とんじょう 頓成 (1795-1887) 大谷派の学僧。 能登国生まれ。 能登の頓成という。 高倉学寮で霊暀に師事。 信機自力説を主張して学寮の所しょ化けや二条奉行所を巻き込む事件に発展し、 嘉永4年 (1851) 幕府の裁定で豊前国四日市 (現在の大分県宇佐市) に追放された。 明治維新により赦免された後も、 称名正因を唱えるなどして処分と復帰を繰り返した。