1014: 7 又故聖人の御坊の御消息。
1014: 8 一念往生の義、京中にも粗流布するところなり。おほよそ言語道断のことなり、まことにほとおど御問におよぶべからざるなり。
1014: 9 詮ずるところ、双巻経の下に乃至一念信心歓喜といひ、また善導和尚は上尽一形下至十声一声等、定得往生、乃至一念無有疑心といえる。これらの文をあしくぞみたるともがら、大邪見に住して申候ところなり。
1014:12 乃至といひ下至といえる、みな上尽一形をかねたることばなり。しかるをちかごろ愚痴・無智のともがらおほく、ひとへに十念・一念なりと執して上尽一形を廃する条、无慚・无愧のことなり。まことに十念・一念までも仏の大悲本願、なほかならず引接したまふ无上の功徳なりと信じて、一期不退に行ずべき也。
1015: 1 文証おほしといゑども、これをいだすにおよばず、いふにたらざる事なり。
1015: 2 こゝにかの邪見の人、この難をかぶりて、こたえていはく、わがいふところも、信を一念にとりて念ずべきなり。しかりとて、また念ずべからずとはいはずといふ。これまたことばは尋常なるににたりといゑども、こゝろは邪見をはなれず。
1015: 5 しかるゆへは、決定の信心をもて一念してのちは、また念ぜすといふとも、十悪・五逆なほさわりをなさず、いはむや、余の少罪おやと信ずべきなりといふ。
1015: 7 このおもひに住せむものは、たとひおほく念ずといはむ。阿弥陀仏の御こゝろにかなはむや、いづれの経論・人師の説ぞや。これひとへに懈怠・無道心、不当・不善のたぐひの、ほしいまゝに悪をつくらむとおもひてまた念ぜずは、その悪かの勝因をさえて、むしろ三途におちざらむや。
1015:11 かの一生造悪のものゝ臨終に十念して往生する、これ懺悔念仏のちからなり、この悪の義には混ずべからず。かれは懺悔の人なり、これは邪見の人なり。なほ不可説不可説の事也。
1015:13 もし精進のものありといふとも、この義をきかばすなわち懈怠になりなむ。まれに戒をたもつ人ありといふとも、この説を信ぜばすなわち無慚なり。おほよそかくのごときの人は、附仏法の外道なり、師子のみの中の虫なり。
1016: 1 またうたがふらくは、天魔波旬のために、精進の気をうばわるゝともがらの、もろもろの往生の人をさまたげむとするなり。あやしむべし、ふかくおそるべきもの也。毎事筆端につくしがたし。謹言。
1016: 4 これは越中国に光明房と申しひじり、成覚房が弟子等、一念の義をたてゝ念仏の数返をとゞめむと申て、消息をもてわざと申候。御返事をとりて、国の人々にみせむとて申候あひだ、かたのごとくの御返事候き。