1043:11 まことにこの身には、道心のなき事と、やまひとばかりや、なげきにて候らむ。世をいとなむ事なければ、四方に馳騁せず、衣食ともにかけたりといゑども、身命をおしむこゝろ切ならぬは、あながちにうれへとするにおよばぬ。こゝろをやすくせむためにも、すて候べきよにこそ候めれ。
1043:14 いはむや、无常のかなしみはめのまへにみてり、いづれの月日おかおはりのときと期せむ。さかへあるものもひさしからず、いのちあるものもまたうれえあり。すべていとふべきは六道生死のさかひ、ねがふべきは浄土菩提なり。
1044: 2 天上にむまれてたのしみにほこるといゑども、五衰退没のくるしみあり。人間にむまれて国王の身をうけて、一四天下おばしたがふといゑども、生老病死・愛別離苦・怨憎会苦の一事もまぬかるゝ事なし。これらの苦なからむすら、三悪道にかへるおそれあり。こゝろあらむ人は、いかゞいとはざるべき。
1044: 6 うけがたき人界の生をうけて、あひがたき仏教にあひ、このたび出離をもとめさせたまへ。
1044: 8 問。おほかたは、さこそはおもふことにて候へども、かやうにおほせらるゝことばにつきて、さうなく出家をしたりとも、こゝろに名利をはなれたる事もなし。持戒清浄なる事なく、无道心にて人に謗をなされむ事、いかゞとおぼえ候。それも在家にありておほくの輪廻の業をまさむよりは、よき事にてや候べき。
1044:11 答。たわぶれに尼のころもをき、さけにゑいて出家をしたる人、みな仏道の因となりにきと、ふるきものにもかきつたえられて候。
1044:13 往生の十因と申ふみには、勝如聖人の父母ともに出家せし時、男はとし四十一、妻は卅三なり。修行の僧をもちて師としき。師ほめていはく、衰老にもいたらず、病患にものぞまず、いま出家をもとむ。これ最上の善根なりとこそはいひけれ。
1045: 1 釈迦如来、当来導師弥勒慈尊に付属したまふにも、破戒・重悪のともがらなりといふとも、頭をそり、衣をそめ、袈裟をかけたらむものは、みな汝につくとこそはおほせられて候へ。
1045: 4 されば破戒なりといゑども、三会得脱なほたのみあり。ある経の文には、在家の持戒には、出家の破戒はすぐれたりとこそは申候へ。
1045: 5 まことに仏法流布の世にむまれて、出離の道をえて、解脱幢相のころもを肩にかけ、釈子につらなりて、仏法修行せざらむ。まことに宝の山にいりて、手をむなしくしてかへるためしなり。
1045: 9 問。まことに出家などしては、さすがに生死をはなれ、菩提にいたらむ事をこそは、いとなみにて候べけれ。いかやうにかつとめ、いかやうにかねがひ候べき。
1045:11安楽集に云く、大乗の聖教によるに、二種の勝法あり。一には聖道、二には往生浄土也。
1045:12 穢土の中にして、やがて仏果をもとむるは、みな聖道門なり。諸法の実相を観じて証をえむと、法華三昧を行じて六根清浄をもとめ、三密の行法をこらして即身に成仏せむとおもふ。あるいは四道の果をもとめ、また三明六通をねがふ、これみな難行道なり。
1045:15 往生浄土門といふは、まづ浄土にむまれて、かしこにてさとりをもひらき、仏にもならむとおもふなり、これは易行道といふ。
1046: 2 生死をはなるゝみちみちおほし、いづれよりもいらせたまへ。
1046: 3 問。さればわれらがごときのおろかなるものは、浄土をねがひ候べきか、いかに。
1046: 4 答。安楽集に云く、聖道の一種は、いまの時には証しがたし。一には大聖をされる事はるかにとおきによる。二には理はふかくして、さとりはすくなきによる。
1046: 6 このゆへに大集月蔵経にいはく、わが末法のときの中の億億の衆生、行をおこし道を修するに、一人もうるものはあらず。
1046: 7 まことにいま末法五濁悪世なり。たゞ浄土の一門のみありて通入すべきなり。
1046: 8 こゝをもて諸仏の大悲、浄土に帰せよとすゝめたまふ。一形悪をつくれども、たゞよくこゝろをかけて、まことをもはらにして、つねによく念仏せよ。一切のもろもろのさはり、自然にのぞこりて、さだめて往生をう。なむぞおもひはからずして、さるこゝろなきやといふ。
1046:12 永観ののたまはく、真言・止観は、理ふかくしてさとりがたく、三論・法相は、みちかすかにしてまどひやすしなむど候。
1046:14 まことに観念もたえず、行法にもいたらざらむ人は、浄土の往生をとげて、一切の法門おもやすくさとらせたまはむは、よく候なむとおぼえ候。
1047: 1 問。十方に浄土おほし、いづれおかねがひ候べき。兜率の上生をねがふ人もおほく候、いかゞおもひさだめ候べき。
1047: 2 答。天台大師ののたまはく、諸教所讃多在弥陀故、以西方而為一順と。また顕密の教法の中に、もはら極楽をすゝむる事は、称計すべからず。
1047: 4 恵心の往生要集に、十方に対して西方をすゝめ、兜率に対しておほくの勝劣をたて、難易相違の証拠をひけり、たづね御覧ぜさせたまへ。
1047: 6 極楽この土に縁ふかし、弥陀は有縁の教主なり、宿因のゆへ、本願のゆへ。たゞ西方をねがはせたまふべきとこそおぼえ候へ。
1047: 8 問。まことにさては、ひとすぢに極楽をねがふべきにこそ候なれ、極楽をねがはむには、いづれの行かすぐれて候べき。
1047: 9 答。善導釈してのたまはく、行に二種あり。一には正行、二には雑行なり。正の中に五種の正行あり。一には礼拝の正行、二には讃嘆供養の正行、三には読誦正行、四には観察正行、五には称名の正行なり。
1047:12 一に礼拝の正行といふは、礼せむには、すなわちかの仏を礼して余礼をまじえざれ。
1047:13 二に讃嘆供養の正行といふは、弥陀を讃嘆供養して余の讃嘆供養をまじえざれ。
1047:14 三に読誦の正行といふは、読誦せむには、弥陀経等の三部経を読誦して余の読誦をまじえざれ。
1047:15 四に観察の正行といふは、憶念観察せむには、かの土の二報荘厳等を観察して余の観察をまじえざれ。
1048: 1 五に称名の正行といふは、称せむには、すなわちかの仏を称して余の称名をまじえざれ。
1048: 2 この五種を往生の正行とす。この正行の中にまた二あり。一には正、二には助。称名をもては正とし、礼誦等をもちては助業となづく。この正助二行をのぞきて、自余の衆善はみな雑行となづく。
1048: 5 また釈していはく、自余の衆善は、善となづくといゑども、念仏にくらぶれは、またく比校にあらずとのたまへり。
1048: 6 浄土をねがはせたまはゞ、一向に念仏をこそはまふさせたまはめ。
1048: 8 問。余行を修して往生せむことは、かなひ候まじや。されども法華経には即往安楽世界阿弥陀仏といひ、密教の中にも、決定往生の真言、滅罪の真言あり。諸教の中に、浄土に往生すべき功力をとけり、また穢土の中にして仏果にいたるといふ。
1048:11 かたき徳をだに具せらむ教を修行して、やすき往生極楽に廻向せば、仏果にかなうまでこそかたくとも、往生はやすくや候べきとこそおぼえ候へ。またおのづから聴聞などにうけたまはるにも、法華と念仏ひとつものと釈せられ候。ならべて修せむに、なにかくるしく候べき。
1048:14 答。双巻経に三輩往生の業をときて、ともに一向専念无量寿仏とのたまへり。
1048:15 観无量寿経に、もろもろの往生の行をあつめてときたまふおはりに、阿難に付嘱したまふところには、なむぢこのことばをたもて。このことばをたもてといふは、无量寿仏のみなをたもてとなりとときたまふ。
1049: 3 善導観経を釈してのたまふに、定散両門の益をとくといゑども、仏の本願をのぞむには、一向にもはら弥陀の名号を称せしむるにありといふ。
1049: 5 同き経の文に、一一の光明、十方世界の念仏の衆生をてらして、摂取してすてたまはずととけり。
1049: 6 善導釈してのたまふには、論ぜず、余の雑業のものをてらし摂取すといふことおばとかず候。
1049: 8 余行のものふつとむまれずとはいふにはあらず、善導も廻向してむまるべしといゑども、もろもろの疎雑の行となづくとこそはおほせられたれ。
1049:10 往生要集の序にも、顕密の教法、その文ひとつにあらず。事理の業因、その行これおほし。利智精進の人は、いまだかたしとせず。豫がごときの頑嚕のもの、たやすからむや。このゆへに、念仏の一門によりて、経論の要文をあつむ。これをひらき、これを修するに、さとりやすく行じやすしといふ。
1049:14 これらの証拠あきらめつべし。教をえらぶにはあらず、機をはからふなり。わがちからにて生死をはなれむ事、はげみがたくして、ひとへに他力の弥陀の本願をたのむ也。
1050: 1 先徳たちおもひはからひてこそは、道綽は聖道をすてゝ浄土の門にいり、善導は雑行をとゞめて一向に念仏して三昧をえたまひき。浄土宗の祖師、次第にあひつげり、わづかに一両をあぐ。
1050: 3 この朝にも恵心・永観などいふ、自宗・他宗、ひとへに念仏の一門をすゝめたまへり。
1050: 4 専雑二修の義、はじめて申におよばず。浄土宗のふみおほく候、こまかに御覧候べし。
1050: 5 また即身得道の行、往生極楽におよはざらむやと候は、まことにいわれたるやうに候へども、なかにも宗と申ことの候ぞかし。
1050: 7 善導の観経の疏にいはく、般若経のごときは、空慧をもて宗とす、維摩経のごときは、不思議解脱をもちて宗とす。いまこの観経は、観仏三昧をもちて宗とし、念仏三昧をもちて宗とすといふがごとき。
1050:10 法華は、真如実相平等の妙理を観じて証をとり、現身に五品・六根の位にもかなふ、これをもちて宗とす。また真言には、即身成仏をもちて宗とす。
1050:12 法華にもおほくの功力をあげて経をほむるついでに、即往安楽ともいひ、また即往兜率天上ともいふ。これは便宜の説なり、往生を宗とするにはあらず。真言もまたかくのごとし。
1050:14 法華・念仏ひとつなりといひて、ならべて修せよといはゞ、善導和尚は法華・維摩等を読誦しき。浄土の一門にいりにしよりこのかた、一向に念仏して、あえて余の行をまじふる事なかりき。
1051: 2 しかのみならず、浄土宗の祖師あひつぎて、みな一向に名号を称して余業をまじへざれとすゝむ。これらを按じて専修の一行にいらせたまへとは申すなり。
1051: 4 問。浄土の法門に、まづなになにをみてこゝろつき候なむ。
1051: 4 答。経には双巻・観无量寿・小阿弥陀経等、これを浄土の三部経となづく。
1051: 5 文には善導の観経の疏・六時礼讃・観念法門、道綽の安楽集、慈恩の西方要決、懐感の群疑論、天台の十疑論、わが朝の人師恵心の往生要集なむどこそは、つねに人のみるものにて候へ。
1051: 8 たゞなにを御覧ずとも、よく御こゝろえて念仏申させたまはむに、往生なにかうたがひ候べき。
1051:10 問。こゝろおば、いかやうにかつかひ候べき。
1051:10 答。三心を具足せさせたまへ。その三心と申は、一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心なり。
1051:11 一に至誠心といふは、真実の心なり。善導釈してのたまはく、至といふは真の義、誠といふは実の義。真実のこゝろの中に、この自他の依正二報をいとひすてゝ、三業に修するところの行業に、かならず真実をもちゐよ。
1051:14 ほかに賢善精進の相を現じて、うちに虚仮をいだくものは、日夜十二時につとめおこなふこと、かうべの火をはらふがごとくにすれども、往生をえずといふ。たゞ内外明闇おばえらばず、真実をもちゐるゆへに、至誠心となづく。
1052: 2 二に深心といふは、ふかき信なり。決定してふかく信ぜよ、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫なり。昿劫よりこのかた、つねにしづみつねに流転して、出離の縁あることなし。
1052: 4 また決定してふかく信ぜよ、かの阿弥陀仏の四十八願をもて、衆生をうけおさめて、うたがひなくうらもひなく、かの願力にのりてさだめて往生すと。
1052: 6 あふぎてねがはくは、仏のみことおば信ぜよ。もし一切の智者百千万人きたりて、経論の証をひきて、一切の凡夫念仏して往生する事をえずといはむに、一念の疑退のこゝろをおこすべからず。
1052: 9 たゞこたえていふべし、なむぢがひくところの経論を信ぜざるにはあらず。なむぢが信ずるところの経論は、なむぢが有縁の教、わが信ずるところは、わが有縁の教、いまひくところの経論は、菩薩・人・天等に通じてとけり。
1052:12 この観経等の三部は、濁悪不善の凡夫のためにときたまふ。しかれば、かの経をときたまふ時には、対機も別に、所も別に、利益も別なりき。いまきみがうたがひをきくに、いよいよ信心を増長す。
1052:14 もしは羅漢・辟支仏、初地・十地の菩薩、十方にみちみち、化仏・報仏ひかりをかゞやかし、虚空にみしたをはきて、むまれずとのたまはゞ、またこたえていふべし、一仏の説は一切の仏説におなじ、釈迦如来のときたまふ教をあらためば、制止したまふところの殺生十悪等の罪をあらためて、またおかすべからむや。
1053: 3 さきの仏そらごとしたまはゞ、のちの仏もまたそら事したまふべし。おなじことならば、たゞ信じそめたる法おば、あらためじといひて、ながく退する事なかれ。
1053: 5 かるがゆへに深心なり。
1053: 5 三に廻向発願心といふは、一切の善根をことごとくみな廻向して、往生極楽のためとす。決定真実のこゝろの中に廻向して、むまるゝおもひをなすなり。
1053: 7 このこゝろ深信なる事、金剛のごとくにして、一切の異見・異学・別解・別行の人等に、動乱し破壊せられざれ。
1053: 9 いまさらに行者のためにひとつのたとひをときて、外邪・異見の難をふせがむ。
1053:10 人ありて西にむかひて百里・千里をゆくに、忽然として中路にふたつの河あり。一にはこれ火の河、南にあり。二にはこれ水の河、北にあり。各ひろさ百歩、ふかくしてそこなし、南北にほとりなし。
1053:12 まさに水火の中間に一の白道あり、ひろさ四五寸ばかりなるべし。この道東の岸より西の岸にいたるに、ながさ百歩、その水の波浪まじわりすぎて道をうるおす、火炎またきたりて道をやく。水火あひまじわりてつねにやむ事なし。
1053:15 この人すでに空昿のはるかなるところにいたるに、人なくして群賊・悪獣あり。このひとひとりありくをみて、きおいきたりてころさむとす。この人死をおそれてたゞちにはしりて西にむかふ。
1054: 3 忽然としてこの大河をみるに、すなわち念言すらく、南北にほとりなし、中間に一の白道をみる、きわめて狭少なり。ふたつの岸あいさる事ちかしといゑども、いかゞゆくべき。今日さだめて死せむ事うたがひなし。
1054: 5 まさしくかへらむとおもへば、群賊・悪獣やうやくにきたりせむ。南北にさりはしらむとおもへば、悪獣・毒虫きおひきたりてわれにむかふ。まさに西にむかひてみちをたづねて、しかもさらむとおもへば、おそらくはこのふたつの河におちぬべし。
1054: 8 この時おそるゝ事いふべからず、すなわち思念すらく、かへるとも死し、またさるとも死しなむ、一種としても死をまぬかれざるものなり。われむしろこのみちをたづねて、さきにむかひてしかもさらむ。すでにこのみちあり、かならずわたるべしと。
1054:11 このおもひをなす時に、東の岸にたちまちに人のすゝむるこゑをきく。きみ決定してこのみちをたづねてゆけ、かならず死の難なけむ。住せば。すなわち死しなむ。西の岸の上に人ありてよばひていはく、なむぢ一心にまさしく念じて、身心いたりて、みちをたづねて直にすゝみて、疑怯退心をなさず。
1054:15 あるいは一分二分ゆくに、群賊等よばいていはく、きみかへりきたれ、このみちはけあしくあしきみちなり、すぐる事をうべからず、死しなむことうたがひなし、われらが衆あしきこゝろなし。
1055: 3 このひとあひむかふに、よばふこゑをきくといゑどもかへりみず。直にすゝみて道を念じてしかもゆくに、須臾にすなわち西の岸にいたりて、ながくもろもろの難をはなる。善友あひむかひてよろこびやむ事なし。
1055: 5 これはこれたとひなり。
1055: 6 次に喩を合すといふは、東の岸といふは、すなわちこの娑婆の火宅にたとふるなり。
1055: 7 群賊・悪獣いつわりちかづくといふは、すなわち衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大なり。
1055: 8 人なき空昿の沢といふは、すなわち悪友にしたがひて、まことの善知識にあはざるなり。
1055: 9 水火の二河といふは、すなわち衆生の貪愛は水のごとく、瞋憎は火のごとくなるにたとふるなり。
1055:10 中間の白道四五寸といふは、衆生の貪瞋煩悩の中に、よく清浄の願往生の心をなすなり。貪瞋こはきによるがゆへに、すなわち水火のごとしとたとふるなり。
1055:12 水波つねにみちをうるおすといふは、愛心つねにおこりて善心を染汚するなり。また火炎つねにみちをやくといふは、すなわち瞋嫌のこゝろよく功徳の法財をやくなり。
1055-14 人みちをのぼるに直に西にむかふといふは、すなわちもろもろの行業をめぐらして、直に西にむかふにたとふるなり。
1056: 1 東の岸に人のこゑのすゝめやるをきゝて、みちをたづねて直に西にすゝむといふは、すなわち釈迦はすでに滅したまひてのち、人みたてまつらざれども、なほ教法ありてすなわちたづぬべし。これをこゑのごとしとたとふるなり。
1056: 4 あるいは一分二分するに群賊等よばひかへすといふは、別解・別行・悪見人等みだりに見解をときてあひ惑乱し、およびみづから罪をつくりて退失するなり。
1056: 6 西の岸の上に人ありてよばふといふは、すなわち弥陀の願のこゝろにたとふるなり。
1056: 7 須臾にすなわち西の岸にいたりて善友あひみてよろこぶといふは、すなわち衆生のひさしく生死にしづみて、昿劫より輪廻し、迷倒し、身づから迷て解脱するによしなし。
1056: 9 あふぎて発遣して、西方にむかへしめたまふ。弥陀の悲心まねきよばひたまふに、二尊の心に信順して、水火の二河をかへりみず、念念にわするゝ事なく、かの願力に乗じて、このみちにいのちをすておはりてのち、かのくににむまるゝ事をえて、仏とあひみて、慶楽する事きわまりなからむ。
1056:13 行者、行住座臥の三業に修するところ、昼夜時節をとふことなく、つねにこのさとりをなし、このおもひをなすがゆへに廻向発願心といふ。
1056:14 また廻向といふは、かのくにゝむまれおはりて、大悲をおこして生死にかへりいりて、衆生を教化するを廻向となづく。
1057: 1 三心すでに具すれば、行の成ぜざることなし。願行すでに成じて、もしむまれずといはゞ、このことわりある事なけむと。
1057: 2 已上善導の釈の文なり。
1057: 4 問。阿弥陀経の中に、一心不乱と候ぞかしな。これ阿弥陀仏を申さむ時、余事をすこしもおもひまぜ候まじきにや。一声念仏申さむほど、ものをおもひまぜざらむ事はやすく候へば、一念往生にはもるゝ人候はじとおぼえ候。またいのちのおはるを期として、余念なからむ事は、凡夫の往生すべき事にても候はず。この義いかゞこゝろえ候べき。
1057: 8 答。善導この事を釈してのたまはく、ひとたび三心を具足してのち、みだれやぶれざる事金剛のごときにて、いのちのおはるを期とするを、なづけて一心といふと候。
1057:10 阿弥陀仏の本願の文に、設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念。若不生者、不取正覚といふ。
1057:12 この文に至心といふは、観経にあかすところの三心の中の至誠心にあたれり。信楽といふは、深心にあたれり。これをふさねて、いのちのおはるを期として、みだれぬものを一心とは申なり。
1057:14 このこゝろを具せらむもの、もしは一日もしは二日、乃至一声・十声に、かならず往生する事をうといふ。いかでか凡夫のこゝろに、散乱なき事候べき。さればこそ易行道とは申ことにて候へ。
1058: 1 双巻経の文には、横截五悪趣、悪趣自然閉、昇道無窮極。易往而無人ととけり。まことにゆきやすき事、これにすぎたるや候べき。
1058: 3 劫をつみてむまるといはゞ、いのちもみじかく、みもたえざらむ人、いかゞとおもふべきに、本願に乃至十念といふ、願成就の文に乃至一念もかの仏を念じて、こゝろをいたして廻向すれば、すなわちかのくににむまるゝ事をうといふ。
1058: 6 造悪のものむまれずといはゞ、観経の文に、五逆の罪人むまるととく。
1058: 7 もしよもくだり、人のこゝろもおろかなる時は、信心うすくしてむまれがたしといはゞ、双巻経の文に、当来之世経道滅尽、我以慈悲哀愍、特留此経止住百歳。其有衆生値此経者、随意所願皆可得度。云云
1058:10 その時の衆生は三宝の名をきく事なし、もろもろの聖教は竜宮にかくれて一巻もとゞまることなし。たゞ悪邪无信のさかりなる衆生のみあり、みな悪道におちぬべし。弥陀の本願をもちて、釈迦の大悲ふかきゆへに、この教をとゞめたまひつる事百年なり。いはむや、このごろはこれ末法のはじめなり。万年のゝちの衆生におとらむや。
1058:15 かるがゆへに易往といふ。しかりといゑども、この教にあふものはかたく、またおのづからきくといゑども、信ずる事かたきがゆへに、しかれば、無人といふ、まことにことわりなるべし。
1059: 2 阿弥陀経に、もしは一日もしは二日、乃至七日、名号を執持して一心不乱なれば、その人命終の時に、阿弥陀仏もろもろの聖衆と現にその人のまへにまします。おはる時、心不顛倒して、阿弥陀仏の極楽国土に往生する事をうといふ。
1059: 5 この事をときたまふ時に、釈迦一仏の所説を信ぜざらむ事をおそれて、六方の如来、同心同時におのおの広長の舌相をいだして、あまねく三千大千世界におほいて、もしこの事そらごとならば、わがいだすところの広長の舌やぶれたゞれて、くちにかへりいる事あらじとちかひたまひき。
1059: 9 経の文、釈の文あらはに候、たゞよく御こゝろえ候へ。
1059: 9 また大事を成じたまひしときは、みな証明ありき。法華をときたまひしときは、多宝一仏証明し、般若をときたまひし時は、四方四仏証明したまふ。しかりといゑども、一日七日の念仏のごときに証誠のさかりなる事はなし。仏もこの事をことに大事におぼしめしたるにこそ候めれ。
1059:14 問。信心のやうはうけたまはりぬ。行の次第いかゞ候べき。
1059:14 答。四修をこそは本とする事にて候へ。一には長時修、二には慇重修、また恭敬修となづく、三には无間修、四には无余修なり。
1060: 1 一に長時修といふは、慈恩の西方要決にいはく、初発心よりこのかた、つねに退転なきなり。善導は、いのちのおはるを期として、誓て中にとゞまらざれといふ。
1060: 3 二に恭敬修といふは、極楽の仏法僧宝において、つねに憶念して尊重をなすなり。往生要集にあり。
1060: 4 また要決にいはく、恭敬修、これにつきて五あり。一には有縁の聖人をうやまふ、二には有縁の像と教とをうやまふ、三には有縁の善知識をうやまふ、四には同縁の伴をうやまふ、五には三宝をうやまふ。
1060: 7 一に有縁の聖人をうやまふといふは、行住座臥西方をそむかず、涕唾便利西方にむかはざれといふ。
1060: 8 二に有縁の像と教とをうやまふといふは、弥陀の像をあまねくつくりもかきもせよ。ひろくする事あたはずは、一仏二菩薩をつくれ。また教をうやまふといふは、弥陀経等を五色の袋にいれて、みづからもよみ他をおしへてもよませよ。像と経とを室のうちに安置して、六時に礼讃し、香華供養すべし。
1060:12 三に有縁の善知識をうやまふといふは、浄土の教をのべむものおば、もしは千由旬よりこのかた、ならびに敬重し親近し供養すべし。別学のものおも総じてうやまふこゝろをおこすべし。もし軽慢をなさば、つみをうる事きわまりなし。
1060:15 すゝめても衆生のために善知識となりて、かならず西方に帰する事をもちゐよ。この火宅に住せば、退没ありていでがたきがゆへなり。火界の修道はなはだかたきがゆへに、すゝめて西方に帰せしむ。ひとたび往生をえつれば、三学自然に勝進しぬ。万行ならびにそなわるがゆへに、弥陀の浄国は造悪の地なし。
1061: 4 四に同縁の伴をうやまふといふは、おなじく業を修するものなり。みづからはさとりおもくして独業は成ぜりといゑども、かならずよきともによりて、まさに行をなす。あやうきをたすけ、あやうきをすくふ事、同伴の善縁なり、ふかくあひたのみておもくすべし。
1061: 8 五に木のかたぶきたるが、たうるゝには、まがれるによるがごとし。ことのさわりありて、西にむかふにおよばずは、たゞ西にむかふおもひをなすにはしかず。
1061:10 三に无間修といふは、要決に云、つねに念仏して往生のこゝろをなせ。一切の時において、こゝろにつねにおもひたくむべし。
1061:11 たとへばもし人他に抄掠せられて、身下賎となりて艱辛をうく。たちまちに父母をおもひて、本国にはしりかへらむとおもふて、ゆくべきはかりこと、いまだわきまへずして他郷にあり、日夜に思惟す。苦たえしのぶべからず、時としても本国をおもはずといふことなし。計をなすことえて、すでにかへりて達することをえて、父母に親近して、ほしきまゝに歓娯するがごとし。
1062: 1 行者またしかなり。往因の煩悩に善心を壊乱せられて、福智の珍財ならびに散失して、ひさしく生死にしづみて、六道に駈馳して、苦身心をせむ。いま善縁にあひて、弥陀の慈父をきゝて、まさに仏恩を念じて、報尽を期として、こゝろにつねにおもふべし。こゝろにあひつぎて余業をまじへざれ。
1062: 5 四に无余修といふは、要決にいはく、もはら極楽をもとめて礼念するなり。諸余の行業を雑起せざれ。所作の業は日別に念仏すべし。
1062: 6 善導ののたまはく、専かの仏の名号を念じ、専礼し、もはらかの仏およびかの土の一切の聖衆等をほめて、余業をまじえざれ。専修のものは百はすなわち百ながらむまれ、雑修のものは百が中にわづかに一二なり。
1062: 9 雑縁にねがひつきぬれば、みづからもさえ、他の往生の正行おもさうるなり。なにをもてのゆへに。われみづから諸方をみきくに、道俗解行不同にして、専雑ことなり。たゞこゝろをもはらになさは、十はすなわち十ながらむまる。雑修のものは、一もえずといふ。
1062:13 また善導釈してのたまはく、西方浄土の業を修せむとおもはむものは、四修おつる事なく、三業まじわる事なくして、一切の諸願を廃して、たゞ西方の一行と一願とを修せよとこそ候へ。
1063: 1 問。一切の善根は魔王のためにさまたげらる。これはいかゞして対治し候べき。
1063: 2 答。魔界といふものは、衆生をたぶろかすものなり。一切の行業は、自力をたのむがゆへ也。
1063: 3 念仏の行者は、みおば罪悪生死の凡夫とおもへば、自力をたのむ事なくして、たゞ弥陀の願力にのりて往生せむとねがふに、魔縁たよりをうる事なし。
1063: 5 観慧をこらす人にも、なほ空界の魔事ありといふ。弥陀の一事には、もとより魔事なし、観人清浄なるがゆへにといへり。
1063: 6 仏をたぶろかす魔縁なければ、念仏のものおばさまたぐべからず、他力をたのむによるがゆへに、百丈の石をふねにおきつれば、万里の大海をすぐといふがごとし。
1063: 8 または念仏の行者のまへには、弥陀・観音つねにきたりたまふ。廿五の菩薩、百重千重護念したまふに、たよりをうべからず。
1063:11 問。阿弥陀仏を念ずるに、いかばかりの罪おか滅し候。
1063:11 答。一念によく八十億劫の生死の罪を滅すといひ、また但聞仏名二菩薩名、除无量億劫生死之罪など申候ぞかし。
1063:14 問。念仏と申候は、仏の色相・光明を念ずるは、観仏三昧なり。報身を念じ同体の仏性を観ずるは、智あさくこゝろすくなきわれらが境界にあらず。
1063:15 答。善導ののたまはく、相を観ぜずして、たゞ名字を称せよ。衆生障重して、観成ずる事かたし。このゆへに大聖あはれみて、称名をもはらにすゝめたまへり。こゝろはかすかにして、たましひ十方にとびちるがゆへなりといふ。
1064: 3 本願の文を、善導釈してのたまはく、若我成仏、十方衆生願生我国、称我名号、下至十声、乗我願力、若不生者、不取正覚。彼仏今現在成仏。当知、本誓重願不虚、衆生称念必得往生とおほせられて候。
1064: 6 とくとく安楽の浄土に往生せさせおはしまして、弥陀・観音を師として、法華の真如実相平等の妙理、般若の第一義空、真言の即身成仏、一切の聖教、こゝろのまゝにさとらせおはしますべし。