往生要集なんどこそは、つねに人の見るものにて候へ。
◗509: 5 たゞしなにを御らんぜずとも、よく御心えて念仏申させ給ひなんに、往生なに事かうたがひ候べき。
◗509: 7 問。心をば、いかやうにかつかひ候べき。
◗509: 7 答。三心を具足させ給へ。その三心と申すは、一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心なり。
◗509: 8 一に至誠心といふは、真実の心也。善導釈しての給はく、至といふは真の義、誠といふは実の義。真実の心の中に、この自他の依正二報をいとひすてゝ、三業に修するところの行業に、かならず真実をもちゐよ。ほかに賢善精進の相を現じて、内に虚仮をいだく物は、日夜十二時につとめおこなふ事、かうべの火をはらふがごとくにすれども、往生をえずといふ。たゞ内外明闇をえらばず、真実をもちゐるゆへに、至誠心となづく。
◗509:14 二に深心といふは、ふかき信也。決定してふかく信ぜよ、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫也。広劫よりこのかた、つねにしづみつねに流転して、出離の縁ある事なし。
◗510: 1 又決定してふかく信ぜよ、このあみだほとけ、四十八願をもて、衆生を摂受して、うたがひなくうらもひなく、かの願力にのりてさだめて往生すと。
◗510: 3 あふぎねがはくは、ほとけのことばをば信ぜよ。もし一切の智者百千万人きたりて、経論の証をひきて、一切の凡夫念仏して往生する事をえずといはんに、一念の疑退の心をおこすべからず。たゞこたへていふべし、なんぢがひくところの経論信ぜざるにはあらず。なんぢが信ずるところの経論は、なんぢが有縁の教、わが信ずるところは、わが有縁の教、いまひくところの経論は、菩薩・人・天等に通じてとけり。
◗510: 8 この観経等の三部は、濁悪不善の凡夫のためにとき給ふ。しかれば、かの経をとき給ふ時には、対機も別に、所ろも別に、利益も別なりき。いまきみ〔が〕うたがひをきくに、いよいよ信心を増長す。
◗510:10 もし羅漢・辟支仏、初地・十地の菩薩、十方にみち、化仏・報仏ひかりをかゞやかし、虚空にしたをはきて、むまれずとの給はゞ、又こたへていふべし、一仏の説は一切仏の説におなじ、釈迦如来のとき給ふ教をあらためば、制し給ふところの殺生重悪等のつみをあらためて、又おかすべしや。
◗510:14 さきのほとけそら事し給はゞ、のちのほとけも又そら事し給ふべし。おなじ事ならば、たゞしそめたる法をば、あらためじといひて、ながく退する事なかれ。かるがゆへに深心也。
◗511: 1 三に廻向発願心といふは、一切の善根をことごとくみな廻向して、往生極楽のためとす。決定真実の心のうちに廻向して、むまるゝおもひをなすなり。この心深信なる事、金剛のごとくにして、一切の異見・異学・別行人等に、動乱破壊せられざれ。
◗511: 4 いまさらに行者のために一つのたとへをときて、外邪・異見の難をふせがん。人ありて西にむかひて百里・千里をゆくに、忽然として中路に二つの河あり。一つはこれ火のかわ、みなみにあり。二つにはこれ水のかわ、きたにあり。おのおのひろさ百歩、ふかくしてそこなし。
◗511: 8 まさに水火の中間に一つの白き道あり、ひろさ四五寸ばかりなるべし。このみちひんがしのきしより西の岸にいたるまで、ながさ百歩、そのみづの波浪交過して道をうるをす、火焔又きたりて道をやく。水火あひまじはりてつねにやむ事なし。
◗511:11 この人すでに空嚝のはるかなるところにいたるに、人なくして群賊・悪獣あり。この人のひとりゆくを見て、きをひきたりてころさんとす。この人死をおそれてたゞちにはしりて西にむかふ。
◗511:13 忽然としてこの大河を見るに、すなはち念言すらく、南北にほとりなし、中間に一つの白道を見る、きわめて狭少也。二つの岸あいさる事ちかしといへども、いかゞゆくべき。今日さだめて死せん事うたがひなし。
◗512: 1 まさしく返らんとおもへば、群賊・悪獣やうやくきたりてせむ。南北にさりはしらんとおもへば、悪獣・毒虫きおひきたりてわれにむかふ。まさに西にむかひて道をたづねて、しかもさらんとおもへば、おそらくはこの二つの河におちぬべし。
◗512: 4 この時おそるゝ事いふべからず、すなはち思念すらく、返るとも死し、又さるとも死せん、一種としても死をまぬかれざるもの也。われむしろこのみちをたづねて、さきにむかひてさらん。すでにこのみちあり、かならずわたるべし。
◗512: 7 このおもひをなす時に、東の岸にたちまちに人のすゝむるこゑをきく。きみ決定してこのみちをたづねてゆけ、かならず死の難なけん。住せば、すなはち死なん。西の岸のうゑに人ありてよばひていはく、なんぢ一心にまさしく念じて、みちをたづねて直にすゝみて、疑怯退心をなさゞれと。
◗512:10 あるいは一分二分ゆくに、群賊等よばひていはく、きみ返りきたれ、かのみちははげしくあしきみち也、すぐる事をうべからず、死なん事うたがひなし、われらが衆は悪心なしと。
◗512:13 この人、よばふこゑをきくといへどもかえりみず。直にすゝみて道を念じてしかもゆくに、須臾にすなはち西の岸にいたりて、ながくもろもろの難をはなる。善友あひむかひてよろこびやむ事なし。
◗512:15 これはたとへ也。次にたとへを合すといふは、東の岸といふは、すなはちこの娑婆の火宅にたとふる也。
◗513: 1 群賊・悪獣いつはりちかづくといふは、すなはち衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大也。
◗513: 3 人なき空迥の沢といふは、すなはち悪友にしたがひて、まことの善知識にあはざる也。
◗513: 4 水火の二河といふは、すなはち衆生の貪愛は水のごとく、瞋恚は火のごとくなるにたとふる也。
◗513: 5 中間の白道四五寸といふは、衆生の貪瞋煩悩の中に、よく清浄の願往生の心をなす也。貪瞋こわきによるがゆへに、すなはち水火のごとしとたとふる也。願心すくなきがゆへに、白道のごとしとたとふる也。
◗513: 7 水波つねにみちをうるおすといふは、愛心つねにおこりて善信を染汚する也。又火焔つねに道をやくといふは、瞋嫌の心よく功徳の法財をやく也。
◗513: 9 人みちをのぼるに直に西にむかふといふは、すなはちもろもろの行業をめぐらして、直に西にむかふにたとふる也。
◗513:11 東の岸に人のこゑのすゝめやるをきゝて、道をたづねて直に西にすゝむといふは、すなはち釈迦はすでに滅し給ひてのち、人見たてまつらざれども、なを教法ありてたづねつべし。これをこゑのごとしとたとふる也。
◗513:13 あるいはゆく事一分二分するに群賊等よび返すといふは、別解・別行・悪見人等みだりに見解をときてあひ惑乱し、およびみづから罪をつくりて退失するにたとふる也。
◗514: 1 西の岸のうゑに人ありてよばふといふは、すなはち弥陀の願の心にたとふる也。
◗514: 2 須臾ににすなはちにしのきしにいたりて善友あひ見てよろこぶといふは、すなはち衆生ひさしく生死にしづみて、曠劫に輪廻し、迷到し、みづからまどひて解脱するによしなし。
◗514: 4 あふぎて釈迦発遣して、西方にむかはしめ給ふ。弥陀の悲心まねきよばひ給ふによりて、二尊の心に信順して、水火の二河をかへりみず、念々にわするゝ事なく、かの願力の道に乗じて、いのちをすておはりてのち、かのくににむまるゝ事をえて、ほとけを見たてまつりて、慶喜する事きはまりなからん。
◗514: 8 行者、行住坐臥の三業に修するところ、昼夜時節を問ことなく、つねにこのさとりをなし、このおもひをなすがゆへに廻向発願心といふ。
◗514: 9 又廻向といふは、かのくにゝむまれおはりて、大悲をおこして生死に返りいりて、衆生を教化するを廻向となづく。
◗514:11 三心すでに具すれば、行として成ぜずといふ事なし。願行すでに成じて、もしむまれずといはゞ、このことはりある事なけん〔と。〕已上善導の釈の文なり。
◗514:14 問。阿弥陀経の中に、一心不乱と候ぞかしな。これ阿弥陀仏を申さん時、余事をすこしもおもひまぜ候まじきにや。一こゑ念仏申さん程、物をおもひまぜざらん事はやすく候へば、一念往生にもるゝ人候へじとおぼへ候。又いのちのおはるを期として、余念なからん事は、凡夫の往生すべき事にても候はず。この義いかゞ心え候べき。
◗515: 3 答。善導この事を釈しての給はく、ひとたび三心を具足してのち、みだれやぶれざる事金剛のごとくにて、いのちおはるを期とするを、なづけて一心といふに候。
◗515: 5 阿弥陀仏の本願の文に、設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚といふ。この文に至心といふは、観経にあかすところの三心の中の至誠心にあたれり。信楽といふは、深心にあたれり。欲生我国は、廻向発願心にあたれり。これをふさねて、いのちおはるを期として、みだれぬものを一心とは申す也。
◗515: 9 この心を具せんもの、もしは一日・二日、乃至十声・一声に、かならず往生する事をうといふ。いかでか凡夫の心に、散乱なき事候べき。さればこそ易行道とは申す事にて候へ。
◗515:11 双巻経の文には、横截五悪趣、悪趣自然閉、昇道无窮極、易往而无人とゝけり。ま事にゆきやすき事、これにすぎたるや候べき。
◗515:13 劫をつみてむまるといはゞ、いのちもみじかく、身もたへざらん人、いかゞとおもふべきに、本願に乃至十念といふ、願成就の文に乃至一念もかのほとけを念じて、心をいたして廻向すれば、すなはちかの国にむまるゝ事をうといふ。
◗516: 1 造悪のものむまれずといはゞ、観経の文に、五逆の罪人むまるとゝく。
◗516: 2 もし世もくだり、人の心もおろかなる時は、信心うすくしてむまれがたしといはゞ、双巻経の文に、当来之世経道滅尽、我以慈悲哀愍、特留此経止住百歳。其有衆生値此経者、随意所願皆可得度。 云云
◗516: 5 その時の衆生は三宝の名をきく事なし、もろもろの聖教は竜宮にかくれて一巻もとゞまる物なし。たゞ邪悪无信のさかりなる衆生のみあり、みな悪道におちぬべし。弥陀の本願をもて、釈迦の大悲ふかきがゆへに、この教をとゞめ給へる事百年也。いはんや、このごろはこれ末法のはじめ也。万年のゝちの衆生におとらんや。かるがゆへに易往といふ。
◗516: 9 しかりといへども、この教にあふ物はかたし。又おのづからきくといへども、信ずる事かたきがゆへに、しかも无人といふ、ま事にことはりなるべし。
◗516:11 阿弥陀経に、もしは一日、もしは二日、乃至七日、名号を執持して一心不乱なれば、その人命終の時に、阿弥陀仏もろもろの聖衆と現にその人のまえにまします。おはる時、心顛倒せずして、阿弥陀仏の極楽世界に往生する事をうといふ。
◗516:14 この事をとき給ふ時に、釈迦一仏の所説を信ぜざらん事をおそれて、六方の如来、同心同時におのおの広長の舌相をいだして、あまねく三千大千世界におほひて、もしこの事そら事ならば、わがいだすところの広長の舌やぶれたゞれて、口にいる事あらじとちかひ給ひき。
◗517: 3 経文・釈文あらは也。又大事を成し給ひし時は、みな証明ありき。法華をとき給ひし時は、多宝一仏証明し、般若をとき給ひし時は、四方四仏証明し給ふ。しかりといへども、一日七日の念仏のごとく証誠のさかりなる事はなし。ほとけもこの事をま事に大事におぼしめしたるにこそ候めれ。
◗517: 7 問。信心のやうはうけ給はりぬ、行の次第いかゞ候べき。
◗517: 7 答。四修をこそは本とする事にて候へ。一には長時修、乃至四には无余修也。
◗517: 8 一に長時修といふは、慈恩の西方要決にいはく、初発心よりこのかた、つねに退転なき也。善導は、いのちのおはるを期として、誓て中止せざれといふ。
◗517:10 二に恭敬修といは、極楽の仏法僧宝において、つねに憶念して尊重をなす也。往生要集にあり。
◗517:12 又要訣にいはく、恭敬修、これにつきて五あり。一には有縁の聖人をうやまふ。二には有縁の聖教をうやまふ。三には有縁の善知識をうやまふ。四には同縁の伴をうやまふ。五には三宝をうやまふ。
◗517:14 一に有縁の聖人をうやまふといふは、行住坐臥に西方をそむかず、涕唾便利に西方にむかはざれといふ。
◗517:15 二に有縁の像と教とをうやまふといふは、阿弥陀仏の像をつくりもかきもせよ。ひろくする事あたはずは、一仏二菩薩をつくれ。又教をうやまふといふは、弥陀経等を五色のふくろにいれて、みづからもよみ他をおしへてもよませよ。像と経と室のうちに安置して、六時に礼讃し、香花を供養すべし。
◗518: 4 三に有縁の善知識をうやまふといふは、浄土の教をのべんものをば、もしは千由旬よりこのかた、ならびに敬重し親近・供養すべし。別学のものをも総じてうやまふ心をおこすべし。もし憍慢をなさば、罪をうる事きわまりなし。すゝみても衆生のために善知識となりて、かならず西方に帰するをもちゐよ。この火宅に住せば、退没ありていでがたきがゆへ也。火界の修道はなはだかたかるべきがゆへに、西方に帰せしむ。ひとたび往生をえつれば、三学自然に勝進して、万行ならびにそなはるがゆへに、弥陀の浄国は造罪の地なし。
◗518:11 四に同縁のともをうやまふといふは、おなじく業を修する物也。みづからはさはりおもくして独業成ぜずといへども、かならずよきともによりて、まさに行をなす。あやうきをたすけ、あやうきをすくふ事、同伴の善縁也。ふかくあひたのみておもくすべし。
◗518:14 五に三宝をうやまふといふは、絵像・木仏、三乗の教旨、聖僧・破戒のともがらまでうやまひをおこし、慢を生ずる事なかれ。木のかたぶきたるは、たうるゝに、まがれるによるがごとし。事のさはりありて、西にむかふにおよばずは、たゞ西にむかふおもひをなすべし。
◗519: 3 三に无間修といふは、要訣にいはく、つねに念仏して往生の心をなせ。一切の時において、心につねにおもひたくむべし。たとへばもし人他に抄掠せられて、身下賎となりて艱辛をうく。たちまちに父母をおもひて、本国にはしり返らんと思ふ。ゆくべきはかり事、いまだわきまへずして他郷にあり、日夜に思惟する。くるしみたへしのぶべからず、時として本国をおもはずといふ事なし。はかり事をなす事をえて、すでに返りて達する事をえて、父母に親近し、ほしきまゝに歓娯するがごとし。行者も又しか也。往因の煩悩に善心を壊乱せられて、福智の珍財ならびに散失して、ひさしく生死にしづみて、六道に駆馳し、くるしみ身心をせむ。いま善縁にあひて、弥陀の慈父をきゝて、まさに仏恩を念じて、報尽を期として、心につねにおもふべし。心々相続して余業をまじへざれ。
◗519:13 四に无余修といふは、要訣にいはく、もはら極楽をもとめて礼念する也。諸余の行業を雑起せざれ。所作の業は日別に念仏すべし。善導のゝ給はく、もはらかのほとけの名号を念じ、もはらかのほとけおよびかの土の一切の聖衆等をほめて、余業をまじへざれ。専修のものは百はすなはち百ながらむまれ、雑修のものは百が中にわづかに一二也。雑縁にちかづきぬれば、みづからもさへ、他の往生の正行をもさふる也。われみづから諸方を見きくに、道俗の解行不同にして、専雑こと也。たゞ心をもはらになすは、十は十ながらむまる。雑修のものは、千が中に一つもえずといふ。
◗520: 5 又善導の御弟子釈しての給はく、西方浄土の業を修せんとおもはん物は、四修おつる事なく、三業まじわる事なくして、一切の諸願・諸行を廃して、たゞ西方の一行・一願を修せよとこそ候へ。
◗520: 9 問。一切の善根は魔王のためにさまたげらる。これはいかゞして退治し候べき。
◗520:10 答。魔界といふ物は、衆生をたぶろかす物也。一切の行業は、自力をたのむゆへ也。念仏の行者は、身をば罪悪生死の凡夫とおもへば、自力をたのむ事なくして、たゞ弥陀の願力にのりて往生せんとねがふに、魔縁たよりをうる事なし。
◗520:12 観恵をこらす人にも、なを九境の魔事ありといふ。弥陀の一事には、もとより魔事なし、果人清浄なるがゆへにといへり。仏をたぶろかす魔縁なければ、念仏のものをばさまたぐべからず、他力をたのむによるがゆへ也。百丈の石を船におきつれば、万里の大海をすぐるがごとし。
◗521: 1 又念仏の行者のまへには、弥陀・観音つねにきたり給ふ。二十五の菩薩、百重千重に囲繞護念し給ふに、たよりをうべからず。
◗521: 3 問。阿弥陀仏を念ずるに、いかばかりのつみをか滅し候。
◗521: 3 答。一念によく八十億劫の生死の罪を滅すといひ、又但聞仏名二菩薩名、除无量劫生死之罪なんど申候ぞかし。
◗521: 6 問。念仏と申候は、仏の色相を念じ候か。
◗521: 6 答。仏の色相・光明を念ずるは、観仏三昧なり。報身を念じ同体の仏性を観ずるは、智あさく心すくなきわれらは境界にあらず。
◗521: 8 善導の給はく、相を観ぜずして、たゞ名字を称せよ。衆生さはりおもくして、観成ずる事かたし。このゆへに大聖あはれみをたれて、称名をもはらにすゝめ給へり。心かすかにして、たましゐ十方にとびちるがゆへ也といへり。
◗521:11 又本願の文を、善導釈しての給はく、若我成仏、十方衆生願生我国、称我名号、下至十声、乗我願力、若不生者不取正覚。彼仏今現在世成仏。当知、本誓重願不虚、衆生称念必得往生とおほせられて候。
◗521:13 とくとく安楽浄土に往生せさせおはしまして、弥陀・観音を師として、法華の真如実相平等の妙理、般若の第一義空、真言の即身成仏、心のまゝにさとrせおはしますべし 云云。