せんにょ 宣如 (1604-1658) 大谷派13代。 12代教如の三男。 童名は長丸、 諱は光従、 愚渓などと号した。 院号は東泰院。 慶長19年 (1614)、 教如の示寂により継職した。 元和3年 (1617)、 「常葉御影」 を鎌倉から京都に迎えた。 寛永18年 (1641)、 徳川家光から東洞院以東の地を寄進され、 隠居所 (現在の渉成園) を建てた。 慶安5年 (1652) には御影堂の改築に着手し、 翌年、 寺務を啄如に譲った。