けん 見 梵語ドリシュティ (dṛṣṭi) の意訳。 推しはかって見解を定めること。 しょうけん邪見などと正・邪にわたって用いられるが、 一般に見のみでは間違った見解を指す場合が多い。 誤った見解を二見、 五見、 七見などと分類する。 ①二見。 有見無見、 あるいは眼見聞見のこと。 ②五見。 身見 (自己を実体視し、 とらわれる誤った見解)、 辺見 (あらゆる事物を実に有るとか無いとかみなし、 極端にとらわれる誤った見解。 有見・無見または常見断見のこと)、 邪見 (因果道理を否定する誤った見解)、 見取けんじゅけん (誤った自己の見解を最上のものとみなす見解)、 戒禁かいごん取見じゅけん (仏教以外の戒律などを解脱とみなす誤った見解) の五。 ③七見。 我見 (実体的な自我に執着しゅうじゃくする見解)、 邪見、 常見、 断見、 戒盗見 (戒禁取見)、 とうけん (誤った行為によって得た果報を最上のものとみなす見解)、 疑見 (仏教の真理を疑う見解) の七。