◗450: 5 三心義 第五
◗450: 6 観无量寿経には、若有衆生願生彼国、発三種心即便往生。何等為三。一者至誠心、二者深信、三者回向発願心。具三心者必生彼国といへり。礼讃には、三心を釈しおはりて、具三心者必得往生也。若少一心、即不得生といへり。しかれば、三心を具すべきなり。
◗450: 9 一に至誠心といふは、真実の心なり。身に礼拝を行じ、くちに〔名〕号をとなへ、心に相好をおもふ、みな真実をもちゐよ。すべてこれをいふに、穢土をいとひ、浄土をねがひて、もろもろの行業を修せんもの、みな真実をもてつとむべし。
◗450:12 これを勤修せんに、ほかには賢善精進の相を現じ、うちには愚悪懈怠の心をいだきて修するところの行業は、日夜十二時にひまな〔くこ〕れを行〔ず〕とも、往生をえず。ほかには愚悪懈怠のかたちをあらわして、うちには賢善精進のおもひに住して、これを修行するもの、一時一念なり〔と〕も、その行むなしからず、かならず往生をう。これを至誠心となづく。
◗451: 1 二に深信といふは、ふかく信ずる心なり。これについて二あり。一にはわれはこれ罪悪不善の身、无始よりこのかた六道に輪廻して、往生の縁なしと信じ、二には罪人なりといへども、ほとけの願力をもて強縁として、かならず往生をえん事、うたがひなくうらもひなしと信ず。
◗451: 5 これについて又二あり。一つには人につきて信をたつ、二には行につきて信をたつ。人につきて信をたつといふは、出離生死のみ〔ちお〕ほしといへども、大きにわかちて二あり。一には聖道門、二には浄土門なり。聖道門といふは、この娑婆世界にて、煩悩を断じ菩提を証するみちなり。浄土門といふは、この娑婆世界をいとひ、かの極楽をねがひて善根を修する門なり。二門ありとへども、聖道門をさしおきて浄土門に帰す。
◗451:10 しかるにもし人ありて、おほく経論をひきて、罪悪の凡夫往生する事をえじといはん。このことばをきゝて、退心をなさず、いよいよ信心をますべし。
◗451:12 ゆへいかんとなれば、罪障の凡夫の浄土に往生すといふ事は、これ釈尊の誠言なり、凡夫の妄執にあらず。われすでに仏の言を信じて、ふかく浄土を欣求す。たとひ諸仏・菩薩きたりて、罪障の凡夫、浄土にむまるべからずとの給ふとも、これを信ずべからず。
◗451:15 ゆへいかんとなれば、菩薩は仏の弟子なり。もしま事にこれ菩薩ならば、仏説をそむくべからず。しかるにすでに仏説に〔たが〕ひて、往生をえずとの給ふ。ま事の菩薩にあらず。
◗452: 2 又仏はこれ同体の大悲なり。ま事に仏ならば、釈迦の説にたがふべからず。しかればすなはち阿弥陀経に、一日七日弥陀の名号を念じて、かならずむまるゝ事をうととけり。これを六法恒沙の諸仏、釈迦仏におなじく、これを証誠し給へり。しかるにいま釈迦の説をそむきて、往生せずといふ。かるがゆへにしりぬ、ま事のほとけにあらず、これ天魔の変化なり。この義をもてのゆへに、仏・菩薩の説なりとも信ずべからず、いかにいはんや余説をや。
◗452: 8 なんぢが執するところの大小ことなりといへども、みな仏果を期する穢土の修行、聖道門の心なり。われらが修するところは、正雑不同なれども、ともに極楽をねがふ往生の行業は、浄土門の心なり。聖道門はこれ汝ぢが有縁の行、浄土門といふはわれらが有縁の行、これをもてかれを難ずべからず、かれをもてこれを難ずべからず。かくのごとく信ずるものをば、就人立信となづく。
◗452:13 つぎに行につきて信をたつといふは、往生極楽の行まちまちなりといへども、二種をばいでず。一には正行、二には雑行也。正行といふは、阿弥陀仏におきてしたしき行なり。雑行といふは、阿弥陀仏におきてうとき行なり。
◗453: 1 まづ正行といふは、これにつきて五あり。一にはいはく読誦、いはゆる三部経をよむなり。二には観察、いはゆる極楽の依正を観ずる也。三には礼拝、いはゆる阿弥陀仏を礼拝する也。四には称名、いはゆる弥陀の名号を称する也。五には讃嘆供養、いはゆる阿弥陀仏を讃嘆し供養する也。この五をもてあはせて二とす。一には一心にもはら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近をとはず念々にすてざる、これを正定業となづく、かのほとけの願に順ずるがゆへに。二にはさきの五が中、かの称名のほかの礼拝・読誦等をみな助業となづく。
◗453: 8 つぎに雑行といふは、さきの五種の正助二業をのぞきて已外のもろもろの読誦大乗・発菩提心・持戒・勧進等の一切の行なり。
◗453: 9 この正雑二行につきて、五種の得失あり。一には親疎対、いはゆる正行は阿弥陀仏にしたしく、雑行はうとく、二には近遠対、いはゆる正行は阿弥陀仏にちかく、雑行は阿弥陀仏にとをし。三には有間无間対、いはゆる正行はおもひをかくるに无間也、雑行は思をかくるに間断あり。四には廻向不廻向対、いはゆる正行は廻向をもちゐざれどもおのづから往生の業となる、雑行は廻向せざるは往生の業とならず。五には純雑対、いはゆる正行は純極楽の業也、雑行はしからず、十方の浄土乃至人天の業也。かくのごとき信ずるを、就行立信となづく。
◗454: 1 三に廻向発願心といふは、過去および今生の身口意業に修するところの一切の善根を、真実の心をもて極楽に廻向して、往生を欣求する也。これを廻向発願心となづく。この三心を具しぬれば、かならず往生する也。