じゅんにょ 順如 (1442-1483) 蓮如の第一子 (長男)。 母は如了尼。 諱は光助。 願成就院と称した。 17歳で出家、 文正年間 (1466-1467) に蓮如から後継者として譲状を与えられたが固辞し、 応仁2年 (1468) に譲状を与えられた光養丸 (後の実如) を後見した。 特に朝廷や武家などとの対外交渉を担い、 蓮如が吉崎に移っていた間は大津近松御坊 (滋賀県大津市) で親鸞の真影を護持した。 また、 仏光寺経豪 (蓮教) の本願寺への参入にも寄与するなど、 蓮如を大いに補佐した。 出口光善寺 (大阪府枚方市) の開基とされる。