◗246: 1  安楽集 巻下
  釈道綽撰

◗246: 5 【28】第四大門のなかに三番の料簡あり。

◗246: 5 第一に中国の三蔵法師ならびに此土の大徳等みなともに聖教を詳審し、歎じて浄土に帰するにより、いまもつて勧めてよらしむ。

◗246: 7 第二にこの経の宗および余の大乗諸部によるに、凡聖の修入多く念仏三昧を明かして、もつて要門となす。

◗246: 8 第三に問答解釈して、念仏者の種々の功能利益を得ること不可思議なることを顕す。

◗246:11 【29】第一に中国および此土の大徳の所行によるとは、

◗246:11 余は五翳にして面牆なり。あにいづくんぞみづからたやすくせんや。ただおもんみれば遊歴し披き勘ふるに、敬ふに師承あり。

◗246:13 なんとなれば、いはく、中国の大乗法師流支三蔵あり。

◗246:14 次に大徳の名利を呵避するあり、すなはち恵寵法師あり。

◗246:15 次に大徳の尋常に敷演するごとに聖僧の来聴を感ずるあり、すなはち道場法師あり。

◗247: 1 次に大徳の光を和らげて孤り栖みて、二国慕仰するあり、すなはち曇鸞法師あり。

◗247: 2 次に大徳の禅観に独り秀でたるあり、すなはち大海禅師あり。

◗247: 3 次に大徳の聡慧にして戒を守るあり、すなはち斉朝の上統あり。

◗247: 3 しかるに前の六大徳は、ならびにこれ二諦の神鏡、これすなはち仏法の綱維なり。志行、倫を殊にして古今に実に希なり。

◗247: 5 みなともに大乗を詳審し、歎じて浄土に帰す。すなはちこれ無上の要門なり。

◗247: 7  問ひていはく、すでに歎じて浄土に帰す、すなはちこれ要門なりといはば、いまだ知らず、これらの諸徳臨終の時、みな霊験ありやいなや。

◗247: 8 答へていはく、みなあり、虚しからず。

◗247: 9 曇鸞法師のごときは、康存の日つねに浄土を修す。

◗247: 9 またつねに世俗の君子ありて、来りて法師を呵していはく、十方仏国みな浄土たり、法師なんぞすなはち独り意を西に注むる。あに偏見の生にあらずやと。

◗247:12 法師対へていはく、われすでに凡夫にして、智慧浅短なり。いまだ地位に入らざれば、念力すべからく均しくすべけんや。草を置きて牛を引くに、つねにすべからく心を槽櫪に繋ぐべきがごとし。あにほしいままにして、まつたく帰するところなきことを得んやと。

◗247:15 また難者紛紜たりといへども、法師独り決せり。

◗248: 1 ここをもつて一切道俗を問ふことなく、ただ法師と一面あひ遇ふものは、もしいまだ正信を生ぜざるには、勧めて信を生ぜしめ、もしすでに正信を生ぜるものには、みな勧めて浄国に帰せしむ。

◗248: 3 このゆゑに法師命終の時に臨みて、寺の傍らの左右の道俗、みな幡華の院に映ずるを見、ことごとく異香・音楽迎接して往生を遂げたまへるを聞く。

◗248: 5 余の大徳命終の時に臨みて、みな徴祥あり。もしつぶさに往生の相を談ぜんと欲せば、ならびに不可思議なり。

◗248: 7 【30】第二に此彼の諸経に多く念仏三昧を明かして宗となすことを明かすとは、

◗248: 8 なかにつきて八番あり。初めの二は一相三昧を明かし、後の六は縁につき相によりて念仏三昧を明かす。

◗248:10  第一に華首経によるに、仏、堅意菩薩に告げたまはく、三昧に二種あり。一には一相三昧あり、二には衆相三昧あり。

◗248:11 一相三昧とは、菩薩あり、その世界にその如来ましまして現にましまして法を説きたまふと聞き、菩薩この仏の相を取るに、もつて現じて前にまします。もしは道場に坐し、もしは法輪を転じ、大衆囲繞す。

◗248:14 かくのごとき相を取る。諸根を収摂して心馳散せず、もつぱら一仏を念じてこの縁を捨てず。かくのごとき菩薩は、如来の相および世界の相において無相を了達し、つねにかくのごとく観じ、かくのごとく行じて、この縁を離れず。

◗249: 2 この時に仏像すなはち現じて前にましまして、ために法を説きたまふ。菩薩その時深く恭敬を生じて、この法を聴受し、もしは深、もしは浅、うたた尊重を加ふ。菩薩この三昧に住して、諸法はみな可壊の相なりと説くを聞く。聞きをはりて受持して、

◗249: 5 三昧より起ちてよく四衆のためにこの法を演説すと。

◗249: 6 仏、堅意に告げたまはく、これを菩薩の一相三昧門に入ると名づくと。

◗249: 8  第二に文殊般若によりて一行三昧を明かさば、

◗249: 8 時に文殊師利、仏にまうしてまうさく、世尊いかなるをか名づけて一行三昧となすと。

◗249: 9 仏のたまはく、一行三昧とは、もし善男子・善女人空閑の処にありて、もろもろの乱意を捨て、仏の方所に随ひて端身正向にして、相貌を取らず、心を一仏に繋けてもつぱら名字を称して念ずること休息なくは、すなはちこの念のうちによく過・現・未来の三世の諸仏を見たてまつるべし。なにをもつてのゆゑに。一仏を念ずる功徳無量無辺にして、すなはち無量の諸仏の功徳と無二なればなり。

◗249:15 これを菩薩の一行三昧と名づくと。

◗250: 1  第三に涅槃経によるに、仏のたまはく、もし人ただよく心を至してつねに念仏三昧を修すれば、十方諸仏つねにこの人を見そなはすこと、現に前にましますがごとしと。

◗250: 3 このゆゑに涅槃経にのたまはく、仏、迦葉菩薩に告げたまはく、もし善男子・善女人ありてつねによく心を至しもつぱら念仏するものは、もしは山林にもあれ、もしは聚落にもあれ、もしは昼、もしは夜、もしは坐、もしは臥に、諸仏世尊つねにこの人を見そなはすこと、目の前に現ずるがごとし。つねにこの人と住して施を受けたまふと。

◗250: 8  第四に観経および余の諸部によるに、所修の万行ただよく回願してみな生ぜざるはなし。

◗250: 9 しかるに念仏の一門、もつて要路となす。

◗250: 9 なんとなれば、聖教を審量するに始終の両益あればなり。もし善を生じ行を起さんと欲すれば、すなはちあまねく諸度を該ぬ。もし悪を滅して災を消すれば、すなはち総じて諸障を治す。

◗250:12 ゆゑに下に経にのたまはく、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず、寿尽きてかならず生ずと。これを始益と名づく。

◗250:13 終益といふは、観音授記経によるにのたまはく、阿弥陀仏、世に住したまふこと長久にして兆載永劫なるも、また滅度したまふことあり。般涅槃の時、ただ観音・勢至のみありて、安楽を住持して十方を接引したまふ。その仏の滅度また住世の時節と等同なり。しかるにかの国の衆生は一切、仏を覩見したてまつるものあることなし。

◗251: 3 ただ一向にもつぱら阿弥陀仏を念じて往生するもののみありて、つねに弥陀現にましまして滅したまはざるを見ると。これすなはちこれその終時の益なり。

◗251: 5 修するところの余行、回向してみな生ずるも、世尊の滅度に覩ると覩ざるとあり。

◗251: 6 後代を勧めて審量して遠益に沾さしむ。

◗251: 7  第五に般舟経によるにのたまはく、時に跋陀和菩薩あり、この国土に阿弥陀仏ましますと聞きて、しばしば念を係く。

◗251: 8 この念によるがゆゑに阿弥陀仏を見たてまつる。すでに仏を見たてまつりをはりて、すなはち従ひて啓問すらく、まさにいかなる法を行じてか、かの国に生ずることを得べきと。

◗251:11 その時阿弥陀仏、この菩薩に語りてのたまはく、わが国に来生せんと欲せば、つねにわが名を念じて休息あることなかれ。かくのごとくして、わが国土に来生することを得ん。

◗251:13 まさに仏身の三十二相ことごとくみな具足して、光明徹照し端正無比なるを念ずべしと。

◗251:15  第六に大智度論によるに三番の解釈あり。

◗251:15 第一に仏はこれ無上法王にして、菩薩は法臣たり。尊ぶところ重くするところはただ仏世尊なり。このゆゑにまさにつねに念仏すべし。

◗252: 2 第二にもろもろの菩薩ありてみづからいはく、われ曠劫よりこのかた、世尊の長養を蒙ることを得たり。われらが法身・智身・大慈悲身、禅定・智慧、無量の行願、仏によりて成ずることを得たり。報恩のためのゆゑに、つねに仏に近づかんと願ず。また大臣、王の恩寵を蒙りて、つねにその主を念ふがごとしと。

◗252: 6 第三にもろもろの菩薩ありてまたこの言をなさく、われ因地において、悪知識に遇ひて般若を誹謗して悪道に堕して、無量劫を経たり。余行を修すといへども、いまだ出づることを得ることあたはず。

◗252: 9 後に一時に善知識の辺によるに、われを教へて念仏三昧を行ぜしむ。その時にすなはちよく諸障を併せ遣り、まさに解脱を得たり。この大益あるがゆゑに、願じて仏を離れずと。

◗252:12  第七に華厳経によるにのたまはく、
むしろ無量劫において、つぶさに一切の苦を受くとも、
つひに、如来に遠ざかりて自在力を覩たてまつらざることなからんと。

◗252:15 またのたまはく、
念仏三昧はかならず仏を見たてまつり、命終の後に仏前に生ず。
かの臨終を見ては念仏を勧め、また尊像を示して瞻敬せしめよと。

◗253: 3 また善財童子、善知識を求めて功徳雲比丘の所に詣りてまうさく、大師いかんが菩薩の道を修して普賢の行に帰するやと。

◗253: 4 この時比丘、善財に告げていはく、われ世尊の智慧海のなかにおいてただ一法を知る。いはく念仏三昧門なり。なんとなれば、この三昧門のなかにおいて、ことごとくよく一切の諸仏およびその眷属、厳浄の仏刹を覩見して、よく衆生をして顛倒を遠離せしむ。

◗253: 8 念仏三昧門は、微細の境界のなかにおいて一切の仏の自在の境界を見、諸劫の不顛倒を得。念仏三昧門はよく一切の仏刹を起すに、よく壊するものなし。あまねく諸仏を見たてまつりて、三世の不顛倒を得と。

◗253:10 時に功徳雲比丘、善財に告げていはく、仏法の深海は広大無辺なり。わが知るところは、ただこの一の念仏三昧門を得たるのみ。余の妙境界は数量に出過して、われいまだ知らざるところなりと。

◗253:14  第八に海竜王経によるに、時に海竜王、仏にまうしてまうさく、世尊、弟子、阿弥陀仏国に生ぜんと求む。まさにいかなる行を修してか、かの土に生ずることを得べきと。

◗254: 1 仏、竜王に告げたまはく、もしかの国に生ぜんと欲せば、まさに八法を行ずべし。なんらをか八となす。一にはつねに諸仏を念ず。二には如来を供養す。三には世尊を咨嗟す。四には仏の形像を作りてもろもろの功徳を修す。五には回して往生を願ず。六には心怯弱ならず。七には一心に精進す。八には仏の正慧を求むと。

◗254: 5 仏、竜王に告げたまはく、一切衆生この八法を具すれば、つねに仏を離れずと。

◗254: 7  問ひていはく、八法を具せずとも、仏前に生じ仏を離れざることを得やいなや。

◗254: 8 答へていはく、生ずることを得ること疑はず。なにをもつてか知ることを得る。仏、宝雲経を説きたまひし時のごとし。また十行具足して浄土に生ずることを得て、つねに仏を離れざることを明かしたまへり。

◗254:10 時に除蓋障菩薩ありて仏にまうさく、十行を具せずして生ずることを得やいなやと。仏のたまはく、生ずることを得。ただよく十行のなかに一行具足して闕くることなければ、余の九行もことごとく清浄と名づく。疑を致すことなかれと。

◗254:14 また大樹緊陀羅王経にのたまはく、菩薩は四種の法を行じてつねに仏前を離れず。なんらをか四となす。一にはみづから善法を修し兼ねて衆生を勧めて、みな往生して如来を見たてまつる意をなさしむ。二にはみづから勧め他を勧めて正法を聞くことを楽はしむ。三にはみづから勧め他を勧めて菩提心を発さしむ。四には一向に志をもつぱらにして念仏三昧を行ず。

◗255: 4 この四の行を具すれば、一切の生処つねに仏前にありて諸仏を離れずと。

◗255: 4 また経にのたまはく、仏、菩薩の行法を説きたまふに、三十二の器あり。なんとなれば、布施はこれ大富の器、忍辱はこれ端正の器、持戒はこれ聖身の器、五逆不孝はこれ刀山・剣樹・鑊湯の器、発菩提心はこれ成仏の器、つねによく念仏して浄土に往生するはこれ見仏の器なりと。

◗255: 8 略して六門を挙げて余は述べず。聖教すでにしかり。行者生ぜんと願ぜば、なんぞつねに念仏せざらんや。

◗255:10 また月灯三昧経によるにのたまはく、
仏の相好および徳行を念じ、よく諸根をして乱動せざらしめ、
心に迷惑なく法と合して、聞くことを得れば、智を得ること大海のごとし。
智者この三昧に住して、念を摂して行ずれば、経行のところにおいて、
よく千億のもろもろの如来を見たてまつり、また無量恒沙の仏に値ひたてまつると。

◗256: 1 【31】第三に問答解釈して、念仏三昧に種々の利益あることを顕すに、その五番あり。

◗256: 3  第一に問ひていはく、いまつねに念仏三昧を修すといはば、なほ余の三昧を行ぜざるや。

◗256: 4 答へていはく、いま常念といへども、また余の三昧を行ぜずとはいはず。ただ念仏三昧を行ずること多きがゆゑなり。ゆゑに常念といふ。まつたく余の三昧を行ぜずといふにはあらず。

◗256: 7  第二に問ひていはく、もしつねに念仏三昧を修することを勧めば、余の三昧とよく階降ありやいなや。

◗256: 8 答へていはく、念仏三昧の勝相は不可思議なり。これいかんが知る。

◗256: 9 摩訶衍のなかに説きていふがごとし。もろもろの余の三昧、三昧ならざるにはあらず。

◗256:10 なにをもつてのゆゑに。あるいは三昧あり、ただよく貪を除きて瞋痴を除くことあたはず。あるいは三昧あり、ただよく瞋を除きて痴貪を除くことあたはず。あるいは三昧あり、ただよく痴を除きて貪瞋を除くことあたはず。あるいは三昧あり、ただよく現在の障を除きて過去・未来の一切諸障を除くことあたはず。

◗256:14 もしよくつねに念仏三昧を修すれば、現在・過去・未来を問ふことなく一切諸障ことごとくみな除こると。

◗257: 1  第三に問ひていはく、念仏三昧すでによく障を除き福を得ること功利大ならば、いぶかし、またよく行者を資益して年を延べ寿を益せしむやいなや。

◗257: 2 答へていはく、かならず得るなり。

◗257: 3 なんとなれば、惟無三昧経にのたまふがごとし。兄弟二人あり。兄は因果を信ず。弟は信心なし、しかもよく相法を解れり。ちなみにその鏡のなかにみづから面上を見るに、死相すでに現じて七日を過ぐさじ。時に智者ありて往きて仏に問はしむ。

◗257: 6 仏時に報へてのたまはく、七日といふは虚ならず。もしよく一心に念仏し戒を修せば、あるいは難を度することを得んと。すなはち教によりて繋念す。時に六日に至りてすなはち二鬼あり、来りて耳にその念仏の声を聞きてつひによく前進むことなし。還りて閻羅王に告ぐ。閻羅王符を索む。符すでに注していはく、持戒・念仏の功徳によりて第三炎天に生ずと。

◗257:11 また譬喩経のなかに、一の長者あり、罪福を信ぜず、年すでに五十、たちまちに夜夢に見らく、殺鬼符を索め来りて、これを取らんと欲して十日を過ぐさじと。

◗257:13 その人眠り覚めて惶怖することつねにあらず。明に至りて相師を求覓めて夢を占はしむ。師卦兆を作りていはく、殺鬼あり、かならずあひ害せんと欲す、十日を過ぐさじと。その人惶怖することつねに倍す。仏に詣りて求請す。

◗258: 1 仏時に報へてのたまはく、もしこれを攘はんと欲せば、いまより以去意をもつぱらにして念仏し、戒を持ち、香を焼き、灯を燃し、繒幡蓋を懸け、三宝を信向せば、この死を勉るべしと。

◗258: 3 すなはちこの法によりて専心に信向す。殺鬼、門に到りて功徳を修するを見、つひに害することあたはず。鬼すなはち走げ去れり。その人この功徳によりて寿百年を満てて、死して天に生ずることを得たり。

◗258: 6 また一の長者あり、名づけて執持といふ。戒を退して仏に還し、現に悪鬼のこれを打つを被ると。

◗258: 8  第四に問ひていはく、この念仏三昧はただよく諸障を対治し、ただ世報のみを招くや、またよく遠く出世の無上菩提を感ずやいなや。

◗258: 9 答へていはく、得るなり。なんとなれば、華厳経の十地品にのたまふがごとし。始め初地よりすなはち十地に至るまで一々の地のなかにおいて、みな入地の加行道と地満の功徳利と已不住道とを説きをはりて、すなはちみな結してのたまはく、このもろもろの菩薩余行を修すといへども、みな念仏・念法・念僧を離れず。上妙の楽具をもつて三宝を供養すと。

◗258:14 この文証をもつて知ることを得。もろもろの菩薩等、すなはち上地に至るまで、つねに念仏・念法・念僧を学して、まさによく無量の行願を成就して功徳海を満つ。いかにいはんや二乗・凡夫、浄土に生ぜんと求めて念仏を学せざらんや。なにをもつてのゆゑに。この念仏三昧はすなはち一切の四摂・六度を具する通の行、通の伴なるがゆゑなり。

◗259: 4  第五に問ひていはく、初地以上の菩薩は、仏と同じく真如の理を証するをもつて仏家に生ずと名づく。みづからよく仏と作りて衆生を済運す。なんぞさらに念仏三昧を学して仏を見たてまつらんと願ずるを須ゐんや。

◗259: 6 答へていはく、その真如を論ずるに、広大無辺にして虚空と等し。その量知りがたし。たとへば一の大きなる闇室に、もし一灯・二灯を燃せば、その明あまねしといへども、なほ闇となすがごとし。やうやく多灯に至れば、大明と名づくといへども、あに日光に及ばんや。菩薩の所証の智は、地々あひ望むるにおのづから階降ありといへども、あに仏の日の明らかなるがごとくなるに比ぶることを得んや。

◗259:12 【32】第五大門のなかに四番の料簡あり。

◗259:12 第一にあまねく修道の延促を明かして、すみやかに不退を獲しめんと欲す。

◗259:13 第二に此彼の禅観比校して往を勧む。

◗259:14 第三に此彼の浄穢二境、また漏・無漏と名づけて比校す。

◗259:14 第四に聖教を引きて証成し、後代を勧めて信を生じ往くことを求めしむ。

◗260: 1 【33】第一にあまねく修道の延促を明かすとは、なかにつきて二あり。一には修道の延促を明かし、二には問答解釈す。

◗260: 2 一に延促を明かすとは、ただ一切衆生苦を厭ひて楽を求め、縛を畏れて解を求めざるはなし。みな早く無上菩提を証せんと欲せば、先づすべからく菩提心を発すを首となすべし。この心識りがたく、起しがたし。たとひこの心を発得すとも、経によるに、つひに、すべからく十種の行、いはゆる信・進・念・戒・定・慧・捨・護法・発願・回向を修して、菩提に進詣すべし。

◗260: 7 しかるに修道の身相続して絶えずして、一万劫を経てはじめて不退の位を証す。当今の凡夫は現に信想軽毛と名づけ、または仮名といひ、または不定聚と名づけ、または外の凡夫と名づく。いまだ火宅を出でず。

◗260:10 なにをもつてか知ることを得る。菩薩瓔珞経によりてつぶさに入道行位を弁ずるに、法爾なるがゆゑに難行道と名づく。

◗260:11 またただおもんみれば一劫のうちの受身生死すらなほ数へ知るべからず、いはんや一万劫のうちにいたづらに痛焼を受くるをや。もしよくあきらかに仏経を信じて浄土に生ぜんと願ずれば、寿の長短に随ひて、一形にすなはち至りて位不退に階ふ。この修道一万劫と功を斉しくす。もろもろの仏子等、なんぞ思量せずして難を捨てて易を求めざらんや。

◗261: 1 倶舎論のなかにまた難行・易行の二種の道を明かすがごとし。

◗261: 2 難行とは、論に説きていふがごとし。三大阿僧祇劫において、一々の劫のうちに、みな福智の資糧六波羅蜜一切の諸行を具す。一々の行業にみな百万の難行の道ありて、はじめて一位に充つと。これ難行道なり。

◗261: 4 易行道とは、すなはちかの論にいはく、もし別に方便あるによりて解脱することあるを易行道と名づくと。

◗261: 6 いますでに勧めて極楽に帰せしむ。一切の行業ことごとくかしこに回向して、ただよく専至なれば、寿尽きてかならず生ず。かの国に生ずることを得れば、すなはち究竟して清涼なり。あに易行の道と名づけざるべけんや。すべからくこの意を知るべし。

◗261:10  二に問ひていはく、すでに浄土に往生せんと願ずれば、この寿尽くるに随ひてすなはち往生を得といふは、聖教の証ありやいなや。

◗261:11 答へていはく、七番あり。みな経論を引きて証成せん。

◗261:12 一には大経によるにのたまはく、仏、阿難に告げたまはく、それ衆生ありて、今世において無量寿仏を見たてまつらんと欲せば、無上菩提の心を発し功徳を修行してかの国に生ぜんと願ずべし。すなはち往生を得るがゆゑなりと。

◗261:13 大経の讃にいはく、
もし阿弥陀の徳号を聞きて、歓喜し讃仰し、心帰依すれば、
下一念に至るまで大利を得。すなはち功徳の宝を具足すとなす。
たとひ大千世界に満てらん火をも、またただちに過ぎて仏の名を聞くべし。
阿弥陀を聞けば、また退かず。このゆゑに心を至して稽首し礼したてまつると。

◗262: 7 二には観経によるに、九品のうちにみなのたまはく、臨終正念にしてすなはち往生を得と。

◗262: 8 三には起信論によるにいはく、もろもろの衆生を教へて真如平等一実を観ぜよと勧む。また始発意の菩薩あり、その心軟弱にして、みづからつねに諸仏に値ひたてまつりて親承供養することあたはずと謂ひ、意退せんと欲するものには、まさに知るべし、如来に勝方便ましまして信心を摂護したまふ。

◗262:12 いはく、意をもつぱらにして仏を念ずる因縁をもつて、願に随ひて往生す。つねに仏を見たてまつるをもつてのゆゑに、永く悪道を離ると。

◗262:14 四には鼓音陀羅尼経によるにのたまはく、その時世尊、もろもろの比丘に告げたまはく、われまさになんぢがために演説すべし。西方安楽世界にいま現に仏まします。阿弥陀と号けたてまつる。

◗263: 1 もし四衆ありて、よくまさしくかの仏の名号を受持し、その心を堅固にして憶念して忘れざること十日十夜、散乱を除捨して精勤して念仏三昧を修習し、もしよく念々に絶えざらしむれば、十日のうちにかならずかの阿弥陀仏を見たてまつることを得て、みな往生を得と。

◗263: 5 五には法鼓経によるにのたまはく、もし人臨終の時に念をなすことあたはざれども、ただかの方に仏ましますと知りて往生の意をなせば、また往生を得と。

◗263: 7 六には十方随願往生経にのたまふがごとし。もし終りに臨み死に及びて地獄に堕することあらんに、家のうちの眷属その亡者のために念仏しおよび転誦し斎福すれば、亡者すなはち地獄より出でて浄土に往生す。いはんやその現在にみづからよく修念せば、なにをもつてか往生することを得ざるものあらんやと。

◗263:11 このゆゑにかの経にのたまはく、現在の眷属、亡者のために追福すれば、遠人に餉するにさだめて食を得るがごとしと。

◗263:13 第七には広く諸経を引きて証成す。大法鼓経に説きたまふがごとし。もし善男子・善女人つねによく意を繋けて諸仏の名号を称念すれば、十方の諸仏、一切の賢聖つねにこの人を見ること目の前に現ずるがごとし。このゆゑにこの経を大法鼓と名づく。まさに知るべし、この人は十方浄土に願に随ひて往生すと。

◗264: 2 また大悲経にのたまはく、なにをか名づけて大悲となす。もしもつぱら念仏相続して断えざるものは、その命終に随ひてさだめて安楽に生ず。もしよく展転してあひ勧めて念仏を行ずるものは、まさに知るべし、これらをことごとく大悲を行ずる人と名づくと。

◗264: 6 このゆゑに涅槃経にのたまはく、仏、大王に告げたまはく、たとひ大庫蔵を開きて一月のうちに一切衆生に布施すとも、所得の功徳、人ありて仏を称する一口の功徳にしかず。前に過ぎたること校量すべからずと。

◗264: 9 また増一阿含経にのたまはく、仏、阿難に告げたまはく、それ衆生ありて、一閻浮提の人に衣服・飲食・臥具・湯薬を供養せんに、所得の功徳、むしろ多しとなすやいなやと。阿難、仏にまうしてまうさく、世尊、はなはだ多しはなはだ多し、数へ量るべからずと。

◗264:12 仏、阿難に告げたまはく、もし衆生ありて善心相続して仏の名号を称すること、一たび牛乳を搆るあひだのごとくせんに、所得の功徳上に過ぎたること量るべからず。よく量るものあることなしと。

◗264:15 大品経にのたまはく、もし人散心念仏すれば、すなはち苦を畢るに至るまでその福尽きず。もし人散華念仏すれば、すなはち苦を畢るに至るまでその福尽きずと。

◗265: 2 ゆゑに知りぬ、念仏の利、大なること不可思議なり。十往生経、諸大乗経等、ならびに文証あり、つぶさに引くべからず。

◗265: 5 【34】第二に次に此彼の禅観比校して往生を勧むることを明かすとは、

◗265: 5 ただこの方は穢境にして、乱想ありて入りがたし。

◗265: 6 たとひ修得するも、ただ事定を獲て多く味染を喜ぶ。

◗265: 7 またただよく業報の生を伏し、上界の寿尽きぬれば多く退す。

◗265: 8 このゆゑに智度論にいはく、
多聞と持戒と禅とは、いまだ無漏法を得ざれば、
この功徳ありといへども、この事いまだ信むべからずと。

◗265:11 もし西に向かひて修習せんと欲せば、事境光浄にして、定観成じやすし。罪を除くこと多劫にして、永く定まりすみやかに進みて究竟して清涼なり。大経に広く説きたまふがごとし。

◗265:14  問ひていはく、もし西方の境界勝にして禅定をなして感ずべくは、この界の色天は弱くして禅定をなして招くべからざるや。

◗265:15 答へていはく、もし修定の因を論ぜば、彼此に該通す。

◗266: 1 しかるにかの界は位これ不退にして、ならびに他力の持つあり。このゆゑに説きて勝となす。

◗266: 2 この所はまた定を修するに剋すといへども、ただ自分の因のみありて、闕けて他力の摂することなし。業尽くれば、退することを勉れず。これにつきてしかずと説く。

◗266: 5 【35】第三に此彼の浄穢二境をまた漏・無漏と名づくるによるとは、

◗266: 5 もしこの処の境界を論ずれば、ただ三塗・丘坑・山澗・沙鹵・蕀刺・水旱・暴風・悪触・雷電・礰・虎狼・毒獣・悪賊・悪子・荒乱・破散・三災・敗壊あり。

◗266: 7 正報を語り論ずれば、三毒・八倒・憂悲・嫉妬・多病・短命・飢渇・寒熱あり。つねに伺命害鬼の追逐するところとなる。深く穢悪すべし。つぶさに説くべからず。ゆゑに有漏と名づく。深く厭ふべし。

◗266:10 かの国に往生するは勝なりとは、大経によるにのたまはく、十方の人天ただかの国に生ずれば、みな種々の利益を獲ざるはなしと。

◗266:12 なんとなれば、一たびかの国に生ずれば、行けばすなはち金蓮足を捧げ、坐すればすなはち宝座躯を承け、出づればすなはち帝釈前にあり、入ればすなはち梵王後に従ふ。一切の聖衆はわれと親朋なり。阿弥陀仏はわが大師たり。宝樹・宝林の下には意に任せて翺翔し、八徳の池のなかには神を遊ばせ足を濯ぐ。形はすなはち身金色に同じく、寿はすなはち命仏と斉し。

◗267: 2 学すればすなはち衆門並び進み、止まればすなはち二諦虚融す。十方に済運すればすなはち大神通に乗じ、晏安すれば暫時にすなはち三空門に坐す。遊べばすなはち八正の路に入り、至ればすなはち大涅槃に到る。

◗267: 4 一切衆生ただかの国に至れば、みなこの益を証す。なんぞ思量せずしてすみやかに去かざらんや。

◗267: 7 【36】第四に聖教を引きて証成し、後代を勧めて信を生じ往くことを求願せしむとは、

◗267: 8 観仏三昧経によるにのたまはく、その時会中に十方諸仏ましまして、おのおの華台のなかにおいて結跏趺坐して空中に現じたまふ。東方の善徳如来を首となして、大衆に告げてのたまはく、なんぢらまさに知るべし、われ過去無量世の時を念ふに、仏ましましき、宝威徳上王と名づけたてまつる。かの仏出でたまふ時、また今日のごとく三乗の法を説きたまふ。

◗267:12 かの仏の滅後末世のなかに一の比丘ありて、弟子九人を将て仏塔に往詣して仏像を礼拝するに、一の宝像の厳顕にして観ずべきを見る。観じをはりて敬礼して、目にあきらかにこれを観ず。おのおの一偈を説きて、もつて讃歎をなす。寿の修短に随ひて各自に命終す。すでに命終しをはりてすなはち仏前に生ず。

◗268: 1 これより以後つねに無量の諸仏に値遇することを得て、諸仏の所において広く梵行を修して念仏三昧海を得。すでにこれを得をはりて諸仏現前にすなはち授記を与へたまふ。十方の面において意に随ひて仏と作る。

◗268: 4 東方の善徳仏とはすなはちわが身これなり。自余の九方の諸仏はすなはちこれ本昔の弟子九人これなり。十仏世尊は塔を礼し、一偈をもつて讃ずるによるがゆゑに仏となることを得たり。あに異人ならんや、われら十方の仏これなりと。

◗268: 7 この時十方の諸仏空より下りて千の光明を放ち、色身白毫相の光を顕現して、おのおのみな釈迦仏の床に坐す。阿難に告げてのたまはく、なんぢ知るや、釈迦文仏は無数の精進、百千の苦行をもつて仏の智慧を求めてこの身を報得したまへり。いまなんぢがために説きたまふ。なんぢ仏語を持ちて、未来世の天・竜・大衆・四部の弟子のために、観仏相好および念仏三昧を説くべしと。

◗268:12 この語を説きをはりて、しかる後に釈迦文仏に問訊す。問訊しをはりておのおの本国に還りたまへりと。

◗268:15 【37】第六大門のなかに三番の料簡あり。第一に十方浄土ともに来して比校す。第二に義推す。第三に経の住滅を弁ず。

◗269: 2 【38】第一に十方浄土ともに来して比校すとは、その三番あり。

◗269: 2 一には随願往生経にのたまふがごとし。十方仏国みなことごとく厳浄なり。願に随ひてならびに往生を得。しかりといへども、ことごとく西方の無量寿国にはしかず。なんの意をもつてか、かくのごとくなる。ただ阿弥陀仏、観音・大勢至と先に発心したまひし時、この界より去りたまへり。この衆生においてひとへにこれ縁あり。このゆゑに釈迦処々に歎帰したまふと。

◗269: 7 二には大経によるに、法蔵菩薩因中に世饒王仏の所において、つぶさに弘願を発してもろもろの浄土を取りたまふ。時に仏、ために二百一十億の諸仏刹土の天・人の善悪、国土の精粗を説きて、ことごとく現じてこれを与へたまふ。時に法蔵菩薩願じて西方を取りて成仏したまひ、いま現にかしこにましますと。これ二の証なり。

◗269:12 三にはこの観経のなかによるに、韋提夫人また浄土を請ふ。如来光台にために十方一切の浄土を現じたまふ。韋提夫人、仏にまうしてまうさく、この諸仏の土また清浄にしてみな光明ありといへども、われいま極楽世界の阿弥陀仏の所に生ぜんと楽ふと。これその三の証なり。

◗270: 1 ゆゑに知りぬ、もろもろの浄土のなかに安楽世界は最勝なり。

◗270: 2 【39】第二に義推すとは、

◗270: 2 問ひていはく、なんがゆゑぞかならず面を西に向かへて坐して礼・念・観するを須ゐる。

◗270: 3 答へていはく、閻浮提には、日の出づる処を生と名づけ、没する処を死と名づくといふをもつて、死地によるに神明の趣入その相助便なり。このゆゑに法蔵菩薩願じて成仏し、西にありて衆生を悲接したまふ。坐して観・礼・念等によるに、面を仏に向かふるはこれ世の礼儀に随ふ。

◗270: 7 もしこれ聖人ならば、飛報自在なることを得て方所を弁ぜず。ただ凡夫の人は身心あひ随ふ。もし余方に向かはば、西に往くことかならず難からん。

◗270: 9 このゆゑに智度論にいはく、一の比丘あり、康存の日阿弥陀経を誦し、および般若波羅蜜を念じ、命終に臨みて弟子に告げていはく、阿弥陀仏、もろもろの聖衆といまわが前にましますと。合掌帰依して須臾に捨命す。

◗270:12 ここにおいて弟子火葬の法によりて火をもつて屍を焚くに、一切焼き尽くれども、ただ舌根の一種ありて本と異せず。つひにすなはち収め取りて塔を起てて供養すと。

◗270:14 龍樹菩薩釈していはく、阿弥陀経を誦するがゆゑに、ここをもつて終りに垂んとするに、仏みづから来迎し、般若波羅蜜を念ずるがゆゑに、ゆゑに舌根尽きずと。この文をもつて証す。ゆゑに知りぬ、一切の行業ただよく回向するに往かざるはなし。

◗271: 2 ゆゑに須弥四域経にのたまはく、天地はじめて開くる時、いまだ日・月・星辰あらず。たとひ天人来下することあれども、ただ項の光をもつて照用す。その時人民多く苦悩を生ず。

◗271: 5 ここにおいて阿弥陀仏、二菩薩を遣はす。一は宝応声と名づけ、二は宝吉祥と名づく。すなはち伏羲・女媧これなり。この二菩薩ともにあひ籌議して第七の梵天の上に向かひて、その七宝を取りてこの界に来至して、日・月・星辰二十八宿を造り、もつて天下を照らしてその四時春秋冬夏を定む。

◗271: 8 時に二菩薩ともにあひいひていはく、日・月・星辰二十八宿の西に行く所以は、一切の諸天・人民ことごとくともに阿弥陀仏を稽首したてまつれとなり。ここをもつて日・月・星辰みなことごとく心を傾けてかしこに向かふ。ゆゑに西に流ると。

◗271:13 【40】第三に経の住滅を弁ずとは、いはく、釈迦牟尼仏一代、正法五百年、像法一千年、末法一万年には、衆生減じ尽き、諸経ことごとく滅す。如来痛焼の衆生を悲哀して、ことにこの経を留めて止住すること百年ならんと。

◗272: 1 この文をもつて証す。ゆゑに知りぬ、かの国はこれ浄土なりといへども、しかも体上下に通ず。相無相を知るはまさに上位に生ずべし。凡夫は火宅にして一向に相に乗じて往生するなり。

◗272: 4 【41】第七大門のなかに両番の料簡あり。第一門のなかに此彼の取相に縛・脱を料簡す。第二に次に此彼の修道に功を用ゐるに軽重ありて、報を獲るに真偽あることを明かし、ことさらに勧めてかしこに向かはしむ。

◗272: 7 【42】 第一に此彼の取相に縛・脱を料簡すとは、

◗272: 7 もし西方の浄相を取らば、疾く解脱を得、もつぱら極楽を受けて、智眼開けて朗らかなり。もしこの方の穢相を取らば、ただ妄楽・痴盲・厄縛・憂怖のみあり。

◗272:10  問ひていはく、大乗の諸経によるに、みな無相はすなはちこれ出離の要道なり、相に執し拘礙するは塵累を勉れずといへり。いま衆生を勧めて穢を捨て浄を欣はしむ、この義いかん。

◗272:12 答へていはく、この義類せず。なんとなれば、おほよそ相に二種あり。一には五塵の欲境において妄愛貪染して境に随ひて執着す。これらのこの相、これを名づけて縛となす。二には仏の功徳を愛して浄土に生ぜんと願ず。これ相なりといふといへども、名づけて解脱となす。

◗272:15 なにをもつてか知ることを得る。十地経にのたまふがごとし。初地の菩薩、なほみづから二諦を別観して心を厲まして作意す。先には相によりて求め、終りにはすなはち無相なり。もつてやうやく増進して大菩提を体す。七地の終心を尽して相心はじめて息む。その八地に入りて相求を絶す。まさに無功用と名づくと。

◗273: 5 このゆゑに論にいはく、七地以還は悪貪を障となし、善貪を治となす。八地以上は善貪を障となし、無貪を治となすと。いはんやいま浄土に生ぜんと願ずるは、現にこれ外凡なり。所修の善根みな仏の功徳を愛するより生ず。あにこれ縛ならんや。

◗273: 8 ゆゑに涅槃経にのたまはく、一切衆生に二種の愛あり。一には善愛、二には不善愛なり。不善愛はただ愚のみこれを求め、善法愛は諸菩薩これを求むと。

◗273:10 ゆゑに浄土論にいはく、観仏国土清浄味・摂受衆生大乗味・類事起行願取仏土味・畢竟住持不虚作味、かくのごとき等の無量の仏道の味ありと。

◗273:13 ゆゑにこれ相を取るといへども、執縛に当るにあらず。またかの浄土にいふところの相とは、すなはちこれ無漏の相、実相の相なり。

◗273:15 【43】第二段のなかに此彼の修道に功を用ゐるに軽重ありて、報を獲るに真偽あることを明かすとは、

◗274: 1 もし発心して西に帰せんと欲するものは、ひとへに少時の礼・観・念等をもつて、寿の長短に随ひて、命終の時に臨めば光台迎接して、迅くかの方に至りて位不退に階ふ。

◗274: 3 このゆゑに大経にのたまはく、十方の人天、わが国に来生して、もしつひに滅度に至らずしてさらに退転あらば、正覚を取らじと。この方は多時につぶさに施・戒・忍・進・定・慧を修して、いまだ一万劫を満たざるよりこのかたは、つねにいまだ火宅を免れず、顛倒墜堕す。ゆゑに功を用ゐることは至りて重く、報を獲ることは偽なりと名づく。

◗274: 8 大経にまたのたまはく、わが国に生ずるものは横に五悪趣を截ると。

◗274: 9 いまこれは弥陀の浄刹に約対して、娑婆の五道を斉しく悪趣と名づく。地獄・餓鬼・畜生は純悪の所帰なれば、名づけて悪趣となす。娑婆の人天は雑業の所向なれば、また悪趣と名づく。

◗274:11 もしこの方の修治断除によらば、先づ見惑を断じて三塗の因を離れ、三塗の果を滅す。後に修惑を断じて人天の因を離れ、人天の果を絶つ。これみな漸次に断除すれば、横截と名づけず。

◗274:14 もし弥陀の浄国に往生することを得れば、娑婆の五道一時にたちまちに捨つ。

◗274:15 ゆゑに横截五悪趣と名づくるはその果を截るなり。悪趣自然閉とはその因を閉づるなり。これ所離を明かす。昇道無窮極とはその所得を彰すなり。

◗275: 2 もしよく作意し回願して西に向かへば、上一形を尽し下十念に至るまで、みな往かざるはなし。一たびかの国に到ればすなはち正定聚に入りて、ここにして道を修する一万劫と功を斉しくす。

◗275: 6 【44】第八大門のなかに三番の料簡あり。第一に略して諸経を挙げて来し証して、勧めてここを捨ててかしこを欣はしむ。第二に弥陀・釈迦二仏比校す。第三に往生の意を釈す。

◗275: 9 【45】第一に略してもろもろの大乗経を挙げて来し証して、みな勧めてここを捨ててかしこを悕はしむとは、

◗275:10 一にはいはく耆闍崛山の説、大経二巻。

◗275:11 二には観経一部、王宮・耆闍両会の正説なり。

◗275:11 三には少巻無量寿経、舎衛の一説。

◗275:12 四にはまた十方随願往生経の明証あり。

◗275:12 五にはまた無量清浄覚経二巻一会の正説あり。

◗275:13 六にはさらに十往生経一巻あり。

◗275:14 諸余の大乗経論に指讃する処多し。請観音・大品経等のごとし。また龍樹・天親等の論のごとし。歎勧一にあらず。余方の浄土はみなかくのごとく丁寧ならず。

◗276: 2 【46】第二に弥陀・釈迦二仏比校すとは、

◗276: 2 いはく、この仏釈迦如来、八十年世に住まりてしばらく現じてすなはち去りたまひ、去りて返りたまはず。忉利の諸天に比するに、一日にも至らず。

◗276: 4 また釈迦の在時救縁また弱し。

◗276: 4 毘舎離国にして人の現患を救ひたまへる等のごとし。なんとなれば、時に毘舎離国の人民五種の悪病に遭へり。一には眼赤きこと血のごとし。二には両の耳より膿を出す。三には鼻のなかより血を流す。四には舌噤みて声なし。五には食らふところの物化して粗渋となる。六識閉塞せることなほ酔人のごとし。

◗276: 8 五夜叉あり、あるいは訖拏迦羅と名づく。面の黒きこと墨のごとくして五眼あり、狗牙上に出でて人の精気を吸ふ。良医の耆婆その道術を尽すも、救ふことあたはざるところなり。

◗276:11 時に月蓋長者あり。首となりて病人を部領し、みな来りて仏に帰して頭を叩きて哀れみを求む。その時世尊無量の悲愍を起して、病人に告げてのたまはく、西方に阿弥陀仏・観世音・大勢至菩薩まします。なんぢら一心に合掌して見たてまつらんと求めよと。

◗276:14 ここにおいて大衆みな仏の勧めに従ひて、合掌して哀れみを求む。その時かの仏、大光明を放ちて、観音・大勢と一時にともに到りて大神呪を説きたまふに、一切の病苦みなことごとく消除して、平復すること故のごとし。

◗277: 2 しかるに二仏の神力また斉等なるべし。ただ釈迦如来おのが能を申べたまはずして、ことさらにかの長を顕して、一切衆生をして斉しく帰せざるはなからしめんと欲す。このゆゑに釈迦処々に歎じて帰せしめたまへり。すべからくこの意を知るべし。

◗277: 6 このゆゑに曇鸞法師意を正して西に帰す。ゆゑに大経に傍へて奉讃していはく、
安楽の声聞・菩薩衆、人天、智慧ことごとく洞達せり。
身相の荘厳殊異なし。ただ他方に順ずるがゆゑに名を別つ。
顔容端正にして比ぶべきなし。精微妙躯にして人天にあらず。
虚無の身無極の体なり。このゆゑに平等力を頂礼したてまつると。

◗277:12 【47】第三に往生の意を釈すとは、なかにつきて二あり。一には往生の意を釈し、二には問答解釈す。

◗277:14  第一に問ひていはく、いま浄土に生ぜんと願ず、いまだ知らず、なんの意をかなすや。

◗277:15 答へていはく、ただ疾く自利利他を成じ、利物深広ならんと欲す。十信・三賢より正法を摂受して、不二に契会し、仏性を見証し、あきらかに実相を暁る。観照の暉心、有無の二諦、因果の先後、十地の優劣、三忍、三道、金剛無礙、大涅槃を証す。大乗寛く運びて無限の時に住せんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり。

◗278: 5  問に三番あり。

◗278: 5 問ひていはく、浄土に生ぜんと願ずるは、利物を欲するに擬すとは、もししからば、所抜の衆生はいま現にここにあり、すでによくこの心を発得すれば、ただここにありて苦の衆生を抜くべし。なにによりてかこの心を得をはりて、先づ浄土に生ぜんと願ずる。衆生を捨ててみづから菩提の楽を求むるに似如たり。

◗278: 9 答へていはく、この義類せず。なんとなれば、智度論にいふがごとし。たとへば二人ともに父母・眷属の深淵に没在するを見るに、一人はただちに往きて力を尽してこれを救ふ。力の及ばざるところなればあひともに没す。一人ははるかに走りて一の舟船に趣き、乗り来りて済接するに、ならびに難を出づることを得るがごとし。

◗278:13 菩薩もまたしかなり。もしいまだ発心せざる時は、生死に流転すること衆生と無別なり。ただすでに菩提心を発す時は、先づ願じて浄土に往生し、大悲の船を取りて無礙の弁才に乗じて生死の海に入り、衆生を済運すと。

◗279: 1 二に大論にまたいはく、菩薩浄土に生じて大神通を具し、弁才無礙にして衆生を教化する時も、なほ衆生をして善を生じ悪を滅し、道を増し位を進めて、菩薩の意に称はしむることあたはず。もしすなはち穢土にありて抜済するものは、闕けてこの益なし。鶏を逼めて水に入るるがごとし。あによく湿はざらんやと。

◗279: 5 三に大経の讃にいはく、
安楽仏国のもろもろの菩薩、それ宣説すべきことは智慧に随ふ。
おのが万物において我所を亡ず。浄きこと蓮華の塵を受けざるがごとし。

◗279: 9 往来進止汎べる舟のごとし。利安を務めとなして適莫を捨つ。
かれもおのれも空のごとくして二想を断ず。智慧の炬を燃して長夜を照らす。

◗279:12 三明六通みなすでに足れり。菩薩の万行心眼に観ず。
かくのごとき功徳辺量なし。このゆゑに心を至してかしこに生ぜんと願ずと。

◗279:15 【48】第九大門のなかに両番の料簡あり。第一に苦楽善悪相対す。第二に彼此の寿命の長短を明かして比校す。

◗280: 2 【49】初段のなかにつきて二あり。一には苦楽善悪相対す。二には大経を引きて証となす。

◗280: 3 初めに苦楽善悪相対すといふは、この娑婆世界にありては苦楽二報ありといへども、つねにもつて楽は少なく苦は多し。重きはすなはち三塗にして痛焼し、軽きはすなはち人天にして刀兵・疾病あひ続きて連なり注ぎ、遠劫よりこのかた断ゆる時あることなし。たとひ人天に少楽ありとも、なほ泡沫・電光のすみやかに起りすみやかに滅するがごとし。このゆゑに名づけて唯苦唯悪となす。

◗280: 8 弥陀の浄国は水・鳥・樹林つねに法音を吐きて、あきらかに道教を宣ぶ。清白を具足してよく悟入せしむ。

◗280: 9 二に聖教を引きて証となすとは、

◗280:10 浄土論にいはく、十方の人天、かの国に生ずるものは、すなはち浄心の菩薩と無二なり。浄心の菩薩、すなはち上地の菩薩と畢竟じて同じく寂滅忍を得。ゆゑにさらに退転せずと。

◗280:12 また大経の四十八願を引くなかに五番の大益あり。

◗280:13 第一に大経にのたまはく、十方の人天、わが国に来生することあらんに、ことごとく真金色ならずは、正覚を取らじと。

◗280:15 二にのたまはく、十方の人天、わが国に来生して、もし形色不同にして好醜あらば、正覚を取らじと。

◗281: 1 三にのたまはく、十方の人天、わが国に来生して宿命智を得ず、下百千億那由他の諸劫の事を知らざるに至らば、正覚を取らじと。

◗281: 3 四にのたまはく、十方の人天、わが国に来生して天耳通を得ず、下百千億那由他の諸仏の所説を聞かず、ことごとく受持せざるに至らば、正覚を取らじと。

◗281: 6 五にのたまはく、十方の人天、わが国に来生して他心智を得ず、下百千億那由他の諸仏国のうちの衆生の心念を知らざるに至らば、正覚を取らじと。

◗281: 8 かの国の利益の事を論ぜんと欲するに、つぶさに陳ぶべきこと難し。ただまさに生ぜんと願ずべし。かならず不可思議なり。このゆゑにかの方は唯善唯楽にして、苦なく悪なし。

◗281:11 【50】第二に寿命の長短を明かすとは、

◗281:11 この方の寿命大期百年に過ぎず。百年のうち少しきは出づるも、多くは減ず。あるいは生年に夭喪し、乃至童子にして身亡ず。あるいはまた胞胎にして傷堕す。なんの意かしかるとならば、まことに衆生因を作る時雑なるによる。ここをもつて報を受くることまた斉同なることを得ず。

◗281:15 このゆゑに涅槃経にのたまはく、作業の時黒なれば果報また黒なり。作業の時白なれば果報また白なり。浄雑またしかなりと。

◗282: 2 また浄度菩薩経によるにのたまはく、人寿百歳なるも、夜その半ばを消す。すなはちこれ五十年を減却す。五十年のうちにつきて、十五以来はいまだ善悪を知らず、八十以去は昏耄虚劣なり、ゆゑに老苦を受く。おのづからこのほかはただ十五年あり。

◗282: 5 中にありて、外にはすなはち王官逼迫して長征・遠防し、あるいは繋がれて牢獄にあり、内はすなはち門戸の吉凶の衆事に牽き纏はれ、煢々忪々としてつねに求むるに足らず。かくのごとく推計するに、いくばくの時ありてか道業を修することを得べけんや。

◗282: 8 かくのごとく思量するに、あに哀しまざらんや。なんぞ厭はざることを得んやと。

◗282: 9 またかの経にのたまはく、人世間に生じておほよそ一日一夜を経るに、八億四千万の念あり。一念悪を起せば一悪身を受け、十念悪を念へば十生の悪身を得、百念悪を念へば一百の悪身を受く。一衆生の一形のうちを計るに、百年悪を念へば、悪すなはち三千国土に遍満してその悪身を受く。悪法すでにしかり。

◗282:13 善法もまたしかなり。一念善を起せば一善身を受け、百念善を念へば一百の善身を受く。一衆生の一形のうちを計るに、百年善を念へば、三千国土に善身また満つ。もし十年・五年阿弥陀仏を念じ、あるいは多年に至ることを得れば、後に無量寿国に生れ、すなはち浄土の法身を受くること恒沙無尽にして不可思議なりと。

◗283: 3 いますでに穢土は短促にして、命報遠からず。もし阿弥陀浄国に生ずれば、寿命長遠にして不可思議なり。

◗283: 4 このゆゑに無量寿経にのたまはく、仏、舎利弗に告げたまはく、かの仏をなんがゆゑぞ阿弥陀と号くる。舎利弗、十方の人天、かの国に往生するものは、寿命長遠にして億百千劫なり。仏と同等なるがゆゑに阿弥陀と号くと。おのおのよろしくこの利の大なることを量りて、みな往かんと願ずべし。

◗283: 8 また善王皇帝尊経にのたまはく、それ人ありて、道を学して西方阿弥陀仏国に往生せんと念欲するものは、憶念すること昼夜一日、もしは二日、あるいは三日、もしは四日、もしは五日、六日、七日に至るべし。

◗283:11 もしまた中において還悔せんと欲するものは、われこの善王の功徳を説くを聞くべし。命尽きんと欲する時、八菩薩ありて、みなことごとく飛び来りてこの人を迎へ取り、西方阿弥陀仏国のうちに到りて、つひに止まることを得ざらんと。

◗283:14 これより以下、また大経の偈を引きて証となす。讃にいはく、
それ衆生ありて安楽に生ずれば、ことごとく三十有二相を具す。
智慧満足して深法に入る。道要を究暢して障礙なし。

◗284: 3 根の利鈍に随ひて忍を成就す。三忍乃至不可説なり。
宿命五通つねに自在にして、仏に至るまで雑悪趣に更らず。

◗284: 5 他方の五濁の世に生じて、示現して同じく大牟尼のごとくなるを除く。
安楽国に生じて大利を成ず。このゆゑに心を至してかしこに生ぜんと願ずと。

◗284: 9 【51】第十大門のなかに両番の料簡あり。第一に大経によりて類を引きて証誠す。第二に回向の義を釈す。

◗284:11 【52】第一に大経によりて類を引きて証誠すとは、

◗284:11 十方の諸仏西方に帰することを勧めたまはざるはなく、十方の菩薩同じく生ぜざるはなし。十方の人天、意あるは斉しく帰す。ゆゑに知りぬ、不可思議の事なり。

◗284:13 このゆゑに大経の讃にいはく、
神力無極の阿弥陀は、十方無量の仏の讃じたまふところなり。
東方恒沙の諸仏の国、菩薩無数にしてことごとく往覲す。

◗285: 2 また安楽国の菩薩・声聞・もろもろの大衆を供養し、
経法を聴受して道化を宣ぶ。自余の九方もまたかくのごとしと。

◗285: 4 【53】第二に回向の義を釈すとは、

◗285: 4 ただ一切衆生すでに仏性あるをもつて、人人みな成仏を願ふ心あり。しかれども所修の行業いまだ一万劫に満たざるよりこのかたは、なほいまだ火界を出でざるによりて、輪廻を免れず。このゆゑに聖者この長苦を愍れみて西に回向するを勧むるは、大益を成ぜしめんがためなり。

◗285: 8 しかるに回向の功は六を越えず。なんらをか六となす。

◗285: 8 一には所修の諸業をもつて弥陀に回向すれば、すでにかの国に至りて、還りて六通を得て衆生を済運す。これすなはち道に住せざるなり。

◗285:10 二には因を回して果に向かふ。

◗285:10 三には下を回して上に向かふ。

◗285:11 四には遅を回して速に向かふ。これすなはち世間に住せざるなり。

◗285:12 五には衆生に回施して、悲念して善に向かはしむ。

◗285:12 六には回入して分別の心を去却す。

◗285:13 回向の功ただこの六を成ず。

◗285:13 このゆゑに大経にのたまはく、それ衆生ありて、わが国に生ずるものは自然に勝進して、常倫諸地の行に超出して、仏道を成ずるに至るまでさらに回復の難なしと。

◗286: 1 ゆゑに大経の讃にいはく、
安楽の菩薩・声聞の輩、この世界において比方なし。
釈迦無礙の大弁才をもつて、もろもろの仮令を設けて少分を示し、
最賎の乞人を帝王に並べ、帝王をまた金輪王に比ぶ。

◗286: 5 かくのごとく展転して六天に至る。次第してあひ類することみな始めのごとし。
天の色像をもつてかれに喩ふるに、千万億倍すともその類にあらず。
みなこれ法蔵願力のなせるなり。大心力を稽首し頂礼したてまつると。

◗286: 9 【54】第十一大門のなかに略して両番の料簡をなす。第一に一切衆生を勧めて善知識に託して西に向かふ意をなさしむ。第二に死後に生縁の勝劣あることを弁ず。

◗286:12 【55】第一に勧めて善知識に託すとは、

◗286:12 法句経によるに、衆生のために善知識となる。宝明菩薩あり。仏にまうしてまうさく、世尊、いかんが名づけて善知識となすやと。

◗286:14 仏のたまはく、善知識はよく深法を説く。いはく空と無相と無願となり。諸法平等にして業なく報なく、因なく果なし。究竟如如にして実際に住す。しかるに畢竟空のなかにおいて、熾燃として一切の諸法を建立す。これを善知識となす。

◗287: 2 善知識はこれなんぢが父母なり、なんぢらが菩提の身を養育するがゆゑなり。

◗287: 3 善知識はこれなんぢが眼目なり、よく一切の善悪の道を見るがゆゑなり。

◗287: 4 善知識はこれなんぢが大船なり、なんぢらを運度して生死海を出すがゆゑなり。

◗287: 5 善知識はこれなんぢが緪縄なり、よくなんぢらを挽き抜きて生死を出すがゆゑなりと。

◗287: 6 また勧む。衆生のために善知識となるといへども、かならずすべからく西に帰すべし。なにをもつてのゆゑに。この火界に住まれば、違順の境多々にして、退没ありて出づること難きによるがゆゑなり。

◗287: 9 このゆゑに舎利弗ここにおいて発心して菩薩の行を修すること、すでに六十劫を経たり。悪知識の乞眼の因縁に逢ひて、つひにすなはち退転す。ゆゑに知りぬ、火界にして道を修することははなはだ難し。

◗287:11 ゆゑに勧めて西方に帰せしむ。一たび往生を得れば、三学自然に勝進し、万行あまねく備はる。

◗287:13 ゆゑに大経にのたまはく、弥陀の浄国は造悪の地毛髪ばかりのごときもなしと。

◗287:15 【56】第二に次に衆生の死後に受生の勝劣あることを弁ずとは、

◗287:15 この界の衆生寿尽き命終りて、みな善悪の二業に乗ぜざるはなし。つねに伺命の獄率と妄愛の煩悩のためにあひともに生を受く。すなはち無数劫よりこのかた、いまだ免離することあたはず。

◗288: 3 もしよく信を生じて浄土に帰向し意を策まして専精なれば、命終らんと欲する時、阿弥陀仏、観音聖衆と光台をもつて行者を迎接したまふ。歓喜し随従し合掌して台に乗じ、須臾にすなはち到りて快楽ならざるはなく、すなはち成仏に至る。

◗288: 6 また一切衆生、業を造ること不同にして、その三種あり。いはく上・中・下なり。みな閻羅に詣りて判を取らざるはなし。もしよく信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願じて、所修の行業ならびにみな回向すれば、命終らんと欲する時、仏みづから来迎して死王に干されず。

◗288:10 【57】第十二大門のなかに一番あり。十往生経につきて証となして往生を勧む。

◗288:11 仏、阿弥陀仏国に生ずることを説くに、もろもろの大衆のために観身正念解脱を説きたまふがごとし。

◗288:12 十往生経にのたまはく、阿難、仏にまうしてまうさく、世尊、一切衆生の観身の法はその事いかん。ただ願はくはこれを説きたまへと。

◗288:14 仏、阿難に告げたまはく、それ観身の法は東西を観ぜず、南北を観ぜず、四維・上下を観ぜず、虚空を観ぜず、外縁を観ぜず、内縁を観ぜず、身色を観ぜず、色声を観ぜず、色像を観ぜず、ただ無縁を観ず。

◗289: 2 これを正真の観身の法となす。この観身を除きて十方にあきらかに求むること在々処々なるも、さらに別法にして解脱を得ることなしと。

◗289: 3 仏また阿難に告げたまはく、ただみづから身を観ずるに善力自然なり、正念自然なり、解脱自然なり。

◗289: 5 なにをもつてのゆゑに。たとへば人ありて精進直心にして正解脱を得るがごとし。かくのごとき人は解脱を求めざるに、解脱おのづから至ると。

◗289: 7 阿難また仏にまうしてまうさく、世尊、世間の衆生もしかくのごとき正念解脱あらば、一切の地獄・餓鬼・畜生の三悪道なかるべしと。

◗289: 9 仏、阿難に告げたまはく、世間の衆生解脱を得ず。なにをもつてのゆゑに。一切衆生はみな虚多く実少なきによりて、一として正念なし。この因縁をもつて地獄のものは多く、解脱のものは少なし。

◗289:11 たとへば人ありて、みづからの父母および師僧において、外には孝順を現じ内には不孝を懐くがごとく、外には精進を現じ内には不実を懐く。かくのごとき悪人報いまだ至らずといへども、三塗遠からず、正念あることなし、解脱を得ずと。

◗289:14 阿難また仏にまうしてまうさく、もしかくのごときものは、さらになんの善根を修してか正解脱を得ると。

◗290: 1 仏、阿難に告げたまはく、なんぢいまよく聴け。われいまなんぢがために説かん。十の往生の法ありて解脱を得べし。いかんが十となす。

◗290: 2 一には観身正念にしてつねに歓喜を懐き、飲食・衣服をもつて仏および僧に施せば、阿弥陀仏国に往生す。

◗290: 4 二には正念にして甘妙の良薬をもつて一の病比丘および一切衆生に施せば、阿弥陀仏国に往生す。

◗290: 5 三には正念にして一の生命をも害せずして一切を慈悲すれば、阿弥陀仏国に往生す。

◗290: 6 四には正念にして師の所に従ひて戒を受け、浄慧をもつて梵行を修し、心につねに歓喜を懐けば、阿弥陀仏国に往生す。

◗290: 8 五には正念にして父母に孝順し、師長に敬奉して憍慢の心を起さざれば、阿弥陀仏国に往生す。

◗290: 9 六には正念にして僧房に往詣し、塔寺を恭敬し、法を聞きて一義を解れば、阿弥陀仏国に往生す。

◗290:10 七には正念にして一日一夜のうちに八戒斎を受持して一をも破らざれば、阿弥陀仏国に往生す。

◗290:11 八には正念にしてもしよく斎月・斎日のうちに房舎を遠離してつねに善師に詣れば、阿弥陀仏国に往生す。

◗290:13 九には正念にしてつねによく浄戒を持ちて禅定を勤修し、法を護りて悪口せず。もしよくかくのごとく行ずれば、阿弥陀仏国に往生す。

◗290:15 十には正念にして、もし無上道において誹謗の心を起さず、精進にして浄戒を持ち、また無智のものを教へてこの経法を流布し、無量の衆生を教化す。かくのごときもろもろの人等は、ことごとくみな往生を得と。

◗291: 2 その時会中に一の菩薩あり、山海恵と名づく。仏にまうしてまうさく、世尊、かの阿弥陀国になんの妙楽勝事ありてか一切衆生みなかしこに往生せんと願ずると。

◗291: 4 仏、山海恵菩薩に告げたまはく、なんぢいままさに起立し合掌して身を正しくし、西に向かひて正念にして阿弥陀仏国を観じ、阿弥陀仏を見たてまつらんと願ずべしと。

◗291: 7 その時一切の大衆またみな起立し合掌してともに阿弥陀仏を観じたてまつる。その時阿弥陀仏、大神通を現じて大光明を放ち、山海恵菩薩の身を照らしたまふ。

◗291: 9 その時山海恵菩薩等、すなはち阿弥陀仏の国土のあらゆる荘厳妙好の事を見たてまつるに、みなことごとく七宝なり。七宝の山、七宝の国土あり。水・鳥・樹林つねに法音を吐き、かの国には日々につねに法輪を転ず。かの国の人民外事を習はず、まさしく内事を習ふ。口に方等の語を説き、耳に方等の声を聴き、心に方等の義を解る。

◗291:13 その時山海恵菩薩、仏にまうしてまうさく、世尊、われらいまかの国を覩見するに、勝妙の利益不可思議なり。われいま願はくは一切衆生ことごとくみな往生せんことを。しかして後にわれらもまた願はくはかの国に生ぜんと。

◗292: 1 仏これを記してのたまはく、正観・正念せば正解脱を得て、みなことごとくかしこに生ぜん。もし善男子・善女人ありてこの経を正信し、この経を愛楽して衆生を勧導せば、説者も聴者もことごとくみな阿弥陀仏国に往生せん。

◗292: 4 もしかくのごとき等の人あらば、われ今日よりつねに二十五菩薩をしてこの人を護持せしめ、つねにこの人をして病なく悩なからしめん。もしは人、もしは非人、その便を得ず、行住坐臥に昼夜を問ふことなく、つねに安穏なることを得んと。

◗292: 7 山海恵菩薩、仏にまうしてまうさく、世尊、われいま尊教を頂受してあへて疑ふことあらず。しかるに世に衆生あり、多く誹謗してこの経を信ぜざることあらん。かくのごとき人は、後においていかんと。

◗292:11 仏、山海恵菩薩に告げたまはく、後において閻浮提に、あるいは比丘・比丘尼ありて、この経を読誦することあるものを見て、あるいはあひ瞋恚し心に誹謗を懐かん。この謗正法によるがゆゑに、この人現身のなかに諸悪・重病・身根不具・聾盲瘖瘂・水腫・鬼魅を来致して、坐臥安からず、生を求むるに得ず、死を求むるに得ず。

◗292:14 あるいはすなはち死するに致りて地獄に堕し、八万劫のうちに大苦悩を受く。百千万世にいまだかつて水食の名を聞かず。久しくして後に出づることを得れども、牛・馬・猪・羊にありて人のために殺されて大極苦を受く。後に人となることを得れども、つねに下処に生れ、百千万世にも自在を得ず。永く三宝の名字を聞かず。

◗293: 3 このゆゑに無智・無信の人のなかにして、この経を説くことなかれと。

◗293: 5 【58】撰集流通の徳、あまねく一切に施して、
先づ菩提心を発し、同じく浄国に帰向して、
みなともに仏道を成ぜん。

◗293:11 安楽集 巻下

◗293:12  この集一部、現行本につきて開彫刻印せり。ただ浄教を通ぜしめ、蒼生を沾さんがためなり。ただ虎唐の謬、魚魯詳らかにしがたし。正本流伝せば、後昆刪定せよ。庶はくは、乃至一聞の類をして同じく九品の縁を結ばしめんのみ。

◗293:15  寛元三年 乙巳 仲秋の日願主比丘往成