こうにょ 広如 (1798-1871) 本願寺20代。 顕証寺暉宣 (文如の三男) の第二子として生まれ、 童名は祥寿丸。 初め諱は摂衆、 法名を本了としていたが、 文政2年 (1819)、 本如の嗣法として本願寺に入寺し、 諱は光沢、 法名を広如と改めた。 文政9年 (1826)、 本如の示寂により29歳で継職した。 その後、 石田敬起を起用して本願寺の財政再建や機構改革に取り組み、 親鸞の600回忌にあたっては各地の別院において法要を予修し、 文久元年 (1861)、 本願寺において盛大に大遠忌法要を勤修した。 その他、 北海道の開教にも尽力し、 明治4年、 74歳で示寂した。 諡号は信法院。