しょうにょ 証如 (1516-1554) 本願寺10代。 9代実如の第三子である円如の長男。 童名は初め光仙と呼ばれ、 後に光養と改められた。 諱は光教、 諡は信受院。 円如の早世により法嗣となり、 大永5年 (1525)、 実如の示寂により10歳で継職した。 享禄4年 (1531)、 享禄の錯乱を経て加賀国における本願寺の影響力を高めた。 天文元年 (1532)、 細川春元の意を受けた六角定頼と日蓮宗徒に攻められて山科本願寺が焼失したため、 大坂の坊舎に本願寺の寺基を移した (石山本願寺)。 以後、 和平の策を取り、 本願寺教団の体制確立に努めた。 また、 ¬御文章¼ 5帖80通をはじめて開版した。 天文23年、 39歳で示寂した。