◗599: 6 上人と明遍との問答 第二十三
◗599: 7 明遍問たてまつりての給はく、末代悪世のわれらがやうなる罪濁の凡夫、いかにしてか生死をはなれ候べき。
◗599: 8 上人答ての給はく、南無阿弥陀仏と申して極楽を期するばかりこそ、しえつべき事と存じて候へ。
◗599:10 僧都のいはく、それはかたのやうに、さ候べきかと存じて候。それにとりて、決定をせん料に申つるに候。それに念仏は申候へども心のちるをば、いかゞし候べき。
◗599:12 上人答ていはく、それは源空もちからおよび候はず。
◗599:13 僧都のいはく、さてそれをばいかゞし候べき。
◗599:13 上人のいはく、ちれども名を称すれば、仏願力に乗じて往生すべしとこそ心えて候へ。たゞ詮ずるところ、おほらかに念仏を申候が第一の事にて候也。
◗600: 1 僧都のいはく、かう候。これうけ給はりにまいりつる候と。これより前後にはいさゝかも詞なくていでられにけり
◗600: 3 上人、又僧都退出のゝち、当座のひじりたちにかたりての給はく、欲界散地にむまれたる物は、みな散心あり。たとへば人界の生をうけたる物の、目鼻のあるがごとし。散心をすてゝ往生せんといはん事、そのことはりしかるべからず。散心ながら念仏申す物が往生すればこそ、めでたき本願にてはあれ。この僧都の、念仏申せども心のちるをばいかゞすべきと不審せられつるこそ、いはれずおぼゆれと 云云。