◗181: 1 安楽集 巻上
釈道綽撰
◗181: 5 【1】この安楽集一部のうちに、総じて十二の大門あり。みな経論を引きて証明して、信を勧め往くことを求めしむ。
◗181: 7 【2】いま先づ第一の大門のうちにつきて、文義衆しといへども、略して九門を作りて料簡し、しかる後に文に造らん。
◗181: 8 第一に教興の所由を明かして、時に約し機に被らしめて勧めて浄土に帰せしむ。
◗181: 9 第二に諸部の大乗によりて説聴の方軌を顕す。
◗181:10 第三に大乗の聖教によりて、もろもろの衆生の発心の久近、供仏の多少を明かして、時会の聴衆をして力め励みて発心せしめんと欲す。
◗181:11 第四に諸経の宗旨の不同を弁ず。
◗181:12 第五に諸経の得名おのおの異なることを明かす。涅槃・般若経等のごときは法につきて名となす。おのづから喩へにつくことあり、あるいは事につくことあり、また時につき、処につくことあり。この例一にあらず。いまこの観経は人法につきて名となす。仏はこれ人の名、説観無量寿はこれ法の名なり。
◗182: 1 第六に説人の差別を料簡す。諸経の起説五種を過ぎず。一には仏の自説、二には聖弟子の説、三には諸天の説、四には神仙の説、五には変化の説なり。この観経は、五種の説のなか、世尊の自説なり。
◗182: 4 第七に略して真・応の二身を明かし、ならびに真・応の二土を弁ず。
◗182: 5 第八に弥陀の浄国は位上下を該ね、凡聖通じて往くことを顕す。
◗182: 5 第九に弥陀の浄国の三界の摂と不摂とを明かす。
◗182: 7 【3】第一大門のなか、教興の所由を明かして、時に約し機に被らしめて勧めて浄土に帰せしむとは、
◗182: 8 もし教、時機に赴けば、修しやすく悟りやすし。もし機と教と時と乖けば、修しがたく入りがたし。
◗182: 9 このゆゑに正法念経にのたまはく、
行者一心に道を求むる時、つねにまさに時と方便とを観察すべし。
もし時を得ず、方便なくは、これを名づけて失となし利と名づけず。
◗182:13 なんとなれば、
もし湿へる木を攅りてもつて火を求めんに、火得べからず、時にあらざるがゆゑなり。
もし乾きたる薪を折りてもつて火を覓めんに、火得べからず、智なきがゆゑなりと。
◗183: 3 このゆゑに大集月蔵経にのたまはく、仏滅度の後の第一の五百年には、わがもろもろの弟子、慧を学ぶこと堅固なることを得ん。
◗183: 4 第二の五百年には、定を学ぶこと堅固なることを得ん。
◗183: 5 第三の五百年には、多聞・読誦を学ぶこと堅固なることを得ん。
◗183: 6 第四の五百年には、塔寺を造立し福を修し懴悔すること堅固なることを得ん。
◗183: 7 第五の五百年には、白法隠滞して多く諍訟あらん。微しき善法ありて堅固なることを得んと。
◗183: 8 またかの経にのたまはく、諸仏の世に出でたまふに、四種の法ありて衆生を度したまふ。なんらをか四となす。
◗183:10 一には口に十二部経を説く。すなはちこれ法施をもつて衆生を度したまふ。
◗183:11 二には諸仏如来には無量の光明・相好まします。一切衆生ただよく心を繋けて観察すれば、益を獲ざるはなし。これすなはち身業をもつて衆生を度したまふ。
◗183:13 三には無量の徳用・神通道力・種々の変化まします。すなはちこれ神通力をもつて衆生を度したまふ。
◗183:14 四には諸仏如来には無量の名号まします。もしは総、もしは別なり。それ衆生ありて心を繋けて称念すれば、障を除き益を獲て、みな仏前に生ぜざるはなし。すなはちこれ名号をもつて衆生を度したまふと。
◗184: 2 いまの時の衆生を計るに、すなはち仏世を去りたまひて後の第四の五百年に当れり。まさしくこれ懴悔し福を修し、仏の名号を称すべき時なり。もし一念阿弥陀仏を称すれば、すなはちよく八十億劫の生死の罪を除却す。一念すでにしかなり。いはんや常念を修せんをや。すなはちこれつねに懴悔する人なり。
◗184: 6 またもし聖を去ること近ければ、すなはち前のもの定を修し慧を修するはこれその正学なり、後のものはこれ兼なり。もし聖を去ることすでに遠ければ、すなはち後のもの名を称するはこれ正にして、前のものはこれ兼なり。なんの意ぞしかるとならば、まことに衆生、聖を去ること遙遠にして、機解浮浅暗鈍なるによるがゆゑなり。
◗184:10 ここをもつて韋提大士、みづからおよび末世の五濁の衆生の輪廻多劫にしていたづらに痛焼を受くるを哀愍するがゆゑに、よくかりに苦の縁に遇ひて出路を諮開す。しかれば大聖弘慈をもつて勧めて極楽に帰せしむ。
◗184:13 もしここにおいて進趣せんと欲せば、勝果階ひがたし。ただ浄土の一門のみありて、情をもつて悕ひて趣入すべし。もし衆典を披き尋ねんと欲せば、勧むるところいよいよ多し。つひにもつて真言を採り集めて助けて往益を修せしむ。なんとなれば、前に生ずるものは後を導き、後に去かんものは前を訪ひ、連続無窮にして願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり。
◗185: 4 【4】第二に諸部の大乗によりて説聴の方軌を明かすとは、なかに六あり。
◗185: 4 第一に大集経にのたまはく、説法のものにおいては医王の想をなし、抜苦の想をなせ。説くところの法には甘露の想をなし、醍醐の想をなせ。それ法を聴くものは増長勝解の想をなし、愈病の想をなせ。もしよくかくのごとく説くもの、聴くものは、みな仏法を紹隆するに堪へたり、つねに仏前に生ずと。
◗185:10 第二に大智度論にいはく、
聴くものは端視して渇飲のごとくせよ。一心に語議のなかに入り、
法を聞きて踊躍し心に悲喜す。かくのごとき人にために説くべしと。
◗185:13 第三にかの論にまたいはく、二種の人ありて、福を得ること無量無辺なり。なんらをか二となす。一には楽みて法を説く人、二には楽みて法を聴く人なり。
◗185:15 このゆゑに阿難、仏にまうしてまうさく、舎利弗・目連なにをもつてか得るところの智慧・神通、聖弟子のなかにおいてもつとも殊勝なりとなすと。
◗186: 2 仏、阿難に告げたまはく、この二人は、因中の時において、法の因縁のために千里を難しとせず。このゆゑに今日もつとも殊勝なりとなすと。
◗186: 5 第四に無量寿大経にのたまはく、
もし人善本なければ、この経を聞くことを得ず。
清浄に戒を有てるもの、すなはち正法を聞くことを獲と。
◗186: 8 第五にのたまはく、
曽更世尊を見たてまつるもの、すなはちよくこの事を信ず。
億の如来に奉事して、楽みてかくのごとき教を聞くと。
◗186:11 第六に無量清浄覚経にのたまはく、善男子・善女人、浄土の法門を説くを聞きて、心に悲喜を生じて身の毛為竪ちて抜け出づるがごとくなるものは、まさに知るべし、この人は過去宿命にすでに仏道をなせるなり。
◗186:11 もしまた人ありて浄土の法門を開くを聞きて、すべて信を生ぜざるものは、まさに知るべし、この人ははじめて三悪道より来りて、殃咎いまだ尽きず。これがために信向なきのみ。われ説く、この人はいまだ解脱を得べからずと。
◗187: 2 このゆゑに無量寿大経にのたまはく、
憍慢と弊と懈怠とは、もつてこの法を信ずること難しと。
◗187: 4 【5】第三に大乗の聖教によりて、衆生の発心の久近、供仏の多少を明かすとは、
◗187: 5 涅槃経にのたまふがごとし。仏、迦葉菩薩に告げたまはく、
◗187: 6 もし衆生ありて、熙連半恒河沙等の諸仏の所において菩提心を発せば、しかして後にすなはちよく悪世のなかにおいて、この大乗経典を聞きて誹謗を生ぜず。
◗187: 8 もし一恒河沙等の仏の所において菩提心を発すことあれば、しかして後にすなはちよく悪世のなかにおいて経を聞きて誹謗を起さず、深く愛楽を生ず。
◗187:10 もし二恒河沙等の仏の所において菩提心を発すことあれば、しかして後にすなはちよく悪世のなかにおいてこの法を謗ぜず、正解し信楽し受持し読誦す。
◗187:11 もし三恒河沙等の仏の所において菩提心を発すことあれば、しかして後にすなはちよく悪世のなかにおいてこの法を謗ぜず、経巻を書写し、人のために説くといへども、いまだ深義を解らずと。
◗187:14 なにをもつてのゆゑにかくのごとき教量を須ゐるとならば、今日坐下にして経を聞くものは、曽すでに発心して多仏を供養せることを彰さんがためなり。また大乗経の威力不可思議なることを顕す。
◗188: 2 このゆゑに経にのたまはく、もし衆生ありてこの経典を聞けば、億百千劫にも悪道に堕せず。なにをもつてのゆゑに。この妙経典の流布するところの処、まさに知るべし、その地はすなはちこれ金剛なり。このなかの諸人また金剛のごとしと。
◗188: 5 ゆゑに知りぬ、経を聞きて信を生ずるものはみな不可思議の利益を獲るなり。
◗188: 7 【6】第四に次に諸経の宗旨の不同を弁ずとは、
◗188: 7 もし涅槃経によらば仏性を宗となす。もし維摩経によらば不可思議解脱を宗となす。もし般若経によらば空慧を宗となす。もし大集経によらば陀羅尼を宗となす。
◗188: 9 いまこの観経は観仏三昧をもつて宗となす。もし所観を論ずれば依正二報に過ぎず。下に諸観によりて弁ずるところのごとし。
◗188:11 もし観仏三昧経によらばのたまはく、仏、父の王に告げたまはく、諸仏の出世に三種の益あり。
◗188:13 一には口に十二部経を説きたまふ。法施の利益なり。よく衆生の無明の暗障を除き、智慧の眼を開きて諸仏の前に生じて早く無上菩提を得しむ。
◗188:14 二には諸仏如来に身相・光明、無量の妙好まします。もし衆生ありて称念し観察すれば、もしは総相、もしは別相、仏身の現在・過去を問ふことなく、みなよく衆生の四重・五逆を除滅して永く三途に背き、意の所楽に随ひてつねに浄土に生じ、すなはち成仏に至る。
◗189: 3 三には父の王を勧めて念仏三昧を行ぜしめたまふと。
◗189: 4 父の王、仏にまうさく、仏地の果徳、真如実相第一義空なり。なにによりてか弟子をしてこれを行ぜしめざると。
◗189: 5 仏、父の王に告げたまはく、諸仏の果徳には無量深妙の境界・神通・解脱まします。これ凡夫所行の境界にあらざるがゆゑに、父の王を勧めて念仏三昧を行ぜしめたてまつると。
◗189: 8 父の王、仏にまうさく、念仏の功その状いかんと。
◗189: 8 仏、父の王に告げたまはく、伊蘭林の方四十由旬なるに、一科の牛頭栴檀あり。根芽ありといへども、なほいまだ土を出でず。その伊蘭林はただ臭くして香ばしきことなし。もしその華菓を噉らふことあれば、狂を発して死す。後の時に栴檀の根芽やうやく生長してわづかに樹とならんと欲するに、香気昌盛にしてつひによくこの林を改変して、あまねくみな香美ならしむ。衆生見るものみな希有の心を生ずるがごとしと。
◗189:14 仏、父の王に告げたまはく、一切衆生生死のなかにありて念仏の心もまたかくのごとし。ただよく念を繋けて止まざれば、さだめて仏前に生ず。一たび往生を得れば、すなはちよく一切の諸悪を改変して大慈悲を成ずること、かの香樹の伊蘭林を改むるがごとしと。
◗190: 2 いふところの伊蘭林とは、衆生の身のうちの三毒・三障、無辺の重罪に喩ふ。栴檀といふは、衆生の念仏の心に喩ふ。わづかに樹とならんと欲すとは、いはく、一切衆生ただよく念を積みて断えざれば、業道成弁するなりと。
◗190: 6 問ひていはく、一切衆生の念仏の功を計りてまた一切に応じて知るべし。なにによりてか一念の力よく一切の諸障を断つこと、一の香樹の四十由旬の伊蘭林を改めてことごとく香美ならしむるがごとくなるや。
◗190: 8 答へていはく、諸部の大乗によりて念仏三昧の功能の不可思議なることを顕さん。
◗190: 9 なんとなれば、華厳経にのたまふがごとし。たとへば人ありて獅子の筋を用ゐて、もつて琴の絃となして、音声一たび奏するに、一切の余の絃ことごとくみな断壊するがごとし。もし人菩提心のなかに念仏三昧を行ずれば、一切の煩悩、一切の諸障ことごとくみな断滅す。
◗190:13 また人ありて牛・羊・驢馬、一切のもろもろの乳を搆り取りて一器のなかに置くに、もし獅子の乳一渧を持ちてこれを投ぐるに、ただちに過ぎて難りなし。一切の諸乳ことごとくみな破壊して、変じて清水となるがごとし。もし人ただよく菩提心のなかに念仏三昧を行ずれば、一切の悪魔・諸障ただちに過ぎて難りなしと。
◗191: 2 またかの経にのたまはく、たとへば人ありて翳身薬を持ちて処々に遊行するに、一切の余人この人を見ざるがごとし。もしよく菩提心のなかに念仏三昧を行ずれば、一切の悪神、一切の諸障この人を見ず。所詣の処に随ひてよく遮障することなし。
◗191: 6 なんがゆゑぞよくしかるとならば、この念仏三昧はすなはちこれ一切の三昧のなかの王なるがゆゑなりと。
◗191: 8 【7】第七に略して三身三土の義を明かすとは、
◗191: 8 問ひていはく、いま現在の阿弥陀仏はこれいづれの身ぞ、極楽の国はこれいづれの土ぞ。
◗191: 9 答へていはく、現在の弥陀はこれ報仏、極楽宝荘厳国はこれ報土なり。
◗191:10 しかるに古旧あひ伝へて、みな阿弥陀仏はこれ化身、土もまたこれ化土なりといへり。これを大失となす。
◗191:12 もししからば、穢土もまた化身の所居、浄土もまた化身の所居ならば、いぶかし、如来の報身はさらにいづれの土によるや。
◗191:13 いま大乗同性経によりて報化・浄穢を弁定せば、経にのたまはく、浄土のなかに仏となりたまへるはことごとくこれ報身なり、穢土のなかに仏となりたまへるはことごとくこれ化身なりと。
◗192: 1 かの経にのたまはく、阿弥陀如来・蓮華開敷星王如来・竜主如来・宝徳如来等のもろもろの如来、清浄の仏刹にして現に道を得たまへるもの、まさに道を得たまふべきもの、かくのごとき一切はみなこれ報身の仏なり。
◗192: 4 何者か如来の化身。なほ今日の踊歩如来・魔恐怖如来のごとき、かくのごとき等の一切の如来の、穢濁世のなかにして現に仏となりたまへるもの、まさに仏となりたまふべきもののごとし。兜率より下り、乃至一切の正法・一切の像法・一切の末法を住持す。かくのごとき化事みなこれ化身の仏なり。
◗192: 8 何者か如来の法身。如来の真法身とは、色なく形なく、現なく着なく、見るべからず、言説なく、住処なく、生なく滅なし。これを真法身の義と名づくと。
◗192:11 問ひていはく、如来の報身は常住なり。いかんぞ観音授記経に、阿弥陀仏入涅槃の後、観世音菩薩次いで仏処を補すとのたまふや。
◗192:12 答へていはく、これはこれ報身、隠没の相を示現す。滅度にはあらず。
◗192:13 かの経にのたまはく、阿弥陀仏入涅槃の後、また深厚善根の衆生ありて、還りて見ること故のごとしと。すなはちその証なり。
◗192:15 また宝性論にいはく、
報身に五種の相まします。説法とおよび可見と、
諸業の休息せざると、および休息隠没と、
不実体を示現するとなりと。
すなはちその証なり。
◗193: 6 問ひていはく、釈迦如来の報身・報土はいづれの方にかましますや。
◗193: 6 答へていはく、涅槃経にのたまはく、西方ここを去ること四十二恒河沙の仏土に世界あり、名づけて無勝といふ。かの土のあらゆる荘厳また西方極楽世界のごとし。等しくして異なることあることなし。われかの土において世に出現す。衆生を化せんがためのゆゑに、来りてこの娑婆国土にあり。ただわれのみこの土に出づるにあらず、一切の如来もまたかくのごとしと。すなはちその証なり。
◗193:13 問ひていはく、鼓音経にのたまはく、阿弥陀仏に父母ありと。あきらかに知りぬ、これ報仏・報土にあらずや。
◗193:14 答へていはく、なんぢはただ名を聞きて経の旨を究め尋ねずしてこの疑を致す。これを毫毛に錯りてこれを千里に失すといふべし。しかれども阿弥陀仏また三身を具へたまへり。極楽に出現したまふはすなはちこれ報身なり。いま父母ありといふは、これ穢土のなかに示現したまへる化身の父母なり。また釈迦如来、浄土のなかにしてその報仏を成じ、この方に応来して父母ありと示してその化仏を成じたまふがごとし。阿弥陀仏もまたかくのごとし。
◗194: 5 また鼓音声経にのたまふがごとし。その時阿弥陀仏、声聞衆と倶なり。国を清泰と号く。聖王の所住なり。その城は縦広十千由旬なり。阿弥陀仏の父はこれ転輪聖王なり。王を月上と名づけ、母を殊勝妙顔と名づく。魔王を無勝と名づけ、仏子を月明と名づけ、提婆達多を寂と名づけ、給侍の弟子を無垢称と名づくと。
◗194: 9 また上来に引くところはならびにこれ化身の相なり。もしこれ浄土ならば、あに輪王および城・女人等あらんや。これすなはち文義炳然なり、なんぞ分別を待たんや。みなよく尋ね究めずして、名に迷ひて執を生ぜしむることを致す。
◗194:13 問ひていはく、もし報身に隠没休息の相ましまさば、また浄土に成壊の事あるべきや。
◗194:14 答へていはく、かくのごとき難は、古よりいまに将りて義また通じがたし。しかりといへども、いまあへて経を引きて証となさん。義また知るべし。たとへば仏身は常住なれども、衆生涅槃ありと見るがごとし。浄土もまたしかなり。体は成壊にあらざれども、衆生の所見に随ひて成あり壊あり。
◗195: 3 華厳経にのたまふがごとし。
なほ導師に種々無量の色を見るがごとく、
衆生の心行に随ひて、仏刹を見ることもまたしかなりと。
◗195: 6 このゆゑに浄土論にいはく、
一質成ぜざるがゆゑに、浄穢虧盈あり。
異質成ぜざるがゆゑに、原を捜ればすなはち冥一なり。
無質成ぜざるがゆゑに、縁起すればすなはち万形なりと。
◗195:10 ゆゑに知りぬ、もし法性の浄土によらばすなはち清濁を論ぜず、もし報化の大悲によらばすなはち浄穢なきにあらず。
◗195:11 また汎く仏土を明かして機感の不同に対するに、その三種の差別あり。
◗195:12 一には真より報を垂るるを名づけて報土となす。なほ日光の四天下を照らすがごとし。法身は日のごとく、報化は光のごとし。
◗195:14 二には無而忽有なる、これを名づけて化となす。
◗195:14 すなはち四分律にのたまふがごとし。定光如来提婆城を化して、抜提城とあひ近くして、ともに親婚をなして往来す。後の時に忽然と火を化して焼却す。もろもろの衆生をしてこの無常を覩しめて、厭を生じて仏道に帰向せしめざるはなしと。
◗196: 3 このゆゑに経にのたまはく、
あるいは劫火の焼きて、天地みな洞然たるを現じ、
衆生の常想あるものをして、あきらかに無常を知らしめ、
あるいは貧乏を済はんがために、現に無尽蔵を立てて、
縁に随ひて広く開導して、菩提心を発さしむと。
◗196: 8 三には穢を隠し浄を顕す。維摩経のごとし。仏、足の指をもつて地を按じたまふに、三千の刹土厳浄ならざるはなしと。
◗196: 9 いまこの無量寿国は、すなはちこれ真より報を垂るる国なり。なにをもつてか知ることを得る。観音授記経によるにのたまはく、未来に観音成仏して阿弥陀仏の処に替りたまふと。ゆゑに知りぬ、これ報なり。
◗196:13 【8】第八に弥陀の浄国は位上下を該ね、凡聖通じて往くことを明かすとは、
◗196:14 いまこの無量寿国はこれその報の浄土なり。仏願によるがゆゑにすなはち上下を該通して、凡夫の善をしてならびに往生を得しむることを致す。上を該ぬるによるがゆゑに、天親・龍樹および上地の菩薩またみな生ず。
◗197: 1 このゆゑに大経にのたまはく、弥勒菩薩、仏に問ひたてまつる。いまだ知らず、この界にいくばくの不退の菩薩ありてか、かの国に生ずることを得ると。仏のたまはく、この娑婆世界に六十七億の不退の菩薩ありて、みなまさに往生すべしと。もし広く引かんと欲せば、余方もみなしかなり。
◗197: 6 問ひていはく、弥陀の浄国すでに位上下を該ね、凡聖を問ふことなくみな通じて往くといはば、いまだ知らず、ただ無相を修して生ずることを得や、はた凡夫の有相もまた生ずることを得や。
◗197: 8 答へていはく、凡夫は智浅くして多く相によりて求むるに、決して往生を得。しかるに相善は力微なるをもつて、ただ相土に生じてただ報化の仏を覩る。
◗197:10 このゆゑに観仏三昧経の菩薩本行品にのたまはく、文殊師利、仏にまうしてまうさく、まさに知るべし、われ過去無量劫数に凡夫たりし時を念ふに、かの世に仏ましましき、宝威徳上王如来と名づく。かの仏出でたまひし時、いまと異なることなし。かの仏また長丈六、身紫金色にして三乗の法を説きたまふこと釈迦文のごとし。
◗197:14 その時かの国に大長者あり、一切施と名づく。長者に子あり、名づけて戒護といふ。子母胎にありし時、母敬信をもつてのゆゑにあらかじめその子のために三帰依を受く。子すでに生じをはりて年八歳に至るに、父母、仏を家に請じて供養したてまつる。
◗198: 3 童子、仏を見たてまつりて、仏のために礼をなす。仏を敬ふ心重くして、目しばらくも捨てず。一たび仏を見たてまつるがゆゑに、すなはち百万億那由他劫の生死の罪を除却することを得。これより以後つねに浄土に生じてすなはち百億那由他恒河沙の仏に値遇したてまつることを得たり。このもろもろの世尊また相好をもつて衆生を度脱したまふ。
◗198: 7 その時童子、一々に親しく侍へて、あひだに空しく欠くることなし。礼拝し供養し合掌して仏を観たてまつる。因縁力をもつてのゆゑに、また百万阿僧祇の仏に値遇したてまつることを得。かの諸仏等もまた色身相好をもつて衆生を化度したまふ。
◗198:10 これより以後すなはち百千億の念仏三昧門を得、また阿僧祇の陀羅尼門を得たり。すでにこれを得をはりて、諸仏現前してすなはちために無相の法を説きたまふ。須臾のあひだに首楞厳三昧を得。
◗198:13 時にかの童子ただ三帰を受けて一たび仏を礼するがゆゑに、あきらかに仏身を観じて心に疲厭なし。この因縁によりて無数の仏に値ふ。いかにいはんや念を繋けて具足し思惟して仏の色身を観ぜんをや。時にかの童子あに異人ならんや。これわが身なりと。
◗199: 1 その時世尊、文殊を讃めてのたまはく、善きかな善きかな、なんぢ一たび仏を礼するをもつてのゆゑに、無数の諸仏に値ふことを得たり。いかにいはんや未来のわがもろもろの弟子、ねんごろに仏を観ずるもの、ねんごろに仏を念ずるものをやと。
◗199: 4 仏、阿難に勅したまはく、なんぢ文殊師利の語を持ちて、あまねく大衆および未来世の衆生に告げよ。もしはよく仏を礼するもの、もしはよく仏を念ずるもの、もしはよく仏を観ずるものは、まさに知るべし、この人は文殊師利と等しくして異なることあることなし。捨身して、他世に、文殊師利等のもろもろの菩薩、その和上となると。
◗199: 9 この文をもつて証す。ゆゑに知りぬ、浄土は相土に該通せり、往生すること謬らず。
◗199:10 もし無相離念を体となすと知りて、しかも縁のなかに往くことを求むるものは、多くは上輩の生なるべし。
◗199:11 このゆゑに天親菩薩の論にいはく、もしよく二十九種の荘厳清浄を観ずれば、すなはち略して一法句に入る。一法句とはいはく、清浄句なり。清浄句とはすなはちこれ智慧無為法身なるがゆゑなり。
◗199:14 なんがゆゑぞすべからく広略相入すべきとならば、ただ諸仏・菩薩に二種の法身まします。一には法性法身、二には方便法身なり。法性法身によるがゆゑに方便法身を生ず。方便法身によるがゆゑに法性法身を顕出す。この二種の法身は異にして分つべからず。一にして同ずべからず。このゆゑに広略相入す。
◗200: 3 菩薩もし広略相入を知らざれば、すなはち自利利他することあたはざるなり。無為法身とはすなはち法性身なり。法性寂滅なるがゆゑに、すなはち法身は無相なり。法身無相なるがゆゑに、すなはちよく相ならざるはなし。このゆゑに相好荘厳すなはちこれ法身なり。法身は無知なるがゆゑに、すなはちよく知らざるはなし。このゆゑに一切種智はすなはちこれ真実の智慧なり。
◗200: 8 縁につきて総別二句を観ずることを知るといへども、実相にあらざるはなし。実相を知るをもつてのゆゑに、すなはち三界の衆生の虚妄の相を知る。三界の衆生の虚妄を知るをもつてのゆゑに、すなはち真実の慈悲を起す。真実の慈悲を知るをもつてのゆゑに、すなはち真実の帰依を起すと。
◗200:12 いまの行者緇素を問ふことなく、ただよく生・無生を知りて二諦に違せざるものは、多く上輩の生に落在すべし。
◗200:14 【9】第九に弥陀の浄国の三界の摂と不摂とを明かすとは、
◗200:14 問ひていはく、安楽国土は三界のなかにおいて、いづれの界の所摂ぞ。
◗200:15 答へていはく、浄土は勝妙にして体世間を出でたり。この三界はすなはちこれ生死の凡夫の闇宅なり。また苦楽少しき殊にし、修短異なることありといへども、すべてこれを観ずるに有漏の長津にあらざるはなし。倚伏相乗して循環無際なり。雑生の触受、四倒長く溝はる。かつは因かつは果、虚偽相習せり。深く厭ふべし。
◗201: 4 このゆゑに浄土は三界の摂にあらず。
◗201: 5 また智度論によるにいはく、浄土の果報は欲なきがゆゑに欲界にあらず、地居のゆゑに色界にあらず、形色あるがゆゑに無色界にあらず、地居といふといへども精勝妙絶なりと。
◗201: 7 このゆゑに天親の論にいはく、
かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。
究竟して虚空のごとく、広大にして辺際なしと。
◗201:11 このゆゑに大経の讃にいはく、
妙土広大にして数限を超ゆ。自然の七宝をもつて合成するところなり。
仏の本願力より荘厳起る。清浄大摂受を稽首したてまつる。
世界光耀すること妙にして殊絶す。適悦晏安として四時なし。
自利利他の力円満したまふ。方便巧荘厳を帰命したてまつると。
◗202: 1 【10】第二大門のなかに三番の料簡あり。第一に発菩提心を明かし、第二に異見邪執を破し、第三に広く問答を施して、疑情を釈去す。
◗202: 3 【11】初めの発菩提心につきて、うちに四番あり。一には菩提心の功用を出し、二には菩提の名体を出し、三には発心異なることあることを顕し、四には問答解釈す。
◗202: 6 第一に菩提心の功用を出すとは、大経にのたまはく、おほよそ浄土に往生せんと欲せば、かならずすべからく菩提心を発すを源となすべしと。
◗202: 7 いかんとなれば、菩提といふはすなはちこれ無上仏道の名なり。
◗202: 8 もし心を発し仏に作らんと欲すれば、この心広大にして法界に遍周せり。この心究竟して等しきこと虚空のごとし。この心長遠にして未来際を尽す。この心あまねくつぶさに二乗の障を離る。
◗202:11 もしよく一たびこの心を発せば、無始生死の有輪を傾く。あらゆる功徳を菩提に回向すれば、みなよく遠く仏果に詣るまで失滅あることなし。
◗202:13 たとへば華を五浄に寄すれば風日にも萎まず、水を霊河に附すれば世旱にも竭くることなきがごとし。
◗202:15 第二に菩提の名体を出すとは、しかるに菩提に三種あり。一には法身の菩提、二には報身の菩提、三には化身の菩提なり。
◗203: 1 法身の菩提といふは、いはゆる真如実相第一義空なり。自性清浄にして、体穢染なし。理、天真に出でて修成を仮らざるを名づけて法身となす。仏道の体本を名づけて菩提といふ。
◗203: 3 報身の菩提といふは、つぶさに万行を修してよく報仏の果を感ず。果の因に酬ゆるをもつて名づけて報身といふ。円通無礙なるを名づけて菩提といふ。
◗203: 5 化身の菩提といふは、いはく、報より用を起して、よく万機に趣くを名づけて化身となす。益物円通するを名づけて菩提といふ。
◗203: 8 第三に発心に異なることあることを顕すとは、いまいはく、行者因を修し心を発すにその三種を具せり。
◗203: 9 一には、かならずすべからく有無もとよりこのかた自性清浄なりと識達すべし。
◗203:10 二には、万行を縁修す。八万四千の諸波羅蜜門等なり。
◗203:11 三には、大慈悲を本となしてつねに運度せんと擬するを懐となす。
◗203:12 この三因はよく大菩提と相応す。ゆゑに発菩提心と名づく。
◗203:12 また浄土論によるにいはく、いま発菩提心といふは、まさしくこれ願作仏心なり。願作仏心とは、すなはちこれ度衆生心なり。度衆生心とは、すなはち衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり。
◗203:15 いますでに浄土に生ぜんと願ず。ゆゑに先づすべからく菩提心を発すべしと。
◗204: 2 第四に問答解釈すとは、
◗204: 2 問ひていはく、もしつぶさに万行を修してよく菩提を感じ成仏を得といはば、なんがゆゑぞ諸法無行経に、
もし人菩提を求めば、すなはち菩提あることなし。
この人菩提を遠ざかること、なほ天と地とのごとしとのたまへるや。
◗204: 6 答へていはく、菩提の正体は、理求むるに無相なり。いま相をなして求む。理実に当らず。ゆゑに人遠ざかると名づく。
◗204: 7 このゆゑに経にのたまはく、菩提は心をもつて得べからず、身をもつて得べからずと。
◗204: 8 いまいはく、行者修行して往きて求むるを知るといへども、了々に理体求むることなきことを識知して、なほ仮名を壊せず。このゆゑにつぶさに万行を修す。ゆゑによく感ず。
◗204:11 このゆゑに大智度論にいはく、
もし人般若を見るも、これすなはち縛せられたりとなす。
もし般若を見ざるも、これまた縛せられたりとなす。
もし人般若を見るも、これすなはち解脱となす。
もし般若を見ざるも、これまた解脱となすと。
◗205: 1 龍樹菩薩の釈にいはく、このなかに四句を離れざるを縛となし、四句を離るるを解となすと。
◗205: 2 いま菩提を体るに、ただよくかくのごとく修行すれば、すなはちこれ不行にして行なり。不行にして行なれば、二諦の大道理に違せず。
◗205: 4 また天親の浄土論によるにいはく、おほよそ発心して無上菩提に会せんと欲せば、その二義あり。
◗204: 5 一には、先づすべからく三種の菩提門と相違する法を離るべし。二には、すべからく三種の菩提門に順ずる法を知るべし。
◗205: 7 なんらをか三となす。一には智慧門によりて自楽を求めず。我心をもつて自身に貪着することを遠離するがゆゑなり。
◗205: 8 二には慈悲門によりて一切衆生の苦を抜く。衆生を安んずることなき心を遠離するがゆゑなり。
◗205: 9 三には方便門によりて一切衆生を憐愍する心なり。自身を恭敬し供養する心を遠離するがゆゑなり。
◗205:11 これを三種の菩提門相違の法を遠離すと名づく。
◗205:11 菩提門に順ずるとは、菩薩はかくのごとき三種の菩提門相違の法を遠離して、すなはち三種の菩提門に随順する法を得。なんらをか三となす。
◗205:13 一には無染清浄心なり。自身のために諸楽を求めざるがゆゑなり。菩提はこれ無染清浄の処なり。もし自身のために楽を求むれば、すなはち菩提門に違せり。このゆゑに無染清浄心はこれ菩提門に順ずるなり。
◗206: 1 二には安清浄心なり。一切衆生の苦を抜かんがためのゆゑなり。菩提は一切衆生を安穏にする清浄処なり。もし心をなして、一切衆生を抜きて生死の苦を離れしめざれば、すなはち菩提に違す。このゆゑに一切衆生の苦を抜くはこれ菩提門に順ずるなり。
◗206: 4 三には楽清浄心なり。一切衆生をして大菩提を得しめんと欲するがゆゑなり。衆生を摂取してかの国土に生ぜしむるがゆゑなり。菩提はこれ畢竟常楽の処なり。もし一切衆生をして畢竟常楽を得しめざれば、すなはち菩提門に違す。この畢竟常楽はなにによりてか得る。かならず大義門による。大義門といふは、いはく、かの安楽仏国これなり。
◗206: 9 ゆゑに一心に専至してかの国に生ぜんと願ぜしむ。早く無上菩提に会せしめんと欲すればなりと。
◗206:11 【12】第二に異見邪執を破することを明かすとは、なかにつきてその九番あり。
◗206:12 第一には大乗の無相を妄計する異見偏執を破す。
◗206:12 第二には菩薩の愛見の大悲を会通す。
◗206:13 第三には心外に法なしと繋するを破す。
◗206:13 第四には穢国に生ぜんと願じて、浄土に往生せんと願ぜざるを破す。
◗206:14 第五にはもし浄土に生ずれば、多く喜びて楽に着すといふを破す。
◗206:15 第六には浄土に生ぜんと求むるは非なり、これ小乗なりといふを破す。
◗207: 1 第七には兜率に生ぜんと求めて、浄土に帰せざれと勧むるを破す。
◗207: 2 第八にはもし十方の浄土に生ぜんと求めんよりは、西に帰するにしかずといふを会通す。
◗207: 3 第九には別時意を料簡す。
◗207: 4 【13】第一に大乗無相の妄執を破すとは、なかにつきて二あり。一には総生起なり。後代の学者をしてあきらかに是非を識りて邪を去り正に向かはしめんと欲す。第二には広く繋情につきて正を顕してこれを破す。
◗207: 6 一に総生起とは、しかるに大乗の深蔵は名義塵沙なり。このゆゑに涅槃経にのたまはく、一名に無量の義あり、一義に無量の名ありと。かならずすべからくあまねく衆典を審らかにして、まさに部旨を暁むべし。小乗と俗書との文を案じて義を畢るがごときにあらず。
◗207:10 なんの意かすべからくしかるべき。ただ浄土は幽廓にして経論隠顕す。凡情をして種々に図度せしむることを致す。おそらくは諂語刁々に渉りて、百盲偏執し雑乱無知にして往生を妨礙することを。いましばらく少状を挙げて一々これを破せん。
◗207:14 第一に大乗の無相を妄計するを破すとは、
◗207:14 問ひていはく、あるいは人ありていはく、大乗は無相なり、彼此を念ずることなかれ。もし浄土に生ぜんと願ずれば、すなはちこれ取相なり、うたた縛を増す。なにをもつてかこれを求むると。
◗208: 2 答へていはく、かくのごとき計はまさに謂ふにしからず。なんとなれば、一切諸仏の説法はかならず二縁を具す。一には法性の実理による。二にはすべからくその二諦に順ずべし。かれは、大乗は無念なり、ただ法性によると計して、しかも縁求を謗り無みす。すなはちこれ二諦に順ぜず。かくのごとき見は、滅空の所収に堕す。
◗208: 6 このゆゑに無上依経にのたまはく、仏、阿難に告げたまはく、一切の衆生もし我見を起すこと須弥山のごとくならんも、われ懼れざるところなり。なにをもつてのゆゑに。この人はいまだすなはち出離を得ずといへども、つねに因果を壊せず、果報を失はざるがゆゑなり。もし空見を起すこと芥子のごとくなるも、われすなはち許さず。なにをもつてのゆゑに。この見は因果を破り喪ひて多く悪道に堕す。未来の生処かならずわが化に背くと。
◗208:12 いま行者に勧む。理、無生なりといへども、しかも二諦の道理縁求なきにあらざれば、一切往生を得。このゆゑに維摩経にのたまはく、
諸仏の国とおよび衆生とは、空なりと観ずといへども、
しかもつねに浄土を修して、もろもろの群生を教化すと。
◗209: 2 またかの経にのたまはく、無作を行ずといへども受身を現ず。これ菩薩の行なり。無起を行ずといへども、一切の善行を起す。これ菩薩の行なりと。これその真証なり。
◗209: 5 問ひていはく、いま世間に人ありて、大乗の無相を行じてまた彼此を存ぜず、まつたく戒相を護らず。この事いかん。
◗209: 6 答へていはく、かくのごとき計は害をなすことますますはなはだし。なんとなれば、大方等経にのたまふがごとし。仏、優婆塞のために戒を制す。寡婦・処女の家、沽酒家・藍染家・押油家・熟皮家に至ることを得ざれ、ことごとく往来することを得ざれと。阿難、仏にまうしてまうさく、世尊、なんらの人のためにか、かくのごとき戒を制したまふと。
◗209:11 仏、阿難に告げたまはく、行者に二種あり。一には在世人の行、二には出世人の行なり。出世人には、われ上の事を制せず。在世人には、われいまこれを制す。なにをもつてのゆゑに。一切衆生はことごとくこれわが子なり。仏はこれ一切衆生の父母なり。遮制約勒すれば、早く世間を出でて涅槃を得るがゆゑなりと。
◗210: 1 【14】第二に菩薩の愛見の大悲を会通すとは、
◗210: 1 問ひていはく、大乗の聖教によるに、菩薩もろもろの衆生において、もし愛見の大悲を起さばすなはち捨離すべしと。いま衆生を勧めてともに浄土に生ぜしむるは、あに愛染取相にあらずや。いかんぞその塵累を勉れんや。
◗210: 4 答へていはく、菩薩の行法功用に二あり。なんとなれば、一には空慧般若を証る。二には大悲を具す。
◗210: 5 一には空慧般若を修する力をもつてのゆゑに、六道生死に入るといへども、塵染のために繋がれず。二には大悲をもつて衆生を念ずるがゆゑに涅槃に住せず。
◗210: 7 菩薩、二諦に処すといへども、つねによく妙に有無を捨て、取捨、中を得て大道理に違せず。
◗210: 9 このゆゑに維摩経にのたまはく、たとへば人ありて空地において宮舎を造立せんと欲せば、意に随ひて礙なきも、もし虚空においてはつひに成ずることあたはざるがごとし。菩薩もまたかくのごとし。衆生を成就せんと欲するがためのゆゑに仏国を取らんと願ず。仏国を取らんと願ずるは、空においてするにはあらずと。
◗210:14 【15】第三に心外に法なしと繋するを破すとは、
◗210:14 なかにつきて二あり。一には計情を破し、二には問答解釈す。
◗211: 1 問ひていはく、あるいは人ありていはく、所観の浄境は内心に約就すれば浄土融通す。心浄ければすなはち是なり。心外に法なし。なんぞ西に入るを須ゐんやと。
◗211: 3 答へていはく、ただ法性の浄土は、理、虚融に処し、体、偏局なし。これすなはち無生の生にして、上士のみ入るに堪へたり。
◗211: 4 このゆゑに無字宝篋経にのたまはく、善男子また一法あり、これ仏の覚るところなり。いはゆる諸法は不去不来・無因無縁・無生無滅・無思無不思・無増無減なり。仏、羅睺羅に告げてのたまはく、なんぢいまわがこの所説の正法義を受持すやいなやと。
◗211: 8 その時十方に九億の菩薩ありて、すなはち仏にまうしてまうさく、われらみなよくこの法門を持して、まさに衆生のために流通して絶えざらしむべしと。
◗211:10 世尊答へてのたまはく、これを善男子等すなはち両肩に菩提を荷担すとなす。かの人すなはち不断弁才を得、よく清浄なる諸仏の世界を得。命終の時にすなはち現に阿弥陀仏、もろもろの聖衆とその人の前に住したまふを見たてまつることを得て往生を得と。
◗211:13 おのづから中・下の輩あり。いまだ相を破することあたはざれども、かならず信仏の因縁によりて浄土に生ぜんと求む。かの国に至るといへども、還りて相土に居す。
◗211:15 またいはく、もし縁を摂して本に従へば、すなはちこれ心外に法なし。もし二諦を分ちて義を明かさば、浄土はこれ心外の法なることを妨ぐることなし。
◗212: 3 二に問答解釈すとは、
◗212: 3 問ひていはく、向に無生の生はただ上士のみよく入る、中・下は堪へずといふは、はたただちに人をもつて法に約してかくのごとき判をなすや、はたまた聖教ありて来し証すや。
◗212: 5 答へていはく、智度論によるにいはく、新発意の菩薩は機解軟弱にして発心すといふといへども、多く浄土に生ぜんと願ず。
◗212: 7 なんの意ぞしかるとならば、たとへば嬰児のもし父母の恩養に近づかざれば、あるいは坑に堕ち井に落ち火蛇等の難あり、あるいは乳に乏しくして死す。かならず父母の摩洗養育するを仮りて、まさに長大してよく家業を紹継すべきがごとし。
◗212:10 菩薩もまたしかなり。もしよく菩提心を発して、多く浄土に生ぜんと願ずれば、諸仏に親近したてまつりて法身を増長し、まさによく菩薩の家業を匡紹し十方に済運す。この益のためのゆゑに多く生ぜんと願ずと。
◗212:13 またかの論にいはく、たとへば鳥子の翅翮いまだならざるをば、逼めて高く翔けしむべからず。先づすべからく林によりて樹を伝はしむべし。羽成り力ありてまさに林を捨て空に遊ぶべきがごとし。新発意の菩薩もまたしかなり。先づすべからく願に乗じて仏前に生ずることを求め、法身成長して感に随ひて益に赴くべし。
◗213: 2 また阿難、仏にまうしてまうさく、この無相の波羅蜜は、いづれの処にありてか説きたまふと。仏のたまはく、かくのごとき法門は、阿毘跋致地のなかにありて説く。なにをもつてのゆゑに。新発意の菩薩ありてこの無相波羅蜜門を聞かば、あらゆる清浄の善根ことごとくまさに滅没すべしと。
◗213: 6 またただかの国に至りぬれば、すなはち一切の事畢りぬ。なにをもつてかこの深浅の理を諍はんや。
◗213: 8 【16】第四に穢土に生ぜんと願じて、浄土に生ぜんと願ぜざるを破すとは、
◗213: 8 問ひていはく、あるいは人ありていはく、穢国に生じて衆生を教化せんと願じて浄土に往生することを願ぜずと。この事いかん。
◗213:10 答へていはく、これ人にまた一の徒あり。何者ぞ。もし身不退に居して以去なれば、雑悪の衆生を化せんがためのゆゑに、よく染に処すれども染せず、悪に逢へども変ぜず。鵝鴨の水に入れども、水の湿すことあたはざるがごとし。かくのごとき人等よく穢に処して苦を抜くに堪へたり。
◗213:14 もしこれ実の凡夫ならば、ただおそらくは自行いまだ立たず、苦に逢はばすなはち変じ、かれを済はんと欲せばあひともに没しなん。鶏を逼めて水に入らしむるがごとし。あによく湿はざらんや。
◗214: 1 このゆゑに智度論にいはく、もし凡夫発心してすなはち穢土にありて衆生を抜済せんと願ずるをば、聖意許したまはずと。
◗214: 3 なんの意ぞしかるとならば、龍樹菩薩釈していはく、たとへば四十里の氷に、もし一人ありて一升の熱湯をもつてこれを投ずれば、当時は少しき減ずるに似如たれども、もし夜を経て明に至れば、すなはち余のものよりも高きがごとし。
◗214: 6 凡夫ここにありて発心して苦を救ふも、またかくのごとし。貪瞋の境界違順多きをもつてのゆゑに、みづから煩悩を起して、返りて悪道に堕するがゆゑなりと。
◗214: 9 【17】第五にもし浄土に生ずれば、多く喜びて楽に着すといふを破すとは、
◗214: 9 問ひていはく、あるいは人ありていはく、浄土のなかにはただ楽事のみありて、多く喜びて楽に着して修道を妨廃す。なんぞ往生を願ずるを須ゐんやと。
◗214:11 答へていはく、すでに浄土といふ、衆穢あることなし。もし楽に着すといはば、すなはちこれ貪愛の煩悩なり。なんぞ名づけて浄となさん。
◗214:13 このゆゑに大経にのたまはく、かの国の人天は、往来進止、情に繋くるところなしと。
◗214:15 また四十八願にのたまはく、十方の人天、わが国に来至して、もし想念を起して身を貪計せば、正覚を取らじと。
◗215: 1 大経にまたのたまはく、かの国の人天適莫するところなしと。
◗215: 2 なんぞ着楽の理あらんや。
◗215: 4 【18】第六に浄土に生ぜんと求むるは非なり、これ小乗なりといふを破すとは、
◗215: 4 問ひていはく、あるいは人ありていはく、浄土に生ぜんと求むるはすなはちこれ小乗なり。なんぞこれを修するを須ゐんやと。
◗215: 6 答へていはく、これまたしからず。なにをもつてのゆゑに。ただ小乗の教には一向に浄土に生ずることを明かさざるがゆゑなり。
◗215: 9 【19】第七に兜率に生ぜんと願ずることと、浄土に帰するを勧むることとを会通すとは、
◗215:10 問ひていはく、あるいは人ありていはく、兜率に生ぜんと願じて、西に帰することを願ぜずと。この事いかん。
◗215:11 答へていはく、この義類せず。少分は同じきに似たれども、体によれば大きに別なり。その四種あり。
◗215:12 なんとなれば、一には弥勒世尊、その天衆のために不退の法輪を転ず。法を聞きて信を生ずるものは益を獲。名づけて信同となす。楽に着して信なきもの、その数一にあらず。また兜率に生ずといへども、位これ退処なり。このゆゑに経にのたまはく、三界は安きことなし、なほ火宅のごとしと。
◗216: 1 二には兜率に往生してまさに寿命を得ること四千歳なり。命終の後退落を免れず。
◗216: 3 三には兜率天上には水・鳥・樹林和鳴哀雅なることありといへども、ただ諸天の生楽のために縁たり。五欲に順ひて聖道を資けず。
◗216: 4 もし弥陀浄国に向かはば、一たび生ずることを得るものはことごとくこれ阿毘跋致なり。さらに退人のそれと雑居するものなし。また位はこれ無漏にして、三界に出過してまた輪廻せず。
◗216: 7 その寿命を論ずれば、すなはち仏と斉し。算数のよく知るところにあらず。
◗216: 8 それ水・鳥・樹林ありてみなよく法を説き、人をして悟解して無生を証会せしむ。
◗216: 9 四には大経によりて、しばらく一種の音楽をもつて比校せば、経の讃にいはく、
世の帝王より六天に至るまで、音楽うたた妙にして八重あり。
展転して前に勝るること億万倍、宝樹の音の麗しきこと倍してまたしかなり。
また自然の妙なる伎楽あり。法音清和にして心神を悦ばしめ、
哀婉雅亮にして十方に超ゆ。このゆゑに清浄勲を稽首したてまつると。
◗217: 1 【20】第八に十方の浄土に生ぜんと願ぜんよりは、西方に帰するにしかずといふを校量すとは、
◗217: 1 問ひていはく、あるいは人ありていはく、十方浄国に生ぜんと願じて、西方に帰せんと願ぜずと。この義いかん。
◗217: 3 答へていはく、この義類せず。なかに三あり。
◗217: 4 なんとなれば、一には十方仏国も不浄となすにはあらず。しかるに境寛ければすなはち心昧く、境狭ければすなはち意もつぱらなり。
◗217: 6 このゆゑに十方随願往生経にのたまはく、普広菩薩、仏にまうしてまうさく、世尊、十方の仏土みな厳浄なりとなす、なんがゆゑぞ諸経のなかにひとへに西方阿弥陀国を歎じて往生を勧めたまふと。
◗217: 8 仏、普広菩薩に告げたまはく、一切衆生濁乱のものは多く、正念のものは少なし。衆生をして専志あることをあらしめんと欲す。このゆゑにかの国を讃歎すること別異となすのみ。もしよく願によりて修行すれば、益を獲ざるはなしと。
◗217:11 二には十方の浄土みなこれ浄にして深浅知りがたしといへども、弥陀の浄国はすなはちこれ浄土の初門なり。
◗217:13 なにをもつてか知ることを得る。華厳経によるにのたまはく、娑婆世界の一劫は極楽世界の一日一夜に当る。極楽世界の一劫は袈裟幢世界の一日一夜に当る。かくのごとく優劣あひ望むるに、すなはち十阿僧祇ありと。
◗218: 1 ゆゑに知りぬ、浄土の初門となすなり。このゆゑに諸仏ひとへに勧めたまふ。余方の仏国はすべてかくのごとく丁寧ならず。このゆゑに有信の徒は多く往生を願ず。
◗218: 3 三には弥陀の浄国はすでにこれ浄土の初門なり。娑婆世界はすなはち穢土の末処なり。
◗218: 4 なにをもつてか知ることを得る。正法念経にのたまふがごとし。ここより東北に一世界あり、名づけて斯訶といふ。土田にただ三角の沙石のみあり。一年に三たび雨る。一雨の湿潤すること五寸を過ぎず。その土の衆生、ただ菓子を食し樹皮を衣となし、生を求むるに得ず、死を求むるに得ず。
◗218: 8 また一世界あり。一切の虎狼・禽獣、乃至蛇蝎ことごとくみな翅ありて飛行す。逢ふものあひ噉らふ。善悪を簡ばずと。これあに穢土の始処と名づけざらんや。
◗218:10 しかるに娑婆の依報はすなはち賢聖と流を同じくす。ただこれすなはちこれ穢土の終処なり。
◗218:11 安楽世界はすでにこれ浄土の初門なり。すなはちこの方と境次いであひ接せり。往生はなはだ便なり。なんぞ去かざらんや。
◗218:14 【21】第九に摂論とこの経と相違するによりて、別時意の語を料簡すとは、
◗218:15 いま観経のなかに、仏、下品生の人現に重罪を造るも、命終の時に臨みて善知識に遇ひて十念成就してすなはち往生を得と説きたまふ。摂論にいふによるに、仏の別時意の語なりといふ。
◗219: 2 また古来通論の家多くこの文を判じていはく、臨終の十念はただ往生の因となることを得るも、いまだすなはち生ずることを得ず。
◗219: 4 なにをもつてか知ることを得るとならば、論にいはく、一の金銭をもつて千の金銭を貿ひ得るは、一日にすなはち得るにはあらざるがごとしと。ゆゑに知りぬ、十念成就は、ただ因となることを得るも、いまだすなはち生ずることを得ず。ゆゑに別時意の語と名づくと。
◗219: 8 かくのごとき解はまさにいまだしからずとなす。
◗219: 9 なんとなれば、おほよそ菩薩の、論を作りて経を釈することは、みな遠く仏意を扶けて聖情に契会せんと欲してなり。もし論文の経に違することあらば、この処あることなからん。
◗219:11 いま別時意の語を解せば、いはく、仏の常途の説法はみな先因後果を明かす。理数炳然なり。
◗219:12 いまこの経のなかには、ただ一生罪を造りて、命終の時に臨みて十念成就してすなはち往生を得と説きて、過去の有因無因を論ぜざるは、ただこれ世尊当来の造悪の徒を引接して、その臨終に悪を捨て善に帰し、念に乗じて往生せしめんとなり。ここをもつてその宿因を隠す。これはこれ世尊始めを隠して終りを顕し、因を没して果を談ずるを名づけて別時意の語となす。
◗220: 2 なにをもつてかただ十念成就するは、みな過去の因ありと知ることを得る。
◗220: 3 涅槃経にのたまふがごとし。もし人過去にすでにかつて半恒河沙の諸仏を供養し、またすでに発心し、しかうしてよく悪世のなかにおいて大乗の経教を説くを聞けば、ただよく謗らざるのみ、いまだ余の功あらず。もしすでに一恒河沙の諸仏を供養し、およびすでに発心して、しかる後に大乗の経教を聞けば、ただ謗らざるのみにあらず、また愛楽を加ふと。
◗220: 8 この諸経をもつて来験するに、あきらかに知りぬ、十念成就するものはみな過因ありて虚しからず。もしかの過去に因なきものは、善知識にすらなほ逢遇ふべからず、いかにいはんや十念して成就すべけんや。
◗220:10 論に、一の金銭をもつて千の金銭を貿ひ得るは一日にすなはち得るにはあらずといふは、もし仏意によれば、衆生をして多く善因を積みてすなはち念に乗じて往生せしめんと欲す。もし論主に望むれば過因を関づるに乗ず、理また爽ふことなし。
◗220:14 もしこの解をなさば、すなはち上は仏経に順ひ、下は論の意に合はん。すなはちこれ経・論あひ扶けて往生の路通ず。また疑惑することなかれ。
◗221: 2 【22】第三に広く問答を施して、疑情を釈去することを明かすとは、
◗221: 2 自下は大智度論につきて広く問答を施す。
◗221: 4 問ひていはく、ただ一切衆生曠大劫よりこのかた、つぶさに有漏の業を造りて三界に繋属せり。いかんが三界の繋業を断ぜずして、ただしばらく、阿弥陀仏を念じてすなはち往生を得て、すなはち三界を出づるといはば、この繋業の義またいかんせんと欲する。
◗221: 7 答へていはく、二種の解釈あり。一には法につきて来し破す。二には喩へを借りてもつて顕す。
◗221: 8 法につくといふは、諸仏如来に不思議智・大乗広智・無等無倫最上勝智まします。不思議智力とは、よく少をもつて多となし、多をもつて少となす。近をもつて遠となし、遠をもつて近となす。軽をもつて重となし、重をもつて軽となす。かくのごとき等の智ありて無量無辺不可思議なり。
◗221:12 自下は第二に七番あり。ならびに喩へを借りてもつて顕す。
◗221:13 第一にはたとへば百夫、百年薪を聚めて積むこと高さ千刃ならんに、豆ばかりの火をもつて焚くに、半日にすなはち尽くるがごとし。あに百年の薪半日に尽きずといふことを得べけんや。
◗221:15 第二にはたとへば癖者他の船に寄載すれば、風帆の勢ひによりて一日に千里に至るがごとし。あに癖者いかんぞ一日に千里に至らんといふことを得べけんや。
◗222: 2 第三にはまた下賎の貧人一の瑞物を獲て、もつて王に貢ぐに、王得るところを慶びてもろもろの重賞を加ふれば、しばらくのあひだに富貴望みを盈つるがごとし。あに数十年仕へてつぶさに辛勤を尽せども、上なほ達せずして帰るものあるをもつて、かの富貴をいひてこの事なしといふことを得べけんや。
◗222: 6 第四にはなほ劣夫己身の力をもつて驢に擲りて上らざれども、もし輪王の行に従へば、すなはち虚空に乗じて飛騰自在なるがごとし。あに劣夫の力をもつてかならず虚空に昇ることあたはずといふことを得べけんや。
◗222: 9 第五にはまた十囲の索は千夫も制せざれども、童子剣を揮へば儵爾として両分するがごとし。あに童子の力、索を断つことあたはずといふことを得べけんや。
◗222:11 第六にはまた鴆鳥水に入れば魚蚌ここに斃れてみな死し、犀角泥に触るれば死せるもの還りて活くるがごとし。あに生命一たび断ゆれば、生くべからずといふことを得べけんや。
◗222:13 第七にはまた黄鵠子安子安と喚ぶに、子還りて活くるがごとし。あに墳下の千齢決して蘇るべきことなしといふことを得べけんや。
◗222:15 一切の万法はみな自力・他力、自摂・他摂ありて、千開万閉無量無辺なり。
◗223: 1 なんぢあに有礙の識をもつて、かの無礙の法を疑ふことを得んや。
◗223: 2 また五の不思議のなかに、仏法もつとも不可思議なり。なんぢ三界の繋業をもつて重しとなし、かの少時の念仏を疑ひて軽しとなして、安楽国に往生して正定聚に入ることを得ずといふはこの事しからず。
◗223: 5 問ひていはく、大乗経にのたまはく、業道は秤のごとし、重き処先づ牽くと。いかんが衆生一形よりこのかた、あるいは百年、あるいは十年、すなはち今日に至るまで、悪として造らざるはなし。いかんが臨終に善知識に遇ひて十念相続してすなはち往生を得ん。もししからば、先牽の義なにをもつてか信を取る。
◗223: 9 答へていはく、なんぢ一形の悪業を重しとなして、下品の人の十念の善をもつて、もつて軽しとなすといはば、
◗223:10 いままさに義をもつて軽重の義を校量せん。まさしく心に在り、縁に在り、決定に在り、時節の久近・多少には在らざることを明かす。
◗223:12 いかんが心に在るとは、いはく、かの人罪を造る時は、みづから虚妄顛倒の心に依止して生ず。この十念は、善知識の、方便安慰して実相の法を聞かしむるによりて生ず。一は実、一は虚、あにあひ比ぶることを得んや。
◗223:15 なんとなれば、たとへば千歳の闇室に光もししばらくも至れば、すなはち明朗なるがごとし。闇あに室にあること千歳なるをもつて、去らずといふことを得べけんや。
◗224: 2 このゆゑに遺日摩尼宝経にのたまはく、仏、迦葉菩薩に告げたまはく、衆生また数千巨億万劫、愛欲のなかにありて、罪のために覆はるといへども、もし仏経を聞きてひとたび善を念ずれば、罪すなはち消尽すと。これを心に在ると名づく。
◗224: 5 二にはいかんが縁に在るとは、いはく、かの人罪を造る時は、みづから妄想に依止し、煩悩果報の衆生によりて生ず。いまこの十念は、無上の信心に依止し、阿弥陀如来の真実清浄無量功徳の名号によりて生ず。
◗224: 8 たとへば人ありて毒の箭を被るに、中るところ、筋を徹し骨を破る。もし滅除薬の鼓の声を聞けば、すなはち箭出で毒除こるがごとし。あにかの箭深く毒はげしくして鼓の音声を聞けども、箭を抜き毒を去ることあたはずといふことを得べけんや。これを縁に在ると名づく。
◗224:12 三にはいかんが決定に在るとは、かの人罪を造る時は、みづから有後心・有間心に依止して生ず。いまこの十念は無後心・無間心に依止して起る。これを決定となす。
◗224:14 また智度論にいはく、一切衆生臨終の時、刀風形を解き、死苦来り逼むるに、大怖畏を生ず。このゆゑに善知識に遇ひて大勇猛を発して、心々相続して十念すれば、すなはちこれ増上の善根なるをもつてすなはち往生を得。
◗225: 2 また人ありて敵に対して陣を破るに、一形の力一時にことごとく用ゐるがごとし。その十念の善もまたかくのごとし。
◗225: 3 またもし人臨終の時、一念の邪見、増上の悪心を生ずれば、すなはちよく三界の福を傾けてすなはち悪道に入ると。
◗225: 6 問ひていはく、すでに終りに垂んとするに十念の善よく一生の悪業を傾けて浄土に生ずることを得といはば、いまだ知らず、いくばくの時をか十念となすや。
◗225: 8 答へていはく、経に説きてのたまふがごとし。百一の生滅、一刹那を成ず。六十の刹那、もつて一念となす。これ経論によりて汎く念を解す。
◗225: 9 いまの時は念を解するにこの時節を取らず。ただ阿弥陀仏の、もしは総相、もしは別相を憶念して、所縁に随ひて観じ、十念を経るに、他の念想間雑することなし。これを十念と名づく。
◗225:12 また十念相続といふは、これ聖者の一の数の名なるのみ。ただよく念を積み思を凝らして他事を縁ぜざれば、業道をして成弁せしめてすなはち罷みぬ。用ゐざれ。またいまだ労はしくこれが頭数を記せず。
◗225:14 またいはく、もし久行の人の念は多くこれによるべし、もし始行の人の念は数を記するもまた好し。これまた聖教によるなり。
◗226: 2 また問ひていはく、いま勧めによりて念仏三昧を行ぜんと欲す。いまだ知らず、計念の相状はなににか似たる。
◗226: 3 答へていはく、たとへば人ありて空曠のはるかなる処において、怨賊の刀を抜き勇を奮ひてただちに来りて殺さんと欲するに値遇す。この人ただちに走るに、一の河を度らんとするを視る。いまだ河に到るに及ばざるに、すなはちこの念をなす。われ河の岸に至らば、衣を脱ぎて渡るとやせん、衣を着て浮ぶとやせん。もし衣を脱ぎて渡らば、ただおそらくは暇なからん。もし衣を着て浮ばば、またおそらくは首領全くしがたからんと。その時、ただ一心に河を渡る方便をなすことのみありて、余の心想間雑することなきがごとし。
◗226:10 行者もまたしかなり。阿弥陀仏を念ずる時、またかの人の渡ることのみを念じて、念々あひ次いで余の心想間雑することなきがごとし。あるいは仏の法身を念じ、あるいは仏の神力を念じ、あるいは仏の智慧を念じ、あるいは仏の毫相を念じ、あるいは仏の相好を念じ、あるいは仏の本願を念ず。名を称することもまたしかなり。ただよく専至に相続して断えざれば、さだめて仏前に生ず。
◗226:15 いま後代の学者を勧む。もしその二諦を会せんと欲せば、ただ念々不可得なりと知るはすなはちこれ智慧門にして、よく繋念相続して断えざるはすなはちこれ功徳門なり。
◗227: 2 このゆゑに経にのたまはく、菩薩摩訶薩つねに功徳・智慧をもつて、もつてその心を修すと。もし始学のものは、いまだ相を破することあたはず、ただよく相によりて専至せば、往生せざるはなし。疑ふべからず。
◗227: 6 また問ひていはく、無量寿大経にのたまはく、十方の衆生、心を至し信楽して、わが国に生ぜんと欲して、すなはち十念に至るまでせん。もし生ぜずは、正覚を取らじと。いま世人ありて、この聖教を聞きて現在の一形まつたく意をなさず、臨終の時に擬してまさに修念せんと欲す。この事いかん。
◗227:10 答へていはく、この事類せず。なんとなれば、経に十念相続とのたまふは、難からざるに似若たり。しかれどももろもろの凡夫の心は野馬のごとく、識は猿猴よりも劇し。六塵に馳騁して、なんぞかつて停息せん。おのおのすべからくよろしく信心を発して、あらかじめみづから剋念し、積習して性を成じ、善根をして堅固ならしむべし。
◗227:14 仏、大王に告げたまふがごとし。人善行を積めば、死するとき悪念なし。樹の先より傾けるは倒るるに、かならず曲れるに随ふがごとしと。
◗228: 1 もし刀風一たび至れば、百苦身に湊る。もし習先よりあらずは、懐念なんぞ弁ずべけんや。おのおのよろしく同志三五あらかじめ言要を結び、命終の時に臨みてたがひにあひ開暁して、ために弥陀の名号を称して安楽国に生ぜんと願じ、声々あひ次いで十念を成ぜしむべし。
◗228: 5 たとへば蝋印をもつて泥に印するに、印壊れて文成ずるがごとし。ここに命断ゆる時は、すなはちこれ安楽国に生ずる時なり。一たび正定聚に入れば、さらになんの憂ふるところかあらん。おのおのよろしくこの大利を量るべし。なんぞあらかじめ剋念せざらんや。
◗228: 9 また問ひていはく、もろもろの大乗経論にみな、一切衆生は畢竟無生にしてなほ虚空のごとしといへり。いかんぞ天親・龍樹菩薩みな往生を願ずるや。
◗228:11 答へていはく、衆生は畢竟無生にして虚空のごとしといふは、二種の義あり。
◗228:12 一には凡夫人の所見のごときは、実の衆生、実の生死等なり。もし菩薩によらば、往生は畢竟じて虚空のごとく兎角のごとし。
◗228:13 二にはいま生といふはこれ因縁生なり。因縁生なるがゆゑにすなはちこれ仮名の生なり。仮名の生なるがゆゑにすなはちこれ無生なり。大道理に違せず。凡夫の実の衆生、実の生死ありと謂ふがごときにはあらず。
◗229: 2 また問ひていはく、それ生は有の本たり、すなはちこれ衆累の元なり。もしこの過を知りて生を捨て無生を求めば、脱るる期あるべし。いますでに浄土に生ずることを勧む。すなはちこれ生を棄てて生を求む。生なんぞ尽くべけんや。
◗229: 5 答へていはく、しかるにかの浄土は、すなはちこれ阿弥陀如来の清浄本願の無生の生なり。三有の衆生の愛染虚妄の執着の生のごときにはあらず。なにをもつてのゆゑに。それ法性清浄にして畢竟無生なればなり。しかるに生といふは得生のものの情なるのみと。
◗229: 9 また問ひていはく、上にいふところのごとく、生は無生なりと知るは、まさに上品生のものなるべし。もししからば下品生の人の十念に乗じて往生するは、あに実の生を取るにあらずや。
◗229:11 もし実の生ならば、すなはち二疑に堕す。一にはおそらくは往生を得ず。二にはいはく、この相善、無生のために因となることあたはず。
◗229:13 答へていはく、釈するに三番あり。
◗229:13 一にはたとへば浄摩尼珠、これを濁水に置けば、珠の威力をもつて水すなはち澄清なるがごとし。もし人無量生死の罪濁ありといへども、もし阿弥陀如来の至極無生清浄の宝珠の名号を聞きてこれを濁心に投ずれば、念々のうちに罪滅し心浄くして即便往生す。
◗230: 2 二には浄摩尼珠を玄黄の帛をもつて裹みてこれを水に投ずれば、水すなはち玄黄にしてもつぱら物の色のごとくなるがごとし。かの清浄仏土に、阿弥陀如来の無上宝珠の名号まします。無量の功徳成就の帛をもつて裹みてこれを往生するところのものの心水のうちに投ずるに、あに生を転じて無生の智となすことあたはざらんや。
◗230: 6 三にはまた氷の上に火を燃くに、火猛ければすなはち氷液く、氷液くればすなはち火滅するがごとし。かの下品往生の人は法性無生を知らずといへども、ただ仏名を称する力をもつて往生の意をなし、かの土に生ぜんと願じて、すでに無生の界に至る時に見生の火自然に滅す。
◗230:10 また問ひていはく、なんの身によるがゆゑに往生を説くや。
◗230:10 答へていはく、この間の仮名人のなかにおいて、もろもろの行門を修すれば、前念は後念のために因となる。穢土の仮名人と浄土の仮名人と決定して一なることを得ず、決定して異なることを得ず。前心後心もまたかくのごとし。なにをもつてのゆゑに。もし決定して一ならばすなはち因果なからん。もし決定して異ならばすなはち相続にあらず。この義をもつてのゆゑに、横竪別なりといへども、始終これ一の行者なり。
◗231: 2 また問ひていはく、もし人ただよく仏の名号を称へてよくもろもろの障を除かば、もししからば、たとへば人ありて指をもつて月を指すがごとし。この指よく闇を破すべきや。
◗231: 4 答へていはく、諸法万差なり。一概すべからず。なんとなれば、おのづから名の法に即するあり、おのづから名の法に異するあり。
◗231: 5 名の法に即するありとは、諸仏・菩薩の名号、禁呪の音辞、修多羅の章句等のごときこれなり。禁呪の辞に、日出東方乍赤乍黄といはんに、たとひ酉亥に禁を行ずるも、患へるものまた愈ゆるがごとし。
◗231: 8 また人ありて狗の所噛を被らんに、虎の骨を炙りてこれを熨せば、患へるものすなはち愈ゆ。あるいは時に骨なければ、よく掌をげてこれを磨り、口のなかに喚びて虎来虎来といはんに、患へるものまた愈ゆるがごとし。
◗231:11 あるいはまた人ありて脚転筋を患はんに、木瓜の枝を炙りてこれを熨せば、患へるものすなはち愈ゆ。あるいは木瓜なければ、手を炙りてこれを磨りて、口に木瓜木瓜と喚べば、患へるものまた愈ゆ。わが身にその効を得たり。なにをもつてのゆゑに。名の法に即するをもつてのゆゑなり。
◗231:15 名の法に異するありとは、指をもつて月を指すがごときこれなり。
◗232: 2 また問ひていはく、もし人ただ弥陀の名号を称念すれば、よく十方の衆生の無明の黒闇を除きて往生を得といはば、しかるに衆生ありて名を称し憶念すれども、無明なほありて所願を満てざるはなんの意ぞ。
◗232: 4 答へていはく、如実修行せず、名義と相応せざるによるがゆゑなり。
◗232: 5 所以はいかん。いはく、如来はこれ実相身、これ為物身なりと知らず。
◗232: 6 また三種の不相応あり。一には信心淳からず、存ぜるがごとく亡ぜるがごとくなるがゆゑなり。二には信心一ならず、いはく、決定なきがゆゑなり。三には信心相続せず、いはく、余念間つるがゆゑなり。たがひにあひ収摂す。
◗232: 9 もしよく相続すればすなはちこれ一心なり。ただよく一心なれば、すなはちこれ淳心なり。この三心を具してもし生ぜずといはば、この処あることなからん。
◗232:12 【23】第三大門のなかに四番の料簡あり。第一には難行道・易行道を弁ず。第二には時劫の大小不同を明かす。第三には無始世劫よりこのかた、この三界・五道に処して、善悪二業に乗じて苦楽の両報を受け、輪廻無窮にして生を受くること無数なることを明かす。第四には聖教をもつて証成して、後代を勧めて信を生じ往くことを求めしむ。
◗233: 2 【24】第一に難行道・易行道を弁ずとは、なかに二あり。一には二種の道を出し、二には問答解釈す。
◗233: 3 余すでにみづから火界に居して、実に想ふに怖れを懐けり。仰ぎておもんみれば、大聖三車をもつて招慰し、しばらく羊鹿の運は権の息にしていまだ達せず。仏、邪執は上求菩提を障ふと訶したまふ。たとひ後に回向するも、なほ迂回と名づく。もしただちに大車に挙るも、またこれ一途なり。ただおそらくは現に退位に居して嶮径はるかに長きことを。自徳いまだ立たず。昇進すべきこと難し。
◗233: 8 このゆゑに龍樹菩薩いはく、阿毘跋致を求むるに二種の道あり。一には難行道、二には易行道なり。
◗233: 9 難行道といふは、いはく、五濁の世、無仏の時にありて阿毘跋致を求むるを難となす。この難にすなはち多途あり。略して述ぶるに五あり。
◗233:11 なんとなれば、一には外道の相善は菩薩の法を乱る。二には声聞は自利にして大慈悲を障ふ。三には無顧の悪人は他の勝徳を破る。四にはあらゆる人天の顛倒の善果は、人の梵行を壊つ。五にはただ自力のみありて他力の持つなし。かくのごとき等の事、目に触るるにみなこれなり。
◗233:15 たとへば陸路の歩行はすなはち苦しきがごとし。ゆゑに難行道といふ。
◗234: 1 易行道といふは、いはく、信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願じて、心を起し徳を立て、もろもろの行業を修すれば、仏願力のゆゑに即便往生す。仏力住持するをもつてすなはち大乗正定の聚に入る。正定聚とはすなはちこれ阿毘跋致不退の位なり。
◗234: 4 たとへば水路に船に乗ずればすなはち楽しきがごとし。ゆゑに易行道と名づくと。
◗234: 6 問ひていはく、菩提はこれ一なり。修因また不二なるべし。なんがゆゑぞ、ここにありて因を修して仏果に向かふを名づけて難行となし、浄土に往生して大菩提を期するをすなはち易行道と名づくるや。
◗234: 8 答へていはく、もろもろの大乗経に弁ずるところの一切の行法に、みな自力・他力、自摂・他摂あり。
◗234: 9 何者か自力。たとへば人ありて生死を怖畏して、発心出家して定を修し、通を発して四天下に遊ぶがごときを名づけて自力となす。
◗234:11 何者か他力。劣夫ありて己身の力に信せて驢に擲りて上らざれども、もし輪王に従へばすなはち空に乗じて四天下に遊ぶがごとし。すなはち輪王の威力のゆゑに他力と名づく。
◗234:13 衆生もまたしかなり。ここにありて心を起し行を立て浄土に生ぜんと願ずるは、これはこれ自力なり。
◗234:15 命終の時に臨みて、阿弥陀如来光台迎接して、つひに往生を得るをすなはち他力となす。
◗235: 1 ゆゑに大経にのたまはく、十方の人天、わが国に生ぜんと欲するものはみな阿弥陀如来の大願業力をもつて増上縁となさざるはなしと。
◗235: 3 もしかくのごとくならずは、四十八願すなはちこれ徒設ならん。
◗235: 4 後学のものに語る。すでに他力の乗ずべきあり。みづからおのが分を局り、いたづらに火宅にあることを得ざれ。
◗235: 6 【25】第二に劫の大小を明かすとは、
◗235: 6 智度論にいふがごとし。劫に三種あり。いはく一には小、二には中、三には大なり。
◗235: 7 方四十里のごとき城あり、高下もまたしかなり。なかに芥子を満てて、長寿の諸天ありて三年に一を去り、すなはち芥子尽くるに至るを一小劫と名づく。あるいは八十里の城あり、高下もまたしかなり。芥子をなかに満てて、前のごとく取り尽すを一中劫と名づく。あるいは百二十里の城あり、高下もまたしかなり。芥子をなかに満てて取り尽すこと、もつぱら前の説に同じきをまさに大劫と名づく。
◗235:12 あるいは八十里の石あり、高下もまたしかなり。一の長寿の諸天ありて、三年に天衣をもつて一たび払ふ。天衣の重さ三銖なり。払ふことをなすこと已まず、この石すなはち尽くるを名づけて中劫となす。その小石・大石前の中劫に類す、知るべしと。労はしくつぶさに述べず。
◗236: 2 【26】第三門のなかに五番あり。
◗236: 2 第一に無始劫よりこのかたここにありて、輪廻無窮にして身を受くること無数なることを明かすとは、
◗236: 3 智度論にいふがごとし。人中にありて、あるいは張家に死して王家に生じ、王家に死して李家に生ず。かくのごとく閻浮提の界を尽して、あるいはかさねて生じ、あるいは異家に生ず。
◗236: 6 あるいは南閻浮提に死して西拘耶尼に生ず。閻浮提のごとく余の三天下もまたかくのごとし。
◗236: 7 四天下に死して四天王天に生ずることもまたかくのごとし。あるいは四天王天に死して忉利天に生ず。忉利天に死して余の上四天に生ずることもまたかくのごとし。
◗236: 9 色界に十八重天あり、無色界に四重天あり。ここに死してかしこに生ず。一々にみなあまねきことまたかくのごとし。
◗236:11 あるいは色界に死して阿鼻地獄に生ず。阿鼻地獄のなかに死して余の軽繋地獄に生ず。軽繋地獄のなかに死して畜生のなかに生ず。畜生のなかに死して餓鬼道のなかに生ず。餓鬼道のなかに死してあるいは人天のなかに生ず。
◗236:13 かくのごとく六道に輪廻して苦楽の二報を受け、生死窮まりなし。胎生すでにしかなり。余の三生もまたかくのごとしと。
◗236:15 このゆゑに正法念経にのたまはく、菩薩化生してもろもろの天衆に告げていはく、
おほよそ人この百千生を経て、楽に着し放逸にして道を修せず。
往福やうやく已り尽き、還りて三塗に堕して衆苦を受くることを覚らずと。
◗237: 5 このゆゑに涅槃経にのたまはく、
この身は苦の集まるところなり。一切みな不浄なり。
扼縛癰瘡等の根本にして、義利あることなし。
上諸天の身に至るまで、みなまたかくのごとしと。
◗237: 9 このゆゑにまたかの経にのたまはく、勧めて不放逸を修せしむ。なにをもつてのゆゑに。それ放逸はこれ衆悪の本なり。不放逸はすなはちこれ衆善の源なり。日月光の諸明のなかに最なるがごとし。不放逸の法もまたかくのごとし。もろもろの善法においては最となし上となす。また須弥山王の、もろもろの山のなかにおいて最となし上となすがごとし。不放逸の法もまたかくのごとし。もろもろの善法のなかにおいて最となし上となす。なにをもつてのゆゑに。一切の悪法は放逸より生ず。一切の善法は不放逸を本となすと。
◗238: 1 第二に問ひていはく、無始劫よりこのかた六道に輪廻して無際なりといふといへども、いまだ知らず、一劫のうちにいくばくの身数を受くるを流転といふや。
◗238: 3 答へていはく、涅槃経に説きたまふがごとし。三千大千世界の草木を取りて、截りて四寸の籌となして、もつて一劫のうちに受くるところの身の父母の頭数を数へんに、なほおのづから澌きずと。
◗238: 5 あるいはのたまはく、一劫のうちに飲むところの母の乳は四大海水よりも多しと。
◗238: 6 あるいはのたまはく、一劫のうちに積むところの身骨は毘富羅山のごとしと。
◗238: 8 かくのごとく遠劫よりこのかた、いたづらに生死を受くること今日に至りて、なほ凡夫の身となる。なんぞかつて思量して傷歎して已まざらんや。
◗238:10 第三にまた問ひていはく、すでに曠大劫よりこのかた身を受くることを無数といふは、はたただちに総じて説きて、人をして厭を生ぜしむるや、はたまた経文ありて来し証するや。
◗238:12 答へていはく、みなこれ聖教の明文あり。
◗238:12 なんとなれば、法華経にのたまふがごとし。過去不可説の久遠大劫に仏の出世まします。大通智勝如来と号したまふ。十六の王子あり。おのおの法座に昇りて衆生を教化す。一々の王子おのおの六百万億那由他恒河沙の衆生を教化せりと。その仏の滅度よりこのかた、至極久遠なり。なほ数へ知るべからず。
◗239: 2 なんとなれば、経にのたまはく、総じて三千大千世界の大地を取りて、磨りてもつて墨となす。仏のたまはく、この人千の国土を過ぎてすなはち一点を下さん。大きさ微塵のごとし。かくのごとく展転して、地種の墨を尽すと。仏のたまはく、この人の経るところの国土、もし点ずると点ぜざると、ことごとく末きて塵となし、一塵を一劫とするに、かの仏の滅度よりこのかた、またこの数に過ぎたりと。今日の衆生は、すなはちこれかの時の十六王子の座下にして、かつて教法を受けたりと。
◗239: 8 このゆゑに経にのたまはく、この本因縁をもつて、ために法華経を説きたまふと。
◗239:10 涅槃経にまたのたまはく、一はこれ王子、一はこれ貧人、かくのごとき二人たがひにあひ往反すと。王子といふは今日の釈迦如来、すなはちこれかの時の第十六王子なり。貧人といふは今日の衆生等これなり。
◗239:13 第四に問ひていはく、これらの衆生はすでに流転多劫なりといふ。しかるに三界のなかには、いづれの趣にか身を受くること多しとなす。
◗239:14 答へていはく、流転すといふといへども、しかも三悪道のなかにおいて身を受くることひとへに多し。
◗240: 1 経に説きてのたまふがごとし。虚空のなかにおいて方円八肘を量り取りて、地より色究竟天に至る。この量内においてあらゆる可見の衆生は、すなはち三千大千世界の人天の身よりも多しと。ゆゑに知りぬ、悪道の身多し。
◗240: 4 なんがゆゑぞかくのごとしとならば、ただ悪法は起しやすく、善心は生じがたきがゆゑなり。いまの時ただ現在の衆生を看るに、もし富貴を得れば、ただ放逸・破戒を事とす。天のなかにはすなはちまた楽に着するもの多し。
◗240: 7 このゆゑに経にのたまはく、衆生は等しくこれ流転してつねに三悪道を常の家となす。人天にはしばらく来りてすなはち去る。名づけて客舎となすがゆゑなりと。
◗240: 9 大荘厳論によるに、一切衆生に勧む、つねにすべからく繋念現前すべしと。
◗240:10 偈にいはく、
盛年にして患なき時は、懈怠にして精進せず。
もろもろの事務を貪営して、施と戒と禅とを修せず。
死のために呑まれんとするに臨みて、まさに悔いて善を修することを求む。
◗240:14 智者は観察して、五欲の想を除断すべし。
精勤習心のものは、終時に悔恨なし。
心意すでに専至なれば、錯乱の念あることなし。
◗241: 2 智者はねんごろに心を投ずれば、臨終に意散ぜず。
習心専至ならざれば、臨終にかならず散乱す。
心もし散乱する時は、馬を調するに磑を用ゐるがごとくせよ。
もしそれ闘戦の時には、回旋してただちに行かずと。
◗241: 6 第五にまた問ひていはく、一切衆生みな仏性あり。遠劫よりこのかた多仏に値ひたてまつるべし。なにによりてかいまに至るまで、なほみづから生死に輪廻して火宅を出でざる。
◗241: 8 答へていはく、大乗の聖教によるに、まことに二種の勝法を得て、もつて生死を排はざるによる。ここをもつて火宅を出でず。
◗241: 9 何者をか二となす。一にはいはく聖道、二にはいはく往生浄土なり。
◗241:10 その聖道の一種は、今の時証しがたし。一には大聖を去ること遙遠なるによる。二には理は深く解は微なるによる。
◗241:12 このゆゑに大集月蔵経にのたまはく、わが末法の時のうちに、億々の衆生、行を起し道を修すれども、いまだ一人として得るものあらずと。
◗241:14 当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり。
◗241:15 このゆゑに大経にのたまはく、もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじと。
◗242: 2 また一切衆生すべてみづから量らず。
◗242: 3 もし大乗によらば、真如実相第一義空、かつていまだ心を措かず。もし小乗を論ぜば、見諦修道に修入し、すなはち那含・羅漢に至るまで、五下を断じ五上を除くこと、道俗を問ふことなく、いまだその分にあらず。たとひ人天の果報あれども、みな五戒・十善のためによくこの報を招く。しかるに持ち得るものは、はなはだ希なり。
◗242: 7 もし起悪造罪を論ぜば、なんぞ暴風駛雨に異ならんや。ここをもつて諸仏の大慈、勧めて浄土に帰せしめたまふ。たとひ一形悪を造れども、ただよく意を繋けて専精につねによく念仏すれば、一切の諸障自然に消除して、さだめて往生を得。なんぞ思量せずしてすべて去く心なきや。
◗242:12 【27】自下は第四に聖教を引きて証成して、信を勧め生を求めしむとは、
◗242:12 観仏三昧経によるにのたまはく、その時に会のなかに財首菩薩ありて、仏にまうしてまうさく、世尊、われ過去無量劫を念ふ時に、仏ましまして世に出でたまへり。また釈迦牟尼仏と名づく。かの仏の滅後に一の王子あり、名づけて金幢といふ。憍慢・邪見にして正法を信ぜず。
◗243: 1 知識の比丘あり、定自在と名づく。王子に告げていはく、《世に仏の像あり、きはめて可愛なりとなす。しばらく塔に入りて、仏の形像を観たてまつるべし》と。時にかの王子、善友の語に従ひて塔に入りて像を観たてまつる。像の相好を見て、比丘にまうさく、《仏像すら端厳なることなほかくのごとし、いはんや仏の真身をや》と。
◗243: 5 比丘告げていはく、《王子、いま仏像を見て礼することあたはずは、まさに“南無仏”と称すべし》と。宮に還りて、念を繋けて塔のなかの像を念ずるに、すなはち後夜に夢に仏像を見て、心大きに歓喜して邪見を捨離し、三宝に帰依す。
◗243: 9 寿命終るに随ひて、前に塔に入りて仏を称する功徳によりて、すなはち九百億那由他の仏に値遇することを得、諸仏の所においてつねにねんごろに精進して、つねに甚深の念仏三昧を得たり。念仏三昧の力のゆゑに、諸仏現前してみな授記を与ふ。
◗243:12 これよりこのかた百万阿僧祇劫に悪道に堕せず。乃至今日首楞厳三昧を獲得せり。その時の王子とは、いまわれ財首これなりと。その時会中にすなはち十方のもろもろの大菩薩あり、その数無量なり。おのおの本縁を説くに、みな念仏によりて得たり。
◗243:15 仏、阿難に告げたまはく、この観仏三昧は、これ一切衆生の犯罪のものの薬なり、破戒のものの護りなり、失道のものの導きなり、盲冥のものの眼なり、愚痴のものの慧なり、黒闇のものの灯なり、煩悩の賊のなかの大勇猛将なり、諸仏世尊の遊戯したまふところの首楞厳等の諸大三昧のはじめて出生するところなりと。
◗244: 4 仏、阿難に告げたまはく、なんぢいまよく持ちて、つつしみて忘失することなかれ。過去・未来・現在の三世の諸仏、みなかくのごとき念仏三昧を説きたまふ。われと十方の諸仏および賢劫の千仏とは、初発心よりみな念仏三昧の力によるがゆゑに一切種智を得たりと。
◗244: 8 また目連所問経のごとし。仏、目連に告げたまはく、たとへば万川の長流に浮べる草木ありて、前は後を顧みず、後は前を顧みず、すべて大海に会するがごとし。世間もまたしかなり。豪貴・富楽自在なることありといへども、ことごとく生老病死を勉るることを得ず。ただ仏経を信ぜざるによりて、後世に人となれども、さらにはなはだ困劇して、千仏の国土に生ずることを得ることあたはず。
◗244:13 このゆゑにわれ説く、《無量寿仏国は往きやすく取りやすし。しかるに人修行して往生することあたはず、かへりて九十五種の邪道に事ふ》と。われこの人を説きて無眼人と名づけ、無耳人と名づくと。
◗245: 1 経教すでにしかなり。なんぞ難を捨てて易行道によらざらんや。
◗245:15 安楽集 巻上