◗493:13 九条殿下の北政所へ進ずる御返事 第九
◗493:14 かしこまりて申あげ候。さては御念仏申させおはしまし候らんこそ、よにうれしく候へ。
◗493:15 ま事に往生の行には、念仏がめでたき事にて候也。そのゆへは、弥陀の本願の行なれば也。余行は、それ真言・止観のたかき行なりといへども、弥陀の本願にあらず。
◗494: 2 又念仏は、釈迦如来の付属の行也。余行は、まことに定散両門のめでたき行也といへども、釈尊これを付属し給はず。
◗494: 3 又念仏は、六方の諸仏の証誠の行也。余行は、顕密事理のやんごとなき行なりといへども、諸仏これを証誠し給はず。このゆへに、様々の行おほしといへども、往生のみちにはひとへに念仏がすぐれたる事にて候也。
◗494: 6 しかるを往生のみちにうとき人の申すやうは、余の真言・止観の行にたえざる、やすきまゝのつとめにてこそ念仏はあれと申すは、きはめたるひが事にて候也。
◗494: 8 そのゆへは、余行をば弥陀の本願にあらずときらひすてゝ、又釈尊の付属にあらざる行をばえらびとゞめ、又諸仏の証誠にあらざる行をばとゞめおさめて、いまたゞ弥陀の本願にまかせ、釈尊の付属により、諸仏の証誠にしたがひて、おろかなるわたくしのはからひをばとゞめて、これらのゆへ、つよき念仏の行を信じつとめて、往生をばいのるべしと申す事にて候也。
◗494:12 されば恵心の僧都の往生要集に、往生の業は、念仏を本とすと申たるは、この心也。いまはたゞ余行をとゞめ給て、一向に念仏にならせ給ふべし。
◗494:14 念仏にとりても、一向専修の念仏がめでたき事にて候也。そのむねは三昧発得の善導和尚の観経疏にみえて候。
◗495: 1 しかのみならず、双巻経には、一向専念无量寿仏ととき給へり。およそ一向のことばゝ、二向・三向に対して、ひとへに余の行をえらびすて、きらひのぞく心也。
◗495: 3 君達なんどの御いのりの料なんどにも、念仏がめでたき事にて候へば、往生要集に、余行のなかにも念仏すぐれたるよしみへて候。
◗495: 5 又伝教大師の七難消滅の法にも、念仏をつとむべしと見えて候。およそ十方諸仏・三界の天衆の擁護し給ふ行にて候へば、現世・後生の御つとめ、何事かこれにすぎ候はん。
◗495: 7 いまはたゞ一向専修の但念仏にならせ給ふべく候。