◗◗47: 1 無量寿経優婆提舎願生偈註 巻上
婆藪槃頭菩薩造 曇鸞法師註解
◗◗47: 5 【1】つつしみて龍樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに、いはく、菩薩、阿毘跋致を求むるに、二種の道あり。一には難行道、二には易行道なりと。
◗◗47: 7 難行道とは、いはく、五濁の世、無仏の時において阿毘跋致を求むるを難となす。この難にすなはち多途あり。ほぼ五三をいひて、もつて義の意を示さん。一には外道の相善は菩薩の法を乱る。二には声聞は自利にして大慈悲を障ふ。三には無顧の悪人は他の勝徳を破る。四には顛倒の善果はよく梵行を壊つ。五にはただこれ自力にして他力の持つなし。かくのごとき等の事、目に触るるにみなこれなり。たとへば陸路の歩行はすなはち苦しきがごとし。
◗◗47:13 易行道とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ずれば、仏願力に乗じて、すなはちかの清浄の土に往生を得、仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。たとへば水路に船に乗ずればすなはち楽しきがごとし。
◗◗48: 1 この無量寿経優婆提舎は、けだし上衍の極致、不退の風航なるものなり。
◗◗48: 3 【2】無量寿はこれ安楽浄土の如来の別号なり。釈迦牟尼仏、王舎城および舎衛国にましまして、大衆のなかにおいて無量寿仏の荘厳功徳を説きたまへり。すなはち仏の名号をもつて経の体となす。
◗◗48: 5 後の聖者婆藪槃頭菩薩、如来大悲の教を服膺して経に傍へて願生の偈を作れり。また長行を造りてかさねて釈す。
◗◗48: 7 梵に優婆提舎といふは、この間に正名あひ訳せるなし。もしは一隅を挙げて名づけて論となすべし。正名訳せることなき所以は、この間に本仏ましまさざるをもつてのゆゑなり。この間の書のごときは、孔子につきて経と称す。余人の制作みな名づけて子となす。国史・国紀の徒各別の体例なり。
◗◗48:11 しかるに仏の所説の十二部経のなかに論議経あり、優婆提舎と名づく。もしまた仏のもろもろの弟子、仏の経教を解して仏義と相応すれば、仏また許して優婆提舎と名づく。仏法の相に入るをもつてのゆゑなり。
◗◗48:14 この間に論といふは、ただこれ論議のみ。あにまさしくかの名を訳することを得んや。また女人を、子において母と称し、兄において妹といふがごとし。かくのごとき等の事、みな義に随ひて名別なり。もしただ女の名をもつて汎く母妹を談ずるに、すなはち女の大体を失せざれども、あに尊卑の義を含まんや。ここにいふところの論もまたかくのごとし。
◗◗49: 3 ここをもつて仍 因なり りて梵音を存じて優婆提舎といふ。
◗◗49: 5 【3】この論の始終におほよそ二重あり。一にはこれ総説分、二にはこれ解義分なり。
◗◗49: 6 総説分とは、前の五言の偈尽くるまでこれなり。解義分とは、論じて曰はく以下長行尽くるまでこれなり。
◗◗49: 7 二重となす所以は二義あり。偈はもつて経を誦す。総摂せんがためのゆゑなり。論はもつて偈を釈す。解義のためのゆゑなり。
◗◗49:10 【4】無量寿とは無量寿如来をいふ。寿命長遠にして思量すべからず。経とは常なり。いふこころは安楽国土の仏および菩薩の清浄荘厳功徳と国土の清浄荘厳功徳とは、よく衆生のために大饒益をなす。つねに世に行はるべきがゆゑに名づけて経といふ。優婆提舎はこれ仏の論議経の名なり。
◗◗49:14 願はこれ欲楽の義なり。生は天親菩薩、かの安楽浄土の如来の浄華のなかに生ぜんと願ずる生なり。ゆゑに願生といふ。偈はこれ句数の義、五言の句をもつて略して仏経を誦するがゆゑに名づけて偈となす。
◗◗50: 1 婆藪を訳して天といふ。槃頭を訳して親といふ。この人を天親と字く。事は付法蔵経にあり。
◗◗50: 3 菩薩とは、もしつぶさに梵音を存ぜば菩提薩埵といふべし。菩提は、これ仏道の名なり。薩埵は、あるいは衆生といひ、あるいは勇健といふ。仏道を求むる衆生、勇猛の健志あるがゆゑに菩提薩埵と名づく。いまただ菩薩といふは訳者の略せるのみ。造はまた作なり。人によりて法を重んずることを庶ふがゆゑに某造といふ。
◗◗50: 7 このゆゑに無量寿経優婆提舎願生偈婆藪槃頭菩薩造といへり。論の名目を解しをはりぬ。
◗◗50:10 【5】偈のなかを分ちて五念門となす。下の長行に釈するところのごとし。
◗◗50:10 第一行の四句にあひ含みて三念門あり。上の三句はこれ礼拝・讃嘆門なり。下の一句はこれ作願門なり。
◗◗50:12 第二行は論主みづから、われ仏経によりて論を造りて仏教と相応す、服するところ宗あることを述ぶ。なんがゆゑぞいふとならば、これ優婆提舎の名を成ぜんがためのゆゑなり。またこれ上の三門を成じて下の二門を起す。ゆゑにこれに次いで説けり。
◗◗50:15 第三行より二十一行尽くるまで、これ観察門なり。
◗◗51: 1 末後の一行はこれ回向門なり。偈の章門を分ちをはりぬ。
◗◗51: 3 【6】世尊我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国
◗◗51: 4 世尊とは諸仏の通号なり。智を論ずればすなはち義として達せざるはなし。断を語ればすなはち習気余りなし。智断具足してよく世間を利し、世のために尊重せらるるゆゑに世尊といふ。
◗◗51: 6 ここにいふ意は、釈迦如来に帰したてまつるなり。なにをもつてか知ることを得となれば、下の句に我依修多羅といへばなり。天親菩薩、釈迦如来の像法のなかにありて釈迦如来の経教に順ず。ゆゑに生ぜんと願ず。生ぜんと願ずるに宗あり。ゆゑにこの言は釈迦に帰したてまつると知るなり。もしこの意を謂ふに、あまねく諸仏に告ぐることまた嫌ふことなし。
◗◗51:11 それ菩薩の仏に帰することは、孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしく先づ啓すべし。また所願軽からず。もし如来、威神を加したまはずは、まさになにをもつてか達せんとする。神力を加することを乞ふ。ゆゑに仰ぎて告ぐるなり。
◗◗51:15 我一心とは、天親菩薩の自督の詞なり。
◗◗51:15 いふこころは、無礙光如来を念じて安楽に生ぜんと願ず。心々相続して他の想間雑することなしとなり。
◗◗52: 3 問ひていはく、仏法のなかには我なし。このなかになにをもつてか我と称する。答へていはく、我といふに三の根本あり。一にはこれ邪見語、二にはこれ自大語、三にはこれ流布語なり。いま我といふは、天親菩薩の自指の言にして、流布語を用ゐる。邪見と自大とにはあらず。
◗◗52: 7 帰命尽十方無礙光如来とは、帰命はすなはちこれ礼拝門なり。尽十方無礙光如来はすなはちこれ讃嘆門なり。
◗◗52: 8 なにをもつてか帰命はこれ礼拝なりと知るとなれば、龍樹菩薩の、阿弥陀如来の讃を造れるなかに、あるいは稽首礼といひ、あるいは我帰命といひ、あるいは帰命礼といへり。この論の長行のなかにまた五念門を修すといへり。五念門のなかに礼拝はこれ一なり。天親菩薩すでに往生を願ず。あに礼せざるべけんや。ゆゑに知りぬ、帰命はすなはちこれ礼拝なり。
◗◗52:13 しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、かならずしも帰命にあらず。帰命はかならずこれ礼拝なり。もしこれをもつて推せば、帰命を重しとなす。偈は己心を申ぶ。よろしく帰命といふべし。論は偈の義を解す。汎く礼拝を談ず。彼此あひ成じて義においていよいよ顕れたり。
◗◗53: 3 なにをもつてか尽十方無礙光如来はこれ讃嘆門なりと知るとならば、下の長行のなかに、いかんが讃嘆門。いはく、かの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑなりといへり。
◗◗53: 6 舎衛国所説の無量寿経によらば、仏、阿弥陀如来の名号を解したまはく、なんがゆゑぞ阿弥陀と号する。かの仏の光明無量にして、十方国を照らしたまふに障礙するところなし。このゆゑに阿弥陀と号す。またかの仏の寿命およびその人民も、無量無辺阿僧祇なり。ゆゑに阿弥陀と名づくと。
◗◗53:11 問ひていはく、もし無礙光如来の光明無量にして、十方国土を照らしたまふに障礙するところなしといはば、この間の衆生、なにをもつてか光照を蒙らざる。光の照らさざるところあらば、あに礙あるにあらずや。
◗◗53:13 答へていはく、礙は衆生に属す。光の礙にはあらず。たとへば日光は四天下にあまねけれども、盲者は見ざるがごとし。日光のあまねからざるにはあらず。また密雲の洪きに 潅なり げども、頑石の潤はざるがごとし。雨の洽 なり さざるにはあらず。
◗◗54: 3 もし一仏、三千大千世界を主領すといはば、これ声聞論のなかの説なり。もし諸仏あまねく十方無量無辺世界を領すといはば、これ大乗論のなかの説なり。
◗◗54: 5 天親菩薩、いま、尽十方無礙光如来といふは、すなはちこれかの如来の名により、かの如来の光明智相のごとく讃嘆するなり。ゆゑに知りぬ、この句はこれ讃嘆門なり。
◗◗54: 8 願生安楽国とは、この一句はこれ作願門なり。天親菩薩の帰命の意なり。それ安楽の義は、つぶさに下の観察門のなかにあり。
◗◗54:10 問ひていはく、大乗経論のなかに、処々に衆生は畢竟無生にして虚空のごとしと説けり。いかんが天親菩薩願生といふや。
◗◗54:11 答へていはく、衆生は無生にして虚空のごとしと説くに二種あり。
◗◗54:12 一には、凡夫の謂ふところのごとき実の衆生、凡夫の見るところのごとき実の生死は、この所見の事、畢竟じて所有なきこと、亀毛のごとく、虚空のごとし。
◗◗54:14 二には、いはく、諸法は因縁生のゆゑにすなはちこれ不生なり。所有なきこと虚空のごとし。天親菩薩の願ずるところの生は、これ因縁の義なり。因縁の義のゆゑに仮に生と名づく。凡夫の、実の衆生、実の生死ありと謂ふがごときにはあらず。
◗◗55: 3 問ひていはく、なんの義によりてか往生と説く。
◗◗55: 3 答へていはく、この間の仮名人のなかにおいて五念門を修するに、前念は後念のために因となる。穢土の仮名人と浄土の仮名人と、決定して一なるを得ず、決定して異なるを得ず。前心後心またかくのごとし。なにをもつてのゆゑに。もし一ならばすなはち因果なく、もし異ならばすなはち相続にあらざればなり。この義は一異の門を観ずる論のなかに委曲なり。
◗◗55: 8 第一行の三念門を釈しをはりぬ。
◗◗55: 9 【7】次は優婆提舎の名を成じ、また上を成じて下を起す偈なり。
◗◗55:10 我依修多羅 真実功徳相 説願偈総持 与仏教相応
◗◗55:11 この一行、いかんが優婆提舎の名を成じ、いかんが上の三門を成じ下の二門を起す。偈に我依修多羅 与仏教相応といふ。修多羅はこれ仏経の名なり。われ仏経の義を論じて、経と相応す。仏法の相に入るをもつてのゆゑに優婆提舎と名づく。名、成じをはりぬ。
◗◗55:14 上の三門を成じて下の二門を起すとは、いづれのところにか依り、なんのゆゑにか依り、いかんが依る。いづれのところにか依るとは、修多羅に依る。なんのゆゑにか依るとは、如来はすなはち真実功徳の相なるをもつてのゆゑなり。いかんが依るとは、五念門を修して相応するがゆゑなり。上を成じ下を起しをはりぬ。
◗◗56: 3 修多羅とは、十二部経のなかの直説のものを修多羅と名づく。いはく、四阿含・三蔵等、三蔵のほかの大乗の諸経もまた修多羅と名づく。このなかに依修多羅といふは、これ三蔵のほかの大乗の修多羅なり。阿含等の経にはあらず。
◗◗56: 6 真実功徳相とは、二種の功徳あり。一には有漏の心より生じて法性に順ぜず。いはゆる凡夫人天の諸善、人天の果報、もしは因もしは果、みなこれ顛倒、みなこれ虚偽なり。このゆゑに不実の功徳と名づく。
◗◗56: 9 二には菩薩の智慧清浄の業より起りて仏事を荘厳す。法性によりて清浄の相に入る。この法顛倒せず、虚偽ならず。名づけて真実功徳となす。いかんが顛倒せざる。法性によりて二諦に順ずるがゆゑなり。いかんが虚偽ならざる。衆生を摂して畢竟浄に入らしむるがゆゑなり。
◗◗56:13 説願偈総持 与仏教相応とは、持は不散不失に名づく。総は少をもつて多を摂するに名づく。偈の言は五言の句数なり。願は往生を欲楽するに名づく。説はいはく、もろもろの偈と論を説くなり。総じてこれをいふに、願生するところの偈を説きて、仏経を総持し、仏教と相応するなり。相応とは、たとへば函と蓋とあひ称へるがごとし。
◗◗57: 3 【8】観彼世界相 勝過三界道
◗◗57: 4 これより以下は、これ第四の観察門なり。
◗◗57: 4 この門のなかを分ちて二の別となす。一には器世間荘厳成就を観察す。二には衆生世間荘厳成就を観察す。
◗◗57: 5 この句より以下願生彼阿弥陀仏国に至るまでは、これ器世間荘厳成就を観ずるなり。器世間を観ずるなかに、また分ちて十七の別となす。文に至りてまさに目くべし。
◗◗57: 8 この二句はすなはちこれ第一の事なり。名づけて観察荘厳清浄功徳成就となす。
◗◗57: 9 この清浄はこれ総相なり。
◗◗57: 9 仏本この荘厳清浄功徳を起したまへる所以は、三界を見そなはすに、これ虚偽の相、これ輪転の相、これ無窮の相にして、蠖 屈まり伸ぶる虫なり の循環するがごとく、蚕繭 蚕衣なり の自縛するがごとし。あはれなるかな衆生、この三界に締 結びて解けず られて、顛倒・不浄なり。
◗◗57:13 衆生を不虚偽の処、不輪転の処、不無窮の処に置きて、畢竟安楽の大清浄処を得しめんと欲しめす。このゆゑにこの清浄荘厳功徳を起したまへり。
◗◗57:15 成就とは、いふこころは、この清浄は破壊すべからず、汚染すべからず。三界の、これ汚染の相、これ破壊の相なるがごときにはあらず。
◗◗58: 2 観とは観察なり。彼とはかの安楽国なり。世界相とはかの安楽世界の清浄の相なり。その相、別に下にあり。
◗◗58: 3 勝過三界道の道とは通なり。かくのごとき因をもつて、かくのごとき果を得。かくのごとき果をもつて、かくのごとき因に酬ゆ。因に通じて果に至る。果に通じて因に酬ゆ。ゆゑに名づけて道となす。
◗◗58: 6 三界とは、一にはこれ欲界、いはゆる六欲天・四天下の人・畜生・餓鬼・地獄等これなり。二にはこれ色界、いはゆる初禅・二禅・三禅・四禅の天等これなり。三にはこれ無色界、いはゆる空処・識処・無所有処・非想非非想処の天等これなり。
◗◗58: 9 この三界はけだしこれ生死の凡夫の流転の闇宅なり。また苦楽小しき殊なり、修短しばらく異なりといへども、統べてこれを観ずるに有漏にあらざるはなし。倚伏あひ乗じ、循環無際なり。雑生触受し、四倒長く拘はる。かつは因、かつは果、虚偽あひ襲ふ。
◗◗58:12 安楽はこれ菩薩の慈悲・正観の由生、如来の神力本願の所建なり。胎・卵・湿の生、これによりて高く揖め、業繋の長き維、これより永く断つ。続括の権、勧めを待たずして弓を彎く。労謙善譲、普賢に斉しくして徳を同じくす。勝過三界とは、そもそもこれ近言なり。
◗◗59: 2 【9】究竟如虚空 広大無辺際
◗◗59: 3 この二句は荘厳量功徳成就と名づく。
◗◗59: 3 仏本この荘厳量功徳を起したまへる所以は、三界を見そなはすに陜小にして堕 敗城の阜なり 陘 山の絶坎なり 陪 土を重ぬるなり。一にはいはく備なり 陼 渚のごときもの、陼丘なり なり。あるいは宮観迫迮し、あるいは土田逼隘 陋なり す。あるいは志求するに路促まり、あるいは山河隔 塞なり ち障ふ。あるいは国界分部せり。かくのごとき等の種々の挙急の事あり。
◗◗59: 8 このゆゑに菩薩、この荘厳量功徳の願を興したまへり。願はくはわが国土虚空のごとく広大にして無際ならんと。
◗◗59: 9 虚空のごとくとは、いふこころは、来生のもの衆しといへども、なほなきがごとくならんとなり。広大にして無際ならんとは、上の如虚空の義を成ず。なんがゆゑぞ如虚空といふ。広大にして無際なるをもつてのゆゑなり。
◗◗59:13 成就とは、いふこころは、十方衆生の往生するもの、もしはすでに生じ、もしはいまに生じ、もしはまさに生ぜん。無量無辺なりといへども畢竟じてつねに虚空のごとく、広大にして無際にして、つひに満つ時なからん。このゆゑに究竟如虚空 広大無辺際といへり。
◗◗60: 2 問ひていはく、維摩のごときは、方丈に苞容して余りあり。なんぞかならず国界無貲なるをすなはち広大と称する。
◗◗60: 3 答へていはく、いふところの広大は、かならずしも畦 五十畝なり 畹 三十畝なり をもつて喩へとなすにあらず。ただ空のごとしといふ。またなんぞ方丈を累はさんや。また方丈の苞容するところは陜にありて広なり。覈 実なり に果報を論ずるに、あに広にありて広なるにしかんや。
◗◗60: 8 【10】正道大慈悲 出世善根生
◗◗60: 9 この二句は荘厳性功徳成就と名づく。
◗◗60: 9 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある国土を見そなはすに、愛欲をもつてのゆゑにすなはち欲界あり。攀厭禅定をもつてのゆゑにすなはち色・無色界あり。この三界はみなこれ有漏なり。邪道の所生なり。長く大夢に寝ねて出でんと悕ふを知ることなし。
◗◗60:12 このゆゑに大悲心を興したまへり。願はくはわれ成仏せんに、無上の正見道をもつて清浄の土を起して三界を出さんと。
◗◗60:14 性はこれ本の義なり。いふこころは、この浄土は法性に随順して法本に乖かず。事、華厳経の宝王如来の性起の義に同じ。
◗◗61: 1 またいふこころは、積習して性を成ず。法蔵菩薩、諸波羅蜜を集めて積習して成ずるところを指す。
◗◗61: 2 また性といふは、これ聖種性なり。序め法蔵菩薩、世自在王仏の所において、無生法忍を悟りたまへり。その時の位を聖種性と名づく。この性のなかにおいて四十八の大願を発してこの土を修起せり。すなはち安楽浄土といふ。これかの因の所得なり。果のなかに因を説く。ゆゑに名づけて性となす。
◗◗61: 6 またいふこころは、性はこれ必然の義なり、不改の義なり。海の性の一味にして、衆流入ればかならず一味となりて、海の味はひ、かれに随ひて改まらざるがごとし。
◗◗61: 8 また人の身の性は不浄なるがゆゑに、種々の妙好の色・香・美味、身に入ればみな不浄となるがごとし。安楽浄土はもろもろの往生するもの、不浄の色なく、不浄の心なし。畢竟じてみな清浄平等無為法身を得ることは、安楽国土清浄の性、成就せるをもつてのゆゑなり。
◗◗61:12 正道大慈悲 出世善根生とは、平等の大道なり。平等の道を名づけて正道となす所以は、平等はこれ諸法の体相なり。諸法平等なるをもつてのゆゑに発心等し。発心等しきがゆゑに道等し。道等しきがゆゑに大慈悲等し。大慈悲はこれ仏道の正因なるがゆゑに正道大慈悲といへり。
◗◗61:15 慈悲に三縁あり。一には衆生縁、これ小悲なり。二には法縁、これ中悲なり。三には無縁、これ大悲なり。大悲はすなはち出世の善なり。安楽浄土はこの大悲より生ぜるがゆゑなり。ゆゑにこの大悲をいひて浄土の根となす。ゆゑに出世善根生といへり。
◗◗62: 5 【11】浄光明満足 如鏡日月輪
◗◗62: 6 この二句は荘厳形相功徳成就と名づく。
◗◗62: 6 仏本この荘厳功徳を起したまへる所以は、日の四域に行くを見そなはすに、光三方にあまねからず。庭燎、宅にあるにあきらかなること十仞に満たず。
◗◗62: 8 これをもつてのゆゑに浄光明を満たさんと願を起したまへり。
◗◗62: 9 日月光輪の、自体に満足せるがごとく、かの安楽浄土もまた広大にして辺なしといへども、清浄の光明、充塞せざるはなからん。ゆゑに浄光明満足 如鏡日月輪といへり。
◗◗62:12 【12】備諸珍宝性 具足妙荘厳
◗◗62:13 この二句は荘厳種々事功徳成就と名づく。
◗◗62:13 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある国土を見そなはすに、泥土をもつて宮の飾りとなし、木石をもつて華観となす。あるいは金を彫り玉を鏤むも意願充たず。あるいは営みて百千を備ふれば、つぶさに辛苦を受く。
◗◗63: 1 これをもつてのゆゑに大悲心を興したまへり。願はくはわれ成仏せんに、かならず珍宝具足し、厳麗自然にして有余にあひ忘れ、おのづから仏道を得しめんと。
◗◗63: 3 この荘厳の事、たとひ毘首羯磨が工妙絶と称すとも、思を積み想を竭すとも、あによく取りて図さんや。
◗◗63: 5 性とは本の義なり。能生すでに浄し、所生いづくんぞ不浄を得ん。ゆゑに経にのたまはく、その心浄きに随ひてすなはち仏土浄しと。このゆゑに備諸珍宝性 具足妙荘厳といへり。
◗◗63: 8 【13】無垢光炎熾 明浄曜世間
◗◗63: 9 この二句は荘厳妙色功徳成就と名づく。
◗◗63: 9 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある国土を見そなはすに、優劣不同なり。不同なるをもつてのゆゑに高下もつて形る。高下すでに形るれば、是非もつて起る。是非すでに起れば、長く三有に淪 没なり む。
◗◗63:12 このゆゑに大悲心を興して平等の願を起したまへり。願はくはわが国土は光炎熾盛にして第一無比ならん。人天の金色よく奪ふものあるがごとくならじと。
◗◗63:14 いかんがあひ奪ふ。明鏡のごときを金辺に在けばすなはち現ぜず。
◗◗63:15 今日の時中の金を仏の在時の金に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 1 仏の在時の金を閻浮那金に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 2 閻浮那金を大海のなかの転輪王の道中の金沙に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 2 転輪王の道中の金沙を金山に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 3 金山を須弥山の金に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 4 須弥山の金を三十三天の瓔珞の金に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 5 三十三天の瓔珞の金を炎摩天の金に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 5 炎摩天の金を兜率陀天の金に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 6 兜率陀天の金を化自在天の金に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 7 化自在天の金を他化自在天の金に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 8 他化自在天の金を安楽国中の光明に比するにすなはち現ぜず。
◗◗64: 8 所以はいかんとなれば、かの土の金光は垢業より生ずることを絶つがゆゑなり。清浄にして成就せざるはなきゆゑなり。安楽浄土はこれ無生忍の菩薩の浄業の所起なり。阿弥陀如来法王の所領なり。阿弥陀如来を増上縁となしたまふがゆゑなり。このゆゑに無垢光炎熾 明浄曜世間といへり。
◗◗64:12 曜世間とは二種世間を曜かすなり。
◗◗64:14 【14】宝性功徳草 柔軟左右旋 触者生勝楽 過迦旃隣陀
◗◗64:15 この四句は荘厳触功徳成就と名づく。
◗◗64:15 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある国土を見そなはすに、金・玉を宝重すといへども衣服となすことを得ず。明鏡を珍翫すれども敷具によろしきことなし。これによりて目を悦ばしむれども、身に便りならず。身・眼の二情あに鉾楯せざらんや。
◗◗65: 3 このゆゑに願じてのたまはく、わが国土の人天の六情、水乳に和して、つひに楚越の労を去らしめんと。
◗◗65: 5 ゆゑに七宝柔軟にして目を悦ばしめ身に便りなるなり。
◗◗65: 6 迦旃隣陀とは、天竺の柔軟草の名なり。これに触るればよく楽受を生ず。ゆゑにもつて喩へとなす。
◗◗65: 7 註者のいはく、この間の土・石・草・木はおのおの定体あり。訳者なにによりてか、かの宝を目けて草となすや。まさにその 草風を得る貌なり 然 草の旋る貌なり 細き草をといふ なるをもつてのゆゑに、草をもつてこれに目くるのみ。余もし参訳せばまさに別に途あるべし。
◗◗65:11 生勝楽とは、迦旃隣陀に触るれば染着の楽を生ず。かの軟宝に触るれば法喜の楽を生ず。二事あひはるかなり。勝にあらずはいかん。このゆゑに宝性功徳草 柔軟左右旋 触者生勝楽 過迦旃隣陀といへり。
◗◗65:15 【15】宝華千万種 弥覆池流泉 微風動華葉 交錯光乱転
◗◗66: 1 この四句は荘厳水功徳成就と名づく。
◗◗66: 1 仏本なんがゆゑぞこの願を起したまへる。ある国土を見そなはすに、あるいは澐溺 江の水の大きなる波、これを澐溺といふ 洪濤 海の波の上がる して滓沫人を驚かす。あるいは凝凘 氷を流す 凍りてあひ着く して、蹙 迫る 架し、 常を失す を懐く。向に安悦の情なし。背ろに恐値の慮りあり。
◗◗66: 5 菩薩これを見そなはして大悲心を興したまへり。願はくはわれ成仏せんに、あらゆる流・泉・池・沼 池なり 宮殿とあひ称ひ 事、経中に出づ。 種々の宝華布きて水の飾りとなり、微風やうやく扇ぎて映発するに序あり、神を開き体を悦ばしめて、一として可ならずといふことなからんと。
◗◗66: 9 このゆゑに宝華千万種 弥覆池流泉 微風動華葉 交錯光乱転といへり。
◗◗66:11 【16】宮殿諸楼閣 観十方無礙 雑樹異光色 宝欄遍囲繞
◗◗66:12 この四句は荘厳地功徳成就と名づく。
◗◗66:12 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある国土を見そなはすに、嶕嶢 高き貌なり 峻 高なり 嶺にして枯木岑に横たはり、岝峉 岝峉は山斉しからず 深き山谷または山消の貌なり 嶙 深くして崖りなし にして莦 悪き草の貌なり 茅 道に草多くして行くべからず 壑に盈てり。茫々たる滄海、絶目の川たり。々たる広沢、無蹤の所たり。
◗◗67: 1 菩薩これを見そなはして大悲の願を興したまへり。願はくはわが国土は地平らかにして掌のごとく、宮殿・楼閣は鏡のごとくして、十方を納めんにあきらかにして属するところなく、また属せざるにあらざらん。宝樹・宝欄たがひに映飾とならんと。
◗◗67: 5 このゆゑに宮殿諸楼閣 観十方無礙 雑樹異光色 宝欄遍囲繞といへり。
◗◗67: 7 【17】無量宝交絡 羅網遍虚空 種種鈴発響 宣吐妙法音
◗◗67: 8 この四句は荘厳虚空功徳成就と名づく。
◗◗67: 8 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある国土を見そなはすに、煙・雲・塵・霧、太虚を蔽障し、震烈 雨の声なり 大雨なり 上よりして堕つ。不祥の烖 天の火なり 霓 屈れる虹、青赤あるいは白色の陰気なり つねに空より来りて、憂慮百端にしてこれがために毛竪つ。
◗◗67:12 菩薩これを見そなはして大悲心を興したまへり。願はくはわが国土には宝網交絡して、羅は虚空に遍し、鈴鐸 大鈴なり 宮商鳴りて道法を宣べん。これを視て厭ふことなく、道を懐ひて徳を見さんと。
◗◗67:14 このゆゑに無量宝交絡 羅網遍虚空 種種鈴発響 宣吐妙法音といへり。
◗◗68: 1 【18】雨華衣荘厳 無量香普薫
◗◗68: 2 この二句は荘厳雨功徳成就と名づく。
◗◗68: 2 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を興したまへる。ある国土を見そなはすに、服飾をもつて地に布き、所尊を延請せんと欲す。あるいは香・華・名宝をもつて、用ゐて恭敬を表せんと欲す。しかも業貧しく感薄きものはこの事果さず。
◗◗68: 5 このゆゑに大悲の願を興したまへり。願はくはわが国土にはつねにこの物を雨らして衆生の意に満てんと。
◗◗68: 6 なんがゆゑぞ雨をもつて言をなすとならば、おそらくは取者のいはん。もしつねに華と衣とを雨らさば、また虚空に填ち塞ぐべし。なにによりてか妨げざらんと。このゆゑに雨をもつて喩へとなす。雨、時に適ひぬれば、すなはち洪滔 水漫ちて大し の患ひなし。安楽の報、あに累情の物あらんや。
◗◗68:10 経にのたまはく、日夜六時に宝衣を雨り宝華を雨る。宝質柔軟にしてその上を履み践むにすなはち下ること四寸、足を挙ぐる時に随ひて還復すること故のごとし。用ゐること訖りぬれば、宝地に入ること水の坎に入るがごとしと。このゆゑに雨華衣荘厳 無量香普薫といへり。
◗◗68:15 【19】仏慧明浄日 除世痴闇冥
◗◗69: 1 この二句は荘厳光明功徳成就と名づく。
◗◗69: 1 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を興したまへる。ある国土を見そなはすに、また項背に日光ありといへども愚痴のために闇まさる。
◗◗69: 3 このゆゑに願じてのたまはく、わが国土のあらゆる光明、よく痴闇を除きて仏の智慧に入り、無記の事をなさざらしめんと。
◗◗69: 4 またいはく、安楽国土の光明は如来の智慧の報より起るがゆゑに、よく世の闇冥を除く。
◗◗69: 6 経にのたまはく、あるいは仏土あり。光明をもつて仏事をなすと。すなはちこれはこれなり。
◗◗69: 7 このゆゑに仏慧明浄日 除世痴闇冥といへり。
◗◗69: 9 【20】梵声悟深遠 微妙聞十方
◗◗69:10 この二句は荘厳妙声功徳成就と名づく。
◗◗69:10 仏本なんがゆゑぞこの願を興したまへる。ある国土を見そなはすに、善法ありといへども名声遠からず。名声ありて遠しといへどもまた微妙ならず。名声ありて妙遠なれども、また物を悟らしむることあたはず。
◗◗69:13 このゆゑにこの荘厳を起したまへり。
◗◗69:13 天竺国には浄行を称して梵行となす。妙辞を称して梵言となす。かの国には梵天を貴重すれば、多く梵をもつて讃をなす。またいはく、中国の法、梵天と通ずるがゆゑなり。
◗◗70: 1 声とは名なり。名はいはく、安楽土の名なり。
◗◗70: 2 経にのたまはく、もし人ただ安楽浄土の名を聞きて往生を欲願するに、また願のごとくなることを得と。これは名の物を悟らしむる証なり。
◗◗70: 3 釈論にいはく、かくのごとき浄土は三界の所摂にあらず。なにをもつてこれをいふとならば、欲なきがゆゑに欲界にあらず。地居なるがゆゑに色界にあらず。色あるがゆゑに無色界にあらざればなり。けだし菩薩の別業の致すところのみと。
◗◗70: 7 有を出でてしかうして有なるを 有を出でてとは、いはく、三有を出づるなり。しかうして有なるとはいはく、浄土の有なり 微といふ。名よく開悟せしむるを妙 妙は好なり。名をもつて、よく物を悟らしむるゆゑに妙と称す といふ。
◗◗70:10 このゆゑに梵声悟深遠 微妙聞十方といへり。
◗◗70:11 【21】正覚阿弥陀 法王善住持
◗◗70:12 この二句は荘厳主功徳成就と名づく。
◗◗70:12 仏本なんがゆゑぞこの願を興したまへる。ある国土を見そなはすに、羅刹君となれば、すなはち率土あひ噉す。宝輪、殿に駐 馬を立む まればすなはち四域虞ひなし。これを風の靡くに譬ふ。あに本なからんや。
◗◗70:15 このゆゑに願を興したまへり。願はくはわが国土にはつねに法王ましまして、法王の善力に住持せられんと。
◗◗71: 1 住持とは、黄鵠、子安を持てば、千齢かへりて起り、魚母、子を念持すれば、 夏水ありて冬水なきをといふ を経て壊せざるがごとし。
◗◗71: 3 安楽国は正覚のためによくその国を持せらる。あに正覚の事にあらざることあらんや。このゆゑに正覚阿弥陀 法王善住持といへり。
◗◗71: 6 【22】如来浄華衆 正覚華化生
◗◗71: 7 この二句は荘厳眷属功徳成就と名づく。
◗◗71:7a 仏本なんがゆゑぞこの願を興したまへる。ある国土を見そなはすに、あるいは胞血をもつて身器となす。あるいは糞尿をもつて生の元となす。あるいは槐棘の高き圻より猜狂の子を出す。あるいは竪子が婢腹より卓犖の才を出す。譏誚これによりて火を懐き、恥辱これによりて氷を抱く。
◗◗71:11 ゆゑに願じてのたまはく、わが国土にはことごとく如来浄華のなかより生じて、眷属平等にして与奪路なからしめんと。
◗◗71:12 このゆゑに如来浄華衆 正覚華化生といへり。
◗◗71:14 【23】愛楽仏法味 禅三昧為食
◗◗71:15 この二句は荘厳受用功徳成就と名づく。
◗◗71:15a 仏本なんがゆゑぞこの願を興したまへる。ある国土を見そなはすに、あるいは巣を探りて卵を破り、饛 食を盛り満ちたる貌なり 饒 飽なり。多し の饍となす。あるいは沙を懸けて帒を指すをあひ慰むる方となす。ああ、諸子実に痛心すべし。
◗◗72: 3 このゆゑに大悲の願を興したまへり。願はくはわが国土、仏法をもつて、禅定をもつて、三昧をもつて食となして、永く他食の労ひを絶たんと。
◗◗72: 5 愛楽仏法味とは、日月灯明仏、法華経を説きしに六十小劫なり。時会の聴者また一処に坐して六十小劫なるも食のあひだのごとしと謂ふ。一人としてもしは身、もしは心をして懈惓を生ずることあることなきがごとし。
◗◗72: 8 禅定をもつて食となすとは、いはく、もろもろの大菩薩はつねに三昧にありて他の食なし。三昧とは、かのもろもろの人天、もし食を須ゐる時、百味の嘉餚羅列して前にあり。眼に色を見、鼻に香りを聞ぎ、身に適悦を受けて自然に飽足す。訖已りぬれば化して去り、もし須ゐるにはまた現ず。その事、経にあり。
◗◗72:12 このゆゑに愛楽仏法味 禅三昧為食といへり。
◗◗72:14 【24】永離身心悩 受楽常無間
◗◗72:15 この二句は荘厳無諸難功徳成就と名づく。
◗◗72:15 仏本なんがゆゑぞこの願を興したまへる。ある国土を見そなはすに、あるいは朝には袞寵に預びて、夕には斧鉞に惶く。あるいは幼くしては蓬藜に捨てられ、長じては方丈を列ぬ。あるいは鳴笳して出づることをいひ、麻絰して還ることを催す。かくのごとき等の種々の違奪あり。
◗◗73: 4 このゆゑに願じてのたまはく、わが国土は安楽相続して畢竟じて間なからしめんと。
◗◗73: 5 身悩とは飢渇・寒熱・殺害等なり。心悩とは是非・得失・三毒等なり。
◗◗73: 6 このゆゑに永離身心悩 受楽常無間といへり。
◗◗73: 7 【25】大乗善根界 等無譏嫌名 女人及根欠 二乗種不生
◗◗73: 8 この四句は荘厳大義門功徳成就と名づく。門とは大義に通ずる門なり。大義とは大乗の所以なり。人、城に造りて門を得れば、すなはち入るがごとし。もし人安楽に生ずることを得れば、これすなはち大乗を成就する門なり。
◗◗73:11 仏本なんがゆゑぞこの願を興したまへる。ある国土を見そなはすに、仏如来・賢聖等の衆ましますといへども、国、濁せるによるがゆゑに、一を分ちて三と説く。あるいは眉を拓くをもつて誚りを致し、あるいは指語によりて譏りを招く。
◗◗73:14 このゆゑに願じてのたまはく、わが国土をしてみなこれ大乗一味、平等一味ならしめん。根敗の種子畢竟じて生ぜじ、女人・残欠の名字また断たんと。
◗◗74: 1 このゆゑに大乗善根界 等無譏嫌名 女人及根欠 二乗種不生といへり。
◗◗74: 3 問ひていはく、王舎城所説の無量寿経を案ずるに、法蔵菩薩の四十八願のなかにのたまはく、たとひわれ仏を得んに、国のうちの声聞、よく計量してその数を知ることあらば、正覚を取らじと。これ声聞ある一の証なり。
◗◗74: 6 また十住毘婆沙のなかに龍樹菩薩、阿弥陀の讃を造りていはく、三界の獄を超出して、目は蓮華葉のごとし。声聞衆無量なり。このゆゑに稽首し礼したてまつると。これ声聞ある二の証なり。
◗◗74: 8 また摩訶衍論のなかにいはく、仏土種々不同なり。あるいは仏土あり、もつぱらにこれ声聞僧なり。あるいは仏土あり、もつぱらにこれ菩薩僧なり。あるいは仏土あり、菩薩・声聞会して僧となす。阿弥陀の安楽国等のごときはこれなりと。これ声聞ある三の証なり。
◗◗74:12 諸経のなかに安楽国を説くところありて、多く声聞ありとのたまひて声聞なしとのたまはず。声聞はすなはちこれ二乗の一なり。論に乃至無二乗名といへり。これいかんが会する。
◗◗74:15 答へていはく、理をもつてこれを推するに、安楽浄土には二乗あるべからず。なにをもつてこれをいふとならば、それ病あるにはすなはち薬あり。理数の常なり。
◗◗75: 2 法華経にのたまはく、釈迦牟尼如来、五濁の世に出でたまへるをもつてのゆゑに、一を分ちて三となすと。浄土すでに五濁にあらず。三乗なきことあきらかなり。
◗◗75: 4 法華経にのたまはく、もろもろの声聞、この人いづこにおいてか解脱を得ん。ただ虚妄を離るるを名づけて解脱となす。この人実にいまだ一切解脱を得ず。いまだ無上道を得ざるをもつてのゆゑなりと。あきらかにこの理を推するに、阿羅漢すでにいまだ一切解脱を得ず。かならず生ずることあるべし。この人更りて三界に生ぜず。三界のほかに、浄土を除きてまた生処なし。ここをもつてただ浄土に生ずべし。
◗◗75:10 声聞といふがごときは、これ他方の声聞来生せるを、本の名によるがゆゑに称して声聞となす。天帝釈の人中に生るる時、憍尸迦を姓とせり。後に天主となるといへども、仏、人をしてその由来を知らしめんと欲して、帝釈と語らひたまふ時、なほ憍尸迦と称するがごとし。それこの類なり。
◗◗75:13 またこの論にはただ二乗種不生といへり。いはく安楽国に二乗の種子を生ぜずとなり。またなんぞ二乗の来生を妨げんや。
◗◗75:15 たとへば橘栽は江北に生ぜざれども、河洛の菓肆にまた橘ありと見るがごとし。また鸚鵡は壟西を渡らざれども、趙魏の架桁にまた鸚鵡ありといふ。この二の物、ただその種渡らずといふ。かしこに声聞のあることまたかくのごとし。かくのごとき解をなさば、経論すなはち会しぬ。
◗◗76: 5 問ひていはく、名はもつて事を召く。事あればすなはち名あり。安楽国にはすでに二乗・女人・根欠の事なし。またなんぞまたこの三の名なしといふべけんや。
◗◗76: 7 答へていはく、軟心の菩薩のはなはだしくは勇猛ならざるを、譏りて声聞といふがごとし。人の諂曲なると、あるいはまた儜弱なるを、譏りて女人といふがごとし。また眼あきらかなりといへども事を識らざるを、譏りて盲人といふがごとし。また耳聴くといへども義を聴きて解らざるを、譏りて聾人といふがごとし。また舌語ふといへども訥口蹇吃なるを、譏りて人といふがごとし。
◗◗76:12 かくのごとき等ありて、根具足せりといへども譏嫌の名あり。このゆゑにすべからく乃至名なしといふべし。浄土にはかくのごとき等の与奪の名なきことあきらかなり。
◗◗76:15 問ひていはく、法蔵菩薩の本願、および龍樹菩薩の所讃を尋ぬるに、みなかの国に声聞衆多なるをもつて奇となすに似たり。これなんの義かある。
◗◗77: 2 答へていはく、声聞は実際をもつて証となす。計るにさらによく仏道の根芽を生ずべからず。しかるに仏、本願の不可思議の神力をもつて、摂してかしこに生ぜしめ、かならずまさにまた神力をもつてその無上道心を生ずべし。
◗◗77: 5 たとへば鴆鳥の水に入れば魚蚌ことごとく死し、犀牛これに触るれば死せるものみな活るがごとし。かくのごとく生ずべからずして生ず。ゆゑに奇とすべし。しかるに五不思議のなかに、仏法もつとも不可思議なり。仏よく声聞をしてまた無上道心を生ぜしむ。まことに不可思議の至りなり。
◗◗77: 9 【26】衆生所願楽 一切能満足
◗◗77:10 この二句は荘厳一切所求満足功徳成就と名づく。
◗◗77:10 仏本なんがゆゑぞこの願を興したまへる。ある国土を見そなはすに、あるいは名高く位重くして、潜処するに由なし。あるいは人凡に性鄙しくして、出でんと悕ふに路なし。あるいは修短、業に繋がれて、制することおのれにあらず。阿私陀仙人のごとき類なり。かくのごとき等の、業風のために吹かれて自在を得ざることあり。
◗◗77:14 このゆゑに願じてのたまはく、わが国土をしておのおの所求に称ひて、情願を満足せしめんと。
◗◗78: 1 このゆゑに衆生所願楽 一切能満足といへり。
◗◗78: 2 【27】是故願生彼 阿弥陀仏国
◗◗78: 3 この二句は上に十七種荘厳国土成就を観察するは、願生する所以なることを結成す。器世間清浄を釈すること、これ上に訖りぬ。
◗◗78: 5 【28】次に衆生世間清浄を観ず。この門のなかを分ちて二の別となす。一には阿弥陀如来の荘厳功徳を観察す。二にはかのもろもろの菩薩の荘厳功徳を観察す。如来の荘厳功徳を観察するなかに八種あり。文に至りてまさに目くべし。
◗◗78: 8 問ひていはく、ある論師、汎く衆生の名義を解するに、それ三有に輪転して衆多の生死を受くるをもつてのゆゑに衆生と名づくと。いま仏・菩薩を名づけて衆生となす。この義いかん。
◗◗78:10 答へていはく、経にのたまはく、一法に無量の名あり、一名に無量の義ありと。衆多の生死を受くるをもつてのゆゑに名づけて衆生となすがごときは、これはこれ小乗家の三界のなかの衆生の名義を釈するなり。大乗家の衆生の名義にはあらず。
◗◗78:13 大乗家にいふところの衆生とは、不増不減経にのたまふがごとし。衆生といふはすなはちこれ不生不滅の義なりと。なにをもつてのゆゑに。もし生あらば生じをはりてまた生じ、無窮の過あるがゆゑに、不生にして生ずる過あるがゆゑなり。このゆゑに無生なり。もし生あらば滅あるべし。すでに生なし。なんぞ滅あることを得ん。このゆゑに無生無滅はこれ衆生の義なり。
◗◗79: 3 経のなかに、五受陰、通達するに空にして所有なし。これ苦の義なりとのたまふがごとし。これその類なり。
◗◗79: 6 【29】無量大宝王 微妙浄華台
◗◗79: 7 この二句は荘厳座功徳成就と名づく。
◗◗79:7a 仏本なんがゆゑぞこの座を荘厳したまへる。ある菩薩を見そなはすに、末後の身において、草を敷きて坐して阿耨多羅三藐三菩提を成じたまふ。人天の見るもの、増上の信、増上の恭敬、増上の愛楽、増上の修行を生ぜず。
◗◗79:10 このゆゑに願じてのたまはく、われ成仏する時、無量の大宝王の微妙の浄華台をして、もつて仏の座となさしめんと。
◗◗79:11 無量とは、観無量寿経にのたまふがごとし。七宝の地の上に大宝蓮華王の座あり。蓮華の一々の葉、百宝色をなす。八万四千の脈あり。なほ天の画のごとし。脈に八万四千の光あり。
◗◗79:14 華葉の小さきものは縦広二百五十由旬なり。かくのごとき華に八万四千の葉あり。一々の葉のあひだに百億の摩尼珠王あり、もつて映飾となす。一々の摩尼は、千の光明を放つ。その光は蓋のごとし。七宝合成してあまねく地の上に覆ふ。
◗◗80: 2 釈迦毘楞伽宝、もつてその台となす。この蓮華台は八万の金剛・甄叔迦宝・梵摩尼宝・妙真珠網、もつて厳飾となす。その台の上において、自然にして四柱の宝幢あり。一々の宝幢は、八万四千億の須弥山のごとし。幢の上の宝幔は、夜摩天宮のごとし。五百億の微妙の宝珠あり、もつて映飾となす。
◗◗80: 6 一々の宝珠に八万四千の光あり。一々の光、八万四千の異種の金色をなす。一々の金光、安楽宝土に遍す。処々に変化しておのおの異相をなす。あるいは金剛台となり、あるいは真珠網となり、あるいは雑華雲となる。十方面において意に随ひて変現し、仏事を化作すと。
◗◗80: 9 かくのごとき等の事、数量に出過せり。このゆゑに無量大宝王 微妙浄華台といへり。
◗◗80:11 【30】相好光一尋 色像超群生
◗◗80:12 この二句は荘厳身業功徳成就と名づく。
◗◗80:12 仏本なんがゆゑぞかくのごとき身業を荘厳したまへる。ある仏身を見そなはすに、一丈の光明を受けたり。人の身光においてはなはだしくは超絶せず。転輪王の相のごとし。そもそもまた大きに提婆達多に同じ。減ずるところ唯一なれば、阿闍世王をして、ここをもつて乱を懐かしむることを致す。刪闍耶等あへて蟷螂のごとくするも、あるいはかくのごとき類なり。
◗◗81: 2 このゆゑにかくのごとき身業を荘厳したまへり。
◗◗81: 2 この間の詁訓を案ずるに、六尺を尋といふ。
◗◗81: 3 観無量寿経にのたまへるがごとし。阿弥陀如来の身の高さ六十万億那由他恒河沙由旬なり。仏の円光は百億の三千大千世界のごとしと。
◗◗81: 5 訳者、尋をもつてしていへり。なんぞそれ晦きや。里舎の間の人、縦横長短を簡ばず、ことごとく横に両手の臂を舒べて尋となすといへり。もし訳者、あるいはこの類を取りて用ゐて、阿弥陀如来の、臂を舒べたまふに准じて言をなす。ゆゑに一尋と称せば、円光また径六十万億那由他恒河沙由旬なるべし。
◗◗81: 9 このゆゑに相好光一尋 色像超群生といへり。
◗◗81:11 問ひていはく、観無量寿経にのたまはく、諸仏如来はこれ法界身なり。一切衆生の心想のうちに入る。このゆゑに、なんぢら心に仏を想ふ時、この心すなはちこれ三十二相・八十随形好なり。この心作仏す。この心これ仏なり。諸仏正遍知海は心想より生ずと。この義いかん。
◗◗81:14 答へていはく、身を集成と名づく。界を事別と名づく。
◗◗81:15 眼界のごときは根・色・空・明・作意の五の因縁によりて生ずるを名づけて眼界となす。これ眼ただみづからおのが縁を行じて他縁を行ぜず。事別なるをもつてのゆゑなり。耳・鼻等の界もまたかくのごとし。
◗◗82: 3 諸仏如来はこれ法界身なりといふは、法界はこれ衆生の心法なり。心よく世間・出世間の一切諸法を生ずるをもつてのゆゑに、心を名づけて法界となす。法界よくもろもろの如来の相好の身を生ず。また色等のよく眼識を生ずるがごとし。このゆゑに仏身を法界身と名づく。この身、他の縁を行ぜず。このゆゑに一切衆生の心想のうちに入るとなり。
◗◗82: 7 心に仏を想ふ時、この心すなはちこれ三十二相・八十随形好なりといふは、衆生の心に仏を想ふ時に当りて、仏身の相好、衆生の心中に顕現するなり。たとへば水清ければすなはち色像現ず、水と像と一ならず異ならざるがごとし。ゆゑに仏の相好の身すなはちこれ心想とのたまへるなり。
◗◗82:11 この心作仏すといふは、心よく仏を作るといふなり。
◗◗82:12 この心これ仏といふは、心のほかに仏ましまさず。たとへば火は木より出でて、火、木を離るることを得ず。木を離れざるをもつてのゆゑにすなはちよく木を焼く。木、火のために焼かれて、木すなはち火となるがごとし。
◗◗82:15 諸仏正遍知海は心想より生ずといふは、正遍知とは真正に法界のごとくにして知るなり。法界無相なるがゆゑに諸仏は無知なり。無知をもつてのゆゑに知らざるはなし。無知にして知るはこれ正遍知なり。この知、深広にして測量すべからず。ゆゑに海に譬ふ。
◗◗83: 4 【31】如来微妙声 梵響聞十方
◗◗83: 5 この二句は荘厳口業功徳成就と名づく。
◗◗83: 5 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を興したまへる。ある如来を見そなはすに、名の尊からざるに似る。外道人を 車を推す して、瞿曇姓と称するがごとし。道を成ずる日、声はただ梵天に徹る。
◗◗83: 8 このゆゑに願じてのたまはく、われ成仏せんに、妙声はるかに布きて、聞くものをして忍を悟らしめんと。
◗◗83: 9 このゆゑに如来微妙声 梵響聞十方といへり。
◗◗83:11 【32】同地水火風 虚空無分別
◗◗83:12 この二句は荘厳心業功徳成就と名づく。
◗◗83:12 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を興したまへる。ある如来を見そなはすに、法を説くに、これは黒、これは白、これは不黒・不白、下法・中法・上法・上上法とのたまふ。かくのごとき等の無量差別の品あり。分別あるに似たり。
◗◗83:15 このゆゑに願じてのたまはく、われ成仏せんに、地の荷負するに軽重の殊なきがごとく、水の潤長するに莦 悪草 瑞草なり の異なきがごとく、火の成就するに芳臭の別なきがごとく、風の起発するに眠悟の差なきがごとく、空の苞受するに開塞の念なきがごとくならしめんと。
◗◗84: 4 これを内に得て、物を外に安んず。虚しく往きて実ちて帰り、ここにおいて息む。
◗◗84: 5 このゆゑに同地水火風 虚空無分別といへり。
◗◗84: 6 【33】天人不動衆 清浄智海生
◗◗84: 7 この二句は荘厳衆功徳成就と名づく。
◗◗84: 7 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある如来を見そなはすに、説法輪下のあらゆる大衆、もろもろの根・性・欲は種々不同なり。仏の智慧において、もしは退きもしは没す。等しからざるをもつてのゆゑに、衆、純浄ならず。
◗◗84:10 ゆゑに願を興したまへり。願はくはわれ成仏せんに、あらゆる天・人みな如来の智慧清浄海より生ぜんと。
◗◗84:12 海とは、仏の一切種智は深広にして崖りなく、二乗雑善の中・下の死尸を宿さざることをいひて、これを海のごとしと喩ふ。このゆゑに天人不動衆 清浄智海生といへり。
◗◗84:14 不動とは、かの天・人、大乗の根を成就して傾動すべからざるをいふなり。
◗◗85: 1 【34】如須弥山王 勝妙無過者
◗◗85: 2 この二句は荘厳上首功徳成就と名づく。
◗◗85: 2 仏本なんがゆゑぞこの願を起したまへる。ある如来を見そなはすに、衆のなかにあるいは強梁のものあり。提婆達多の流比のごとし。あるいは国王、仏と並び治めて、はなはだ仏に推ることを知らざるあり。あるいは仏を請じて他縁をもつて廃忘することあり。かくのごとき等の上首の力成就せざるに似たるあり。
◗◗85: 6 このゆゑに願じてのたまはく、われ仏となる時、願はくは一切の大衆、よく心を生じて、あへてわれと等しきことなく、ただひとり法王としてさらに俗王なからんと。
◗◗85: 8 このゆゑに如須弥山王 勝妙無過者といへり。
◗◗85:10 【35】天人丈夫衆 恭敬繞瞻仰
◗◗85:11 この二句は荘厳主功徳成就と名づく。
◗◗85:11 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある仏如来を見そなはすに、大衆ありといへども、衆のなかにまたはなはだ恭敬せざるあり。一の比丘、釈迦牟尼仏に、もしわがために十四の難を解せずは、われまさにさらに余道を学すべしと語りしがごとし。
◗◗85:14 また居迦離、舎利弗を謗じて、仏三たび語りたまひしに三たび受けざりしがごとし。
◗◗85:15 またもろもろの外道の輩、かりに仏衆に入りてつねに仏の短を伺ひ求めしがごとし。
◗◗86: 2 また第六天の魔、つねに仏の所においてもろもろの留難をなししがごとし。かくのごとき等の種々の恭敬せざる相あり。
◗◗86: 3 このゆゑに願じてのたまはく、われ成仏せんに、天・人大衆、恭敬して惓むことなからしめんと。
◗◗86: 4 ただ天・人といふ所以は、浄土には女人および八部鬼神なきがゆゑなり。このゆゑに天人丈夫衆 恭敬繞瞻仰といへり。
◗◗86: 7 【36】観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海
◗◗86: 8 この四句は荘厳不虚作住持功徳成就と名づく。
◗◗86: 8 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある如来を見そなはすに、ただ声聞をもつて僧となし、仏道を求むるものなし。あるいは仏に値へども、三塗を勉れざるあり。善星・提婆達多・居迦離等これなり。また人、仏の名号を聞きて無上道心を発せども、悪の因縁に遇ひて、退して声聞・辟支仏地に入るものあり。かくのごとき等の空過のもの、退没のものあり。
◗◗86:13 このゆゑに願じてのたまはく、われ成仏する時、われに値遇するものをして、みな速疾に無上大宝を満足せしめんと。
◗◗86:15 このゆゑに観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海といへり。住持の義は上のごとし。
◗◗87: 1 仏の荘厳八種の功徳を観ずること、これ上に訖りぬ。
◗◗87: 3 【37】次に安楽国のもろもろの大菩薩の四種の荘厳功徳成就を観ず。
◗◗87: 4 問ひていはく、如来の荘厳功徳を観ずるに、なんの闕少せるところありてか、また菩薩の功徳を観ずることを須ゐるや。
◗◗87: 5 答へていはく、明君ましますときにはすなはち賢臣あるがごとし。堯・舜の無為と称せしは、これその比なり。もしただ如来法王ましませども、大菩薩の法臣なからしめば、道を翼讃するにおいてあに満つといふに足らんや。また薪を積みて小なきときには、すなはち火大きならざるがごとし。
◗◗87: 9 経にのたまふがごとし。阿弥陀仏国に無量無辺のもろもろの大菩薩あり。観世音・大勢至等のごときは、みなまさに一生に他方において次いで仏処に補すべしと。もし人、名を称して憶念するもの、帰依するもの、観察するものは、法華経の普門品に説くがごとく、願として満たざることなし。しかるに菩薩の功徳を愛楽することは、海の、流を呑みて止足の情なきがごとし。
◗◗87:14 また釈迦牟尼如来、一の目闇の比丘の吁へてまうすを聞しめすがごとし。たれか功徳を愛するもの、わがために針を維げと。その時に如来、禅定より起ちて、その所に来到して語りてのたまはく、われ福徳を愛すと。つひにそれがために針を維ぎたまふ。その時に失明の比丘、暗に仏語の声を聞きて、驚喜こもごも集まりて仏にまうしてまうさく、世尊、世尊の功徳はなほいまだ満たずやと。仏報へてのたまはく、わが功徳は円満せり。また須むべきところなし。ただわがこの身は功徳より生ず。功徳の恩分を知るがゆゑに、このゆゑに愛すといふと。
◗◗88: 7 問ふところのごとく、仏の功徳を観ずるに、実に願として充たざるはなし。また諸菩薩の功徳を観ずる所以は、上のごとく種々の義あるがゆゑなるのみ。
◗◗88:10 【38】安楽国清浄 常転無垢輪 化仏菩薩日 如須弥住持
◗◗88:11 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある仏土を見そなはすに、ただこれ小菩薩のみにして十方世界において広く仏事をなすことあたはず。あるいはただ声聞・人・天のみにして利するところ狭小なり。
◗◗88:13 このゆゑに願を興したまへり。願はくはわが国のうちには無量の大菩薩衆ありて、本処を動ぜずしてあまねく十方に至りて種々に応化して、如実に修行してつねに仏事をなさんと。
◗◗89: 1 たとへば、日の天上にありて、影は百川に現ずるがごとし。日あに来らんや、あに来らざらんや。
◗◗89: 2 大集経にのたまふがごとし。たとへば、人ありてよく堤塘を治して、その所宜を量りて水を放つ時に及びて、心力を加へざるがごとし。菩薩もまたかくのごとし。先づ一切諸仏および衆生の供養すべく、教化すべき種々の堤塘を治すれば、三昧に入るに及びて身心動ぜざれども、如実に修行してつねに仏事をなすと。
◗◗89: 6 如実に修行すとは、つねに修行すといへども、実に修行するところなし。
◗◗89: 7 このゆゑに安楽国清浄 常転無垢輪 化仏菩薩日 如須弥住持といへり。
◗◗89: 9 【39】無垢荘厳光、一念及一時 普照諸仏会 利益諸群生
◗◗89:10 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある如来の眷属を見そなはすに、他方無量の諸仏を供養せんと欲し、あるいは無量の衆生を教化せんと欲するに、ここに没してかしこに出づ。南を先にして北を後にす。一念一時をもつて光を放ちてあまねく照らし、あまねく十方世界に至りて衆生を教化することあたはず。出没前後の相あるがゆゑなり。
◗◗89:14 このゆゑに願を興したまへり。願はくはわが仏土のもろもろの大菩薩、一念の時のあひだにおいて、あまねく十方に至りて種々の仏事をなさんと。
◗◗90: 1 このゆゑに無垢荘厳光 一念及一時 普照諸仏会 利益諸群生といへり。
◗◗90: 3 問ひていはく、上の章に、身は動揺せずしてあまねく十方に至るといふ。不動にして至る、あにこれ一時の義にあらずや。これといかんが差別する。
◗◗90: 4 答へていはく、上にはただ不動にして至るといへども、あるいは前後あるべし。ここには無前無後といふ。これ差別となす。またこれ上の不動の義を成ずるなり。もし一時ならずはすなはちこれ往来なり。もし往来あらばすなはち不動にあらず。このゆゑに上の不動の義を成ぜんためのゆゑに、すべからく一時を観ずべし。
◗◗90:10 【40】雨天楽華衣 妙香等供養 讃諸仏功徳 無有分別心
◗◗90:11 仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある仏土を見そなはすに、菩薩・人・天、志趣広からず、あまねく十方無窮の世界に至りて諸仏如来・大衆を供養することあたはず。
◗◗90:13 あるいはおのが土の穢濁なるをもつて、あへて浄郷に向詣せず。あるいは居するところの清浄なるをもつて穢土を鄙薄す。
◗◗90:14 かくのごとき等の種々の局分をもつて、諸仏如来の所において周遍供養して広大の善根を発起することあたはず。
◗◗91: 1 このゆゑに願じてのたまはく、われ成仏する時、願はくはわが国土の一切の菩薩・声聞・天・人大衆、あまねく十方の一切諸仏の大会の処所に至りて、天の楽・天の華・天の衣・天の香を雨らして、巧妙の弁辞をもつて諸仏の功徳を供養し讃嘆せんと。
◗◗91: 4 穢土の如来の大慈謙忍を嘆ずといへども、仏土に雑穢の相あることを見ず。浄土の如来の無量の荘厳を嘆ずといへども、仏土に清浄の相あることを見ず。なにをもつてのゆゑに。諸法等しきをもつてのゆゑに、もろもろの如来等し。このゆゑに諸仏如来を名づけて等覚となす。
◗◗91: 8 もし仏土において優劣の心を起さば、たとひ如来を供養すれども、法の供養にはあらず。このゆゑに雨天楽華衣 妙香等供養 讃諸仏功徳 無有分別心といへり。
◗◗91:11 【41】何等世界無 仏法功徳宝 我願皆往生 示仏法如仏
◗◗91:12 仏本なんがゆゑぞこの願を起したまへる。ある軟心の菩薩を見そなはすに、ただ有仏の国土の修行を楽ひて慈悲堅牢の心なし。
◗◗91:13 このゆゑに願を興したまへり。願はくはわれ成仏する時、わが土の菩薩はみな慈悲勇猛堅固の志願ありて、よく清浄の土を捨て、他方の仏法僧なき処に至りて、仏法僧の宝を住持し荘厳して示すこと、仏のましますがごとくし、仏種をして処々に断えざらしめんと。
◗◗92: 2 このゆゑに何等世界無 仏法功徳宝 我願皆往生 示仏法如仏といへり。
◗◗92: 3 菩薩の四種荘厳功徳成就を観ずること、これ上に訖りぬ。
◗◗92: 4 【42】次に下の四句はこれ回向門なり。
◗◗92: 5 我作論説偈 願見弥陀仏 普共諸衆生 往生安楽国
◗◗92: 6 この四句はこれ論主の回向門なり。回向とは、おのが功徳を回してあまねく衆生に施して、ともに阿弥陀如来を見たてまつり、安楽国に生ぜんとなり。
◗◗92: 9 無量寿修多羅の章句、われ偈頌をもつて総じて説きをはりぬ。
◗◗92:10 【43】問ひていはく、天親菩薩の回向の章のなかに、普共諸衆生 往生安楽国といへるは、これはなんらの衆生とともにと指すや。
◗◗92:11 答へていはく、王舎城所説の無量寿経を案ずるに、仏、阿難に告げたまはく、十方恒河沙の諸仏如来、みなともに無量寿仏の威神功徳不可思議なるを称嘆したまふ。諸有の衆生、その名号を聞きて信心歓喜し、すなはち一念に至るまで心を至して回向して、かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得て、不退転に住せん。ただ五逆と誹謗正法とを除くと。
◗◗93: 1 これを案じていふに、一切の外道・凡夫人、みな往生を得ん。
◗◗93: 2 また観無量寿経のごときは九品の往生あり。下下品の生とは、あるいは衆生ありて、不善業たる五逆・十悪を作り、もろもろの不善を具せん。
◗◗93: 5 かくのごとき愚人、悪業をもつてのゆゑに悪道に堕して、多劫を経歴して苦を受くること窮まりなかるべし。かくのごとき愚人、命終の時に臨みて、善知識、種々に安慰して、ために妙法を説き教へて念仏せしむるに遇はん。かの人、苦に逼められて念仏するに遑あらず。善友告げていはく、なんぢもし念ずることあたはずは無量寿仏と称すべしと。
◗◗93: 8 かくのごとく心を至して声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無無量寿仏と称せん。仏の名を称するがゆゑに、念々のうちにおいて八十億劫の生死の罪を除き、
◗◗93:10 命終の後に金蓮華のなほ日輪のごとくしてその人の前に住するを見、一念のあひだのごとくにすなはち極楽世界に往生を得ん。
◗◗93:12 蓮華のなかにおいて十二大劫を満てて、蓮華まさに開けん。 まさにこれをもつて五逆の罪を償ふべし。
◗◗93:13 観世音・大勢至、大悲の音声をもつてそれがために広く諸法実相、罪を除滅する法を説かん。聞きをはりて歓喜して、時に応じてすなはち菩提の心を発さん。これを下品下生のものと名づくと。
◗◗94: 1 この経をもつて証するに、あきらかに知りぬ、下品の凡夫ただ正法を誹謗せざれば、仏を信ずる因縁をもつてみな往生を得と。
◗◗94: 3 問ひていはく、無量寿経にのたまはく、往生を願ずるものみな往生を得。ただ五逆と誹謗正法とを除くと。観無量寿経にのたまはく、五逆・十悪もろもろの不善を具するもまた往生を得と。この二経、いかんが会する。
◗◗94: 6 答へていはく、一経には二種の重罪を具するをもつてなり。一には五逆、二には誹謗正法なり。この二種の罪をもつてのゆゑに、ゆゑに往生を得ず。一経にはただ十悪・五逆等の罪を作るとのたまひて、正法を誹謗すとのたまはず。正法を謗ぜざるをもつてのゆゑに、このゆゑに生ずることを得。
◗◗94:11 問ひていはく、たとひ一人ありて、五逆罪を具すれども正法を誹謗せざれば、経に生ずることを得と許す。また一人ありて、ただ正法を誹謗して五逆の諸罪なし。往生を願ぜば生ずることを得やいなや。
◗◗94:13 答へていはく、ただ正法を誹謗せしめば、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得ず。
◗◗94:15 なにをもつてこれをいふとならば、経にのたまはく、五逆の罪人、阿鼻大地獄のなかに堕してつぶさに一劫の重罪を受く。正法を誹謗する人は阿鼻大地獄のなかに堕して、この劫もし尽きぬれば、また転じて他方の阿鼻大地獄のなかに至る。かくのごとく展転して百千の阿鼻大地獄を経と。仏、出づることを得る時節を記したまはず。誹謗正法の罪きはめて重きをもつてのゆゑなり。
◗◗95: 5 また正法はすなはちこれ仏法なり。この愚痴の人すでに誹謗を生ず。いづくんぞ仏土に生ぜんと願ずる理あらんや。たとひただかの土の安楽を貪りて生ぜんと願ずるは、また水にあらざる氷、煙なき火を求むるがごとし。あに理を得ることあらんや。
◗◗95: 9 問ひていはく、なんらの相かこれ正法を誹謗する。
◗◗95: 9 答へていはく、もし仏なく、仏の法なし、菩薩なく、菩薩の法なしといはん。かくのごとき等の見、もしは心にみづから解し、もしは他に従ひて受け、その心決定するをみな正法を誹謗すと名づく。
◗◗95:13 問ひていはく、かくのごとき等の計はただこれおのが事なり。衆生においてなんの苦悩ありてか五逆の重罪に踰えたるや。
◗◗95:14 答へていはく、もし諸仏・菩薩の、世間・出世間の善道を説きて衆生を教化するものなくは、あに仁・義・礼・智・信あることを知らんや。かくのごとき世間の一切の善法みな断じ、出世間の一切の賢聖みな滅しなん。なんぢただ五逆罪の重たることを知りて、五逆罪の正法なきより生ずることを知らず。このゆゑに正法を謗ずる人、その罪もつとも重し。
◗◗96: 5 問ひていはく、業道経にのたまはく、業道は称のごとし。重きもの先づ牽くと。
◗◗96: 6 観無量寿経にのたまふがごとし。人ありて五逆・十悪を造りもろもろの不善を具せらん。悪道に堕して多劫を経歴して無量の苦を受くべし。命終の時に臨みて、善知識の教に遇ひて、南無無量寿仏と称せん。かくのごとく心を至して声をして絶えざらしめて、十念を具足してすなはち安楽浄土に往生することを得。すなはち大乗正定の聚に入りて、畢竟じて退せず。三塗のもろもろの苦と永く隔つと。
◗◗96:11 先づ牽くの義、理においていかんぞ。
◗◗96:12 また曠劫よりこのかた、つぶさにもろもろの行を造りて、有漏の法は三界に繋属せり。ただ十念阿弥陀仏を念じたてまつるをもつてすなはち三界を出づ。繋業の義またいかんせんと欲する。
◗◗96:14 答へていはく、なんぢ五逆・十悪の繋業等を重となし、下下品の人の十念をもつて軽となして、罪のために牽かれて先づ地獄に堕して三界に繋在すべしといはば、いままさに義をもつて校量すべし。軽重の義は心に在り、縁に在り、決定に在りて、時節の久近・多少には在らず。
◗◗97: 3 いかんが心に在る。かの造罪の人はみづから虚妄顛倒の見に依止して生ず。この十念は善知識の方便安慰によりて実相の法を聞きて生ず。一は実なり、一は虚なり。あにあひ比ぶることを得んや。
◗◗97: 5 たとへば千歳の闇室に、光もししばらく至らば、すなはち明朗なるがごとし。闇、あに室にあること千歳にして去らじといふことを得んや。
◗◗97: 7 これを心に在りと名づく。
◗◗97: 7 いかんが縁に在る。かの造罪の人はみづから妄想の心に依止し、煩悩虚妄の果報の衆生によりて生ず。この十念は無上の信心に依止して、阿弥陀如来の方便荘厳真実清浄無量の功徳の名号によりて生ず。
◗◗97:10 たとへば人ありて毒の箭を被りて、中るところ筋を截り骨を破るに、滅除薬の鼓を聞けば、すなはち箭出で毒除こるがごとし。
◗◗97:12 首楞厳経にのたまはく、たとへば薬あり、名づけて滅除といふ。もし闘戦の時用ゐてもつて鼓に塗るに、鼓の声を聞けば箭出で毒除こるがごとし。菩薩摩訶薩またかくのごとし。首楞厳三昧に住してその名を聞けば、三毒の箭自然に抜け出づと。
◗◗97:15 あにかの箭深く毒はげしくして、鼓の音声を聞くとも、箭を抜き毒を去ることあたはずといふことを得べけんや。これを縁に在りと名づく。
◗◗98: 1 いかんが決定に在る。かの造罪の人は有後心・有間心に依止して生ず。この十念は無後心・無間心に依止して生ず。これを決定と名づく。
◗◗98: 3 三の義を校量するに十念は重し。重きもの先づ牽きてよく三有を出づ。両経は一義なるのみ。
◗◗98: 5 問ひていはく、いくばくの時をか名づけて一念となす。
◗◗98: 5 答へていはく、百一の生滅を一刹那と名づく。六十の刹那を名づけて一念となす。このなかに念といふはこの時節を取らず。ただ阿弥陀仏を憶念するをいふ。もしは総相、もしは別相、所観の縁に随ひて、心に他想なくして十念相続するを名づけて十念となす。ただ名号を称するもまたかくのごとし。
◗◗98:10 問ひていはく、心もし他縁せば、これを摂して還らしめて念の多少を知りぬべし。ただ多少を知るともまた無間にはあらず。もし心を凝らし想を注げば、またなにによりてか念の多少を記することを得べき。
◗◗98:12 答へていはく、経に十念とのたまへるは、業事成弁を明かすのみ。かならずしも頭数を知ることを須ゐず。蟪蛄は春秋を識らずといふがごとし。この虫あに朱陽の節を知らんや。知るものこれをいふのみ。
◗◗98:15 十念業成とは、これまた神に通ずるものこれをいふのみ。ただ念を積み相続して他事を縁ぜざればすなはち罷みぬ。またなんぞ念の頭数を知るを須ゐることを仮らんや。もしかならずすべからく知るべくはまた方便あり。かならずすべからく口授すべし。これを筆点に題することを得ざれ。
◗◗99:15 無量寿経優婆提舎願生偈註 巻上